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 でもあんな風に突き放されちゃって、聞かなきゃよかったなあ。その後悔は間違いなくて、その日の五、六限はろくに授業に集中できなかった。普段集中しているかと聞かれたら、ご飯食べたあとの古文と英語だよ?と聞き返したい。
 もやもやは早急に解決したいので、その日のうちに雅人くんを捕まえてごめんねと謝ったら気にしてねえよとあっさり返された。表情はどう見ても気にしたままだったので疑いの目を向けるとうぜえと肩を水平方向に回転させられ後ろを向かされた。放課後はそれで終わった。雅人くんはボーダーに行ってしまった。
 最初からわたしが謝りに来たら返そうと思ってスタンバイしてたんじゃないかと思わせるほどの「気にしてねえよ」には一体どういう意図が隠されてるのだろう。ちょっと気になって考えたけど、雅人くんが自分の体質に関して繊細だということしか思いつかなかった。でも、べつに馬鹿にしたわけじゃないのになあ。そしてそれは、わかってるはずなのに。何をそんなに気にするのよねえ。

 もやもやは解消できなくても風化してしまうものだ。一週間も経てばわたしは忘れてしまうし、雅人くんの態度もすっかり元どおりになってしまう。だからわたしはこうして、平気な顔で雅人くん家のお好み焼き屋さんにお邪魔して、荒船くんと鉄板を挟めるのだ。


「豚玉」
「じゃあわたし明太子もち〜」


 もはやメニューなんてあってないものだというように、テーブル隅に置いてあるそれには目もくれず注文するわたしたち。ややドヤ顔で四文字を発する荒船くんと意気揚々と手を挙げるわたしだ。何度ここで食べたと思っとるのかね。雅人くんはそんな光景を白けた目つきで見下ろして「はいよ」と気だるげに返した。雅人くんも接客の何たるかをまるで無視しては、愛想の一つもなく、注文を確認することもなく厨房に下がっていく。もう慣れた仲なのでいちいち指摘もしないし気にもならない。
 雅人くんの後ろ姿が見えなくなってから、くるっと前に向く。赤茶色の髪の毛が目に入る。短い前髪。荒船くんが帽子を被ってるのを見たのはいつかの休日だった。今はもちろん被ってないしこっちの方が見慣れてる。帽子被ってると、目元が影になるから顔怖く見えるんだよね。


「豚玉でいいの?一番安いやつじゃん」
「結局そこに戻ってくんだよ」
「遠慮ならしないでいいからね!」
「もうしてねーっつの」


 肩をすくめる荒船くんににっこりと笑う。荒船くんとは、倫ちゃんに連絡先を教えてもらってからちょくちょく世間話をするようになった。その中でしつこく次いつ雅人くん家に行くかを聞いてて、ついに今日がその日なのだ。わたしに奢られることを渋っていた荒船くんもようやく腹をくくってくれたみたいで一安心である。もはやわたしのエゴというやつかもしれないけど、借りは早く返さないといけない。なんたってわたしは、もやもやと同じで借りも忘れやすいのだ。多分。


「にしても、やっぱおまえら、普段は仲良いよな」
「わたしと雅人くん?」
「おお」
「それはね、やっぱ幼なじみだからね!」


 ポンと自分の胸を叩くと荒船くんも楽しそうに笑う。背中を背もたれに預ける彼はリラックスしてるみたいに肩の力を抜いている。そう、わたしと雅人くんはなんだかんだ、物心ついたときから高校三年生になった今までずっと、仲が良かった。雅人くんの性格や体質があってもわたしは愛想を尽かさなかったし、一見誰かといるのが面倒そうに思える体質の彼もわたしを頭ごなしに遠ざけようとはしなかった。もうわたしは雅人くんと仲良しなのが普通だと思ってる。だからこないだの喧嘩も、すぐに仲直りするのが当然だと思ったのだ。


「そんなずっと一緒にいて、すきになったりしねえの?」


 世間話の一部、他意は微塵もありませんとでもいうように、至極サラッと問われた疑問にわたしは目をパチパチ瞬かせた。なんというか、荒船くんの口からそういう話題が出てきたことに驚いたのだ。それに、ずいぶんトンチンカン。


「え!ないよ〜全然!雅人くん怒ると怖いし!」
も負けてねーよ」


 今度は呆れたように返す荒船くんに、どういう意味だ?!と突っ込む。雅人くんの凶暴さにわたしが勝てるわけないじゃないか、やだなあ!
 わたしと雅人くんの間にそんなかわいいものがあるわけがない。仲良しとラブのすきは違うのだ。荒船くんにはそう見えたのかな、思うとちょっと愉快で、どうして楽しいと思ったのかはわからなかったけど深くは考えなかった。だってそんなことは、考える必要もないことだものね。


「それに雅人くん、そんなこと言ってきたことないし!」


 今度こそまさに、雅人くんに聞けばすぐ明らかになる問題だ。わたしが雅人くんをどう思ってるか。もし荒船くんが言うような感情を向けてるのだとしたら、きっとすぐ雅人くんは教えてくれるだろう。タイミングはいくらでもある。こないだだって言ってくれたはずだ。


「さすがにわかっても言わねーだろ」
「言うよ!」


 きっぱりと言い切れる。感情の機微に鈍感なわたしは雅人くんの敏感さを心から信頼していた。言われないとわからないもの、わたし雅人くんのこと、すきだけど、荒船くんが、なんなら倫ちゃんたちも言うような感情は、多分誰にも抱いてないと思う。


はなかなか流されねえな」


 荒船くんが呆れたように笑う。その笑顔を見上げて、首を傾げる。そうかな?そう思ったことは、一度もないのだけど。

 お好み焼きのタネを運んできてくれたのは雅人くんのお父さんだった。そのとき雅人くんは丁度他のお客さんの応対をしていて忙しそうにしてたので、「ちゃんの分は荒船くんが焼いてくれだと」と伝言を伝えたお父さんにおとなしく頷いた。今度こそ荒船くんの分を焦がさないように…!と決意しタネのボウルを手元に持ってくる。もう一度雅人くんの方を見るも、手書きの伝票に目を落としながら厨房に入ってしまい、様子をうかがうことはできなかった。
 おじさんは厨房に戻っていき、また二人の時間が流れる。「まあ、そうだな」荒船くんの声に顔を上げる。彼はスプーンを使って慣れたようにタネをかき混ぜていた。


「カゲのすきなタイプとは違えし」
「……うん」


 なんでだろ心臓くるしい。



◇◇



 放課後夜ご飯代わりに食べたのだから帰る頃には日も暮れてるだろう。すっかり暗くなった外に出て、荒船くんを見送る。さすがに雅人くんも見送りには立ち会ってくれて、気ィ付けろよなんて心のこもってないことを言う。わたしも荒船くん相手に不審者の心配はしてないかなあ。ちらっと横目で、隣に立つ雅人くんを見上げる。二人がちょっとだけ、何やらボーダー関係の話(村上くんが8000ポイント超えそうだとかなんとか)をしたあと、荒船くんはわたしに向いて見下ろした。


、ごちそーさん」
「ん、いーえ!今日はどっちも焦げなくてよかったね!」
「ははっ、だな」


 一笑いして、じゃあなと軽く手を挙げる荒船くんにわたしも大きく手を振る。「またね!また一緒にお好み焼き食べよ!」帰路につく彼へとお見送りの言葉を投げかけるとそれにおうとの返事が返ってくる。荒船くんはやっぱりいい人だ。今日も快くお好み焼き作ってくれたし、話すのも楽しかったなあ。次またここ来るときはぜひともご一緒させて頂きたいね。
 にこにこしながら彼の後ろ姿を見送るわたしとは対照的に、雅人くんは早々に踵を返してお店に戻ろうとしたようだった。男の子同士だしそんな入念な見送りをすることもない。それにまだお店の手伝いが残ってるんだろう。わたしはもう、すぐそこの自宅に帰るだけだからいいのだけど。だから雅人くんからすぐに目を戻し、ぼけーっと荒船くんの方を眺めていた。


「おい」


 後ろから呼ばれる。雅人くんだ。特に考えず振り返る。お店の看板に当てられたライトが、雅人くんにも当たって影を作っていた。


「なに?」
「前聞いてきたこと、答えてやるよ」


 言われて一瞬、何のことかわからなかった。


「俺も、おまえは荒船のことすきだと思ってるぜ」


 そのことか、わかると同時にひどい虚無感に襲われた。それからやってきたのは、落胆だ。がっかりしたのだろう。


「……」
「あ゛?」


 それを感じ取った雅人くんの機嫌が悪くなる。彼は軽んじられるのが大嫌いだった。でも、わたしだって、今嫌な気分になった。心の余裕は、申し訳ないけど、ない。倫ちゃんや摩子ちゃんに言われたときは意外の一言に尽きて、ただただ驚くばかりだった。でもこのとき、わたしは確かに、ショックを受けていた。

 よりによって、雅人くんも、そう思うんだ。


「意味わかんねー…」


 吐き捨てるようにそう言った雅人くんははあと大きな溜め息を吐いてお店の引き戸に手を掛けた。「おめーも気ィつけて帰れよ」言いながら店内に入り、ぴしゃりと閉じてしまう。視線はアスファルトを映すばかりで、雅人くんの方はもう見ていなかった。見れてなかった。


「俺も、おまえは荒船のことすきだと思ってるぜ」それは、どうしてだろうか。絶交を切り出されたみたいに、痛く突き刺さったのだ。ここ数年感じてなかった痛みだ。なんて不幸な夜だろう。


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