駆け寄ったのはどうにかして綱海を助けようと思ったからだ。でもかける言葉が見つからなくて、言えたのは「放課後話そう。部活でもサボれよ」なんて台詞だった。何かを悟ったように笑って了解した綱海をあんなので救えたなんて思えない。放課後話すこともないのに。
そのときはまりちゃんにバレるかもなんて考える余裕はなかった。結果、当然のように綱海のすきな人がバレてしまったのだけれど、彼女は誰にも言わないよと言ってくれたので信じようと思う。


「なんかなー、俺気付いてたんだよな」
「え」
「でもそれ言ったら認めるみたいだし、かっこわりいし、だから黙ってた」


放課後、誰もいない教室で綱海は全開の窓枠に腰掛けながらそう話した。信じ難い事実にいよいよわたしの心臓はえぐられたような感覚に陥る。気付いてないと思ってた。自分のすきな人のすきな人を知ってしまう絶望に綱海はずっと耐えていたのか。そんなのつらいに決まってる。わたしはその感覚を知っているのだ。でも仲間意識なんて甘い言葉で片付けられる話じゃない。


「おまえも気付いてたろ?鋭いもんな」
「……気付いてて言わなかったこと怒ってよ」
「なんでだよ。俺を落ち込ませないようにしてくれてたんだろ?サンキューな」
「……」
「…泣いてんの?」


首を振る。それと同時に零れた。俯いたらきっとバレない。同情はしてほしくないだろう。今わたしは完璧に、綱海に同情してこんなことになっているのだ。隠したい。同情されて泣かれるなんて綱海が余計惨めになるだけだ、ああ頭が回らない。涙をこらえるので必死だ。


「かっこわりーよなあ俺」
「…かっこ悪いと思うのは、わ、わたしが、綱海の事情を知ってしまってるからで、もし綱海が一人で頑張ってたら、あの場でおまえが自分をかっこ悪いとは思わ、……ごめんね、首突っ込むだけ突っ込んで、何もしてあげられなかった」


そして堰を切ったようにボロボロ零れる涙、ひっくと嗚咽が漏れた。鼻水もすすってしまった。ああもうバレた。ごめん綱海。おまえが一番つらいのに、わたしが泣くなんて安すぎる。慰めの言葉も掛けられないのだ。だから自分が傷ついたみたいに、おまえの傷を肩代わりするみたいに泣くしかできない。全部自己満足なのに。


「あーーー!!」
「!」
「…叫んだらすっきりした」
「え、」
「嘘。おまえがいてくれたからだな」
「……」


だから、そんな言葉、わたしに受け取る権利なんてない。だってわたしは、一方通行の維持でもいいと思っていたし、成就だって回り回って自分のためになると思って、

おまえの幸せを本気で願っていたんだよ。


「さっきおまえ、俺だけで頑張ってればって言ったけど、一人じゃやれてなかったって。おまえに報告すんの楽しかったんだぜ?……ま、まだ吹っ切れてねーけど。でもサンキューな」
「お礼を言われるようなことしてないよ…」
「かーっ!ほんといい奴だなあおまえ!な、本当にすきな奴いねーの?おまえだったら絶対上手くいくと思ぜ?」


空元気だろうか、とてもそうは見えないいつも通りの、太陽のような笑顔がわたしに向けられた。もうそれだけで、報われたと思うのだ。わたしがおまえのためにやったことは、実りはしなかったけれど、少しも間違っていなかったし、無駄じゃなかった。やはりこの気持ちは墓まで持って行くしかないのかもしれない。綱海に押し付けたり捨てられる自信がない。
指の腹で乱暴に涙を拭う。綱海の見当違いな質問に小さく笑えるくらいには心の余裕があった。


「実はわたしだいぶ前に失恋してるんだよね」
「え、そうなのか?…あー、じゃあ、俺と同じなんだな」


そうだ、わたしと綱海はいろいろ同じだった。何度感じただろう。「にしても馬鹿だなーそいつ」頭の後ろで腕を組みそう言う綱海を一度見て、それからまた地面に戻した。やっぱり微塵も気付いていない。きっとそれは、せめてもの救いだったのだろう。


「ほんと馬鹿なんだよねー…でもすごくすきなんだよ」
「今も?」
「………うん。すきだ」


こんなことを本人に言うのはこれが最後だ。気付いてほしいなんて思ってないよ。

いいこと教えてやろうか、女の子は特別に弱いんだよ。八重くんはあくまでさり気なくだけど滝口さんを特別扱いしていたよ。綱海、あんなにわかりにくい特別で、滝口さんに気付いてもらえると思ったら大間違いだ、ばか。

例によって五時前になり、教室を出た。感傷はもう癒えたなんてことはないだろうけど、いつもと変わらないペースと歩幅で歩き進む綱海の少し斜め後ろを、わたしも変わらず歩く。「もうこうやって会うこともないかなあ」何となしに呟いたそれに綱海はすぐさま振り返ってくれた。


「なーに言ってんだよ!俺ら友達だろ!また話したいことあったら声掛けるぜ、今度はお互いにな」
「…うん、そうだね、もう隠れる必要もないしね」
「おう!」


笑う綱海はやっぱり太陽みたいだ。沈んでいくそれでさえよく似合うんだ、とぼんやり思った。