外から見たとき、執務室は明かりが消えていた。けれども霊圧は感じ取れていたから迷わなかった。言いたいことを何度も頭の中で反芻させながら、隊舎の廊下を歩いていく。普段通りの歩き方をしているつもりだったけれど、一歩一歩、足袋越しの足裏を丁寧に床にくっつけて進んでいて、まるで足音を立てないように気を付けてる人みたいだった。
 入り口から覗いた部屋はやっぱり明かりがなく、日も落ちたこの時間では外からの日差しもなく全体が暗い。物音は一切せず、無人と思われても仕方ないほどだった。「……」ここに来て一瞬足がすくむ。でも、意を決して踏み出す。

 隊長は応接用のソファに横になっていた。ここのは肘掛がない形なので特に寝やすいらしく、隊長は暇を持て余した末によく座布団を枕にして居眠りを始めるのだ。今も、横幅が足りないせいでふくらはぎから下は投げ出され、片方の手はお腹の上に、もう片方はソファから落ちだらんと伸びた体勢だった。隊長の頭が右斜め一メートルほどの位置に見える場所で立ち止まる。薄暗くてよく見えないけれど、目は閉じて、眠っているように見える。見えるだけで、わたしはある種の確信を持って、口を開いた。


「隊長、戻りました」


 予想通り、ゆっくりと目が開く。狸寝入りしていた。わたしが入ってきたことにもとっくのとうに気付いていただろう。頭を斜め左上へ仰け反らせると目が合う。いつも通りの気だるそうな目だ。


「おかえり。ケガしてへんか」
「はい。どちらの隊も負傷者はなく、無事終了しました」
「そーか。そらよかった。お疲れさん」


 言って、のっそりと起き上がる。長机との間に足を下ろし、座る位置をわたし寄りに直した。隊長の表情はよくうかがえない。暗さも相まって、立ってるわたしの方が視点は高いので、隊長の切り揃えられた前髪が目元を隠しているように見えてしまうのだ。それに隊長も、わたしと目を合わせようとしていない。
 でも、直感だけれど、今朝とは違う雰囲気だった。吸い込んだ息が肺まで届く。空気も重くない。今なら言っても大丈夫だと、思えた。


「隊長」
「…んー?」
「やっぱり、わたしにも三席の任務をください」
「……」


 即答はされなかった。元からその期待はしてなかった。ただ、とぼけられたり誤魔化されなかったことにホッとした。


「今日の任務、六車隊長の補佐を任されました。部隊を率いたわけじゃないので、まだまだですが、でも席次通りの仕事をしたと思います」
「そか」
「きっと隊長にはわたしが弱くて頼りないんでしょうが、事実そうなんですけど、だから、周囲の期待に応えられる三席になりたいです」
「……。こっち来い」


 手招きされ、二歩近づく。長机にぶつかるぎりぎり、座る隊長の斜め前に立つ。隊長は依然、床に目を伏せたまま視線を上げようとしない。
 わたしを招いた手が、そのまま手のひらを向け差し出された。反射的に自分の手が伸びる。我に返って止まったときには遅く、隊長の手に捕まっていた。一瞬息が詰まる。


「…俺はべつになァ、おまえが弱いからってここに縛りつけてるわけやないねん」
「で、でも」
「おォ。でもも色々考えてんねな。……それこそ応えな隊長失格や」


 ハッと息を吸い込む。動揺は手から隊長へと伝わってしまっただろう。ゆっくりと、隊長は顔を上げ、ニヤッと口角を上げた。


「わかった。鍛えてやるから覚悟しとけ」
「…はい!」


 力強く頷く。気持ちが通じた。よかった、隊長はわたしの味方だった。途端に心が軽くなる。緊張していた身体が弛緩し、ホッと胸を撫で下ろそうとして、まだ手が塞がっていたことを思い出した。と、それがパッと離される。頭を掻く隊長が立ち上がりそうに見えたので数歩後ずさると、彼は思った通りの行動をした。


「はー、なんや寝転がってたら疲れたな」
「……あ、隊長、よかったらこれから夜ご飯食べに行きませんか?」
「あ?」


 思い出したようにお誘いを申し出ると、間抜けた反応をされてしまった。思ったより鈍い。もしかしてもう食べちゃったかな。ぽかんとわたしを見下ろす隊長を同じ顔で見上げる。


から誘ってくるなんて珍しなァ」
「たしかに。無理にとは言いませんけど…」
「うそやん。行く行く」


 へらっと笑った隊長に、はあ、と適当に返事をして踵を返す。執務室を出て並んで廊下を歩く隊長が上機嫌に見えるのは気のせいだろうか。横目で盗み見ると、なぜか自分も口角が上がった。バレたらなんだか恥ずかしいので、さりげなく口を隠した。





「――て、おまえらもおるんかい」
「真子〜〜!こっちこっち!」
「おう真子。お疲れ」


 先に料亭に行ってもらっていた九番隊の二人と合流する。白のご要望通りおいしいお刺身が食べられるお店だ。海鮮料理が絶品、おいしいお酒も飲めるため、死神の間でも有名なところだった。壁際の座敷に座る二人の向かいに隊長と並んで着席する。このメンバーでのご飯は初めてだったけれど、馴染みがないのは六車隊長とわたしくらいだし、今日のことがあって打ち解けていたので問題なかった。


「真子ー、にちゃんとごめんなさいした?」
「そもそも喧嘩してへんわ。俺とはいつでも仲良しこよしやっちゅーねん」
「初耳なんですけど」


 横目で見遣ると楽しそうに「なー?」と首を傾げる隊長と目が合った。うわあとわざとらしく顔を歪め、お冷を手に取る。すぐ適当なこと言うんだもんなあ。
 釈然としないまま、白が先に注文してくれた料理の内容を聞きながら、ふと、さっきの隊長の左手は冷たかったな、と思い出した。同時に、以前頬に当たった指の背の感触を思い出し、密かに頬を手のひらで覆ってみるのだった。


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