一瞬何も言わずに忘れ物だけ取って帰ろうと思ったけど、同じクラスの友達としていかんと思った。


「あ、滝口さん」


白々しく声を掛けると教室に一人ぽつんと窓の外を眺めていた彼女はパッと振り返ってわたしを見た。


ちゃんやっほー。忘れ物?」


屈託のない笑顔で手を振ってくれる。「うん」わたしもにこにこしながら振り返す。窓側の自分の席まで行って机の中から数学の問題集を取った。それから前の席を借りて座っている滝口さんをまた見たら最初と同じく窓の外を見ていて、わたしもそっちを見てみるとサッカー部と陸上部がそれぞれ練習している風景があった。よくあることだ。わたしはその光景が何を意味してるのかわかってるけれどそこには触れないよう努める。


「滝口さん誰か待ってるの?」
「うん、奈美待ちー。図書委員なの」
「あ、そっかあ」


たぶん嘘ではない。滝口さんは奈美ちゃんといつも一緒に帰ってる。でも教室で、わざわざ人の席を借りて外を見てるのにはそれとは別の明確な理由がある。なければおかしい。それをわたしは知ってるのだ。知っていてわたしは、滝口さんと同じように外を向いて、まるで自分のためにならないことを言う。滝口さんのためにもならないし、ましてや綱海のためにもならないんだと思う。


「サッカー部やってるね」
「ん?ねー」
「あ、綱海だ」
「えー?あ、ほんとだーあいついつも笑ってるよねー」
「ねー」


何がねーだ。馬鹿かわたし。綱海がいつも笑ってるなんてことあるわけないだろ、いつもあんな真剣に、

真剣にあなたのこと考えてるんだよ綱海は。気付いてよ。

でも綱海にとってそのことは気付いてほしくないことなのかもしれない。多分奴は滝口さんの前ではいつも明るい人でいる。すきな人の前で取り繕うとかアピールするとかをよしとしない綱海ではあるが、そこは努めて笑顔でいる。まあ滝口さんの前だけというわけではないけれど。今も本当にサッカーが楽しいのか笑顔だ。
滝口さんを横目に、目立つピンクの髪の綱海を目で追って、自己アピールをしない綱海に代わってわたしがアピールをする。本音がバレないように、綱海の株を上げるために。


「綱海かっこいいよね!」
「ね、そうだねー」


もう滝口さんは綱海を見ていなかった。代わりにさっきまで目で追っていた人をじっと見ている。…勝ち目、ないのかなあ。


(八重くん…)


滝口さんは八重くんのことがすきだ。陸上部で明るくて笑顔が素敵だと評判の八重くん。綱海が滝口さんをすきだと知ってから彼女をずっと見ていたらわかった。わたしが知ってて綱海が知らないことである。言ってしまう勇気もない。

「どうして綱海じゃ駄目なんですか」喉までせり上がってきた言葉をどうにか飲み込んで、わたしは変わらないこの一方通行を継続していたいと思ってる。わたしは綱海をすきで綱海は滝口さんをすきで滝口さんは八重くんがすき。その先は怖いから考えたくない。

どうして綱海に言ってしまわないのかというのは、だいぶ前に考えて結論が出てる。
わたし綱海ががっかりするところ見たくない。それだけだ。

このままでいい、なわけないのに、誰も得しないのに、このままが一番安定してると思う。違うのかな。考えてもわたしは知るばかりで、知ってるだけで何も動かないと思う。これが駄目なこととも思わない。だって、だから、わたしはただ、綱海が幸せであってほしいし、自分の幸せの優先順位は一番だけど、でも綱海が本当の悲しいことを知ってほしくない。わたしの本当の悲しいことはそれだから、最低を知らないわたしは綱海の幸せをぐいぐい持ち上げて順位一番にしてみせる。綱海が滝口さんをすきで滝口さんも綱海がすき。これが正解であるのがわたしの理想の正解。二人がくっつくならわたしはきっと諦められるから、巡り巡ってわたしのためにもなると思う。
一方通行の継続か綱海の恋の成就。どっちかならそれでいい、それ以外は駄目。

ねえわたしが綱海かっこいいって言って滝口さんの綱海の株上げられたかな綱海のためになったのかなあ。全然そんな感じしないよだって滝口さんは八重くんのことがすきなんだ、その気持ちが大前提なんだよ。わたしが滝口さんの立場だったら、株は下がらないけど絶対上がりもしない。八重くんかっこいいよねって言われたってそうだねって言うだけだよ。でも綱海は、綱海は綱海は綱海は綱海は、本当にかっこいいんだよ気付いてよ。


どうして綱海じゃないの。


そろそろわたしは怒っていいんじゃないかと思えてくる。