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 遊ぶといっても高校三年生にもなったわたしたちが家にいてやることといえばテレビゲームとかひたすらおしゃべりすることくらいだ。それでも雅人くんと一緒に過ごすことはわたしの人生ではかなり大きなウェイトを占めるので、うんざりされながらも絡み続けたいと思ってる。とはいえ、クラスは小学校以来一緒になったことはないし、高校に入学してすぐボーダーに入ってしまった雅人くんとはそんなに多くの時間を過ごすことはなかったのだけど。年を重ねるごとに一緒にいる時間は減っていくのを、わたしも雅人くんもあんまり頓着しないで、さみしいとかも多分お互い思わないで、(少なくともわたしは)いたいときにいる、くらいの気持ちでいたんだと思う。そんなに話すことが多いわけじゃないしなあ。
 昨日も結局、雅人くんの部屋でゲームをちょっとしたあと、漫画を読んでだらだらしただけだった。少年漫画の熱い展開にわたしが盛り上がるも雅人くんは冷めた反応しかしないで別の漫画を読む。ねえねえと背中をバシバシ叩くとうるせえと三倍に返された。もうすっかり読んだ話だからって、そういうところがダメなんだよ、君はさあ!


「とか言ってたくせになんでまた来んだよ」
「わかってたくせにー」


 にこにこと笑いながら後手でドアを閉める。今日は土曜日、学校はない。暇を持て余してたわたしは、お昼ご飯のジャージャー麺を食べながら片手間に雅人くんに今どこにいるのか聞いてみたのだ。しばらくして、最後に残ってしまったきゅうりと長ネギをもしゃもしゃ食べていると、[家]と単語の返信が来たので、ごちそうさまをするなり着替えて飛び出した次第である。
 ボーダーの防衛任務とやらは休日にもあるって聞いてるけど、このお昼過ぎにも家にいるなら今日は非番というやつなんだろう。きっと仕事があるんだったら今ごろボーダーの基地に行ってしまっているはずだ。そうでなくても、雅人くんはボーダーに行きがちなのだ。今となってはお好み焼き屋さんのお手伝いなしに家にいることがどんなに希少か。


「来週はいる?」
「どっちも入ってる」
「じゃあ再来週は?」
「……」


 うんざりした顔でわたしを見上げて睨めつける雅人くんに目をパチパチ瞬かせる。わたしが首を傾げたところで彼はわざとらしく大きな溜め息をついてみせて、土曜だけだと答えた。よし、じゃあ再来週の日曜も押しかけよう。頭の中のスケジュール帳に書き記す。でもまた忘れちゃう気がするから、雅人くん再来週になったら教えてくれたらいいのになあ。

 紺色の重たそうな絨毯であぐらをかいてる雅人くんを見下ろす。ちょっと考えたあと、雅人くんの隣に腰を下ろした。彼がベッドに背を預ける位置だから、向かいに座るとわたしの方は背もたれがなくて困ると思ったのだ。そうでなくてもわたしは割と雅人くんと隣り合ってると落ち着く人間なので、ひどくためらいなく行動に移すことができた。
 雅人くんは嫌がったりしなかった。こないだ仲直りしに押しかけたときあっさり距離を取られてしまったのは、やっぱり君も少なからずわたしと会うことを気まずいと思ってたからなんじゃないかね。そうじゃなかったら、ううん、よくよく考えたら、あからさまに距離置かれるのは嫌だよ。
 とにかく昨日に続いて今日も雅人くんの隣に落ち着くことができたのでよかった。雅人くんはベッドと四角いローテーブルの間に座っていた。机にしれっと投げ出された数学の問題集とノートに目を落として、きっと最初っからあんまりやる気なかったんだろなあとなんとなく予想して、ちゃっかり開いてる手の中の漫画に視線を移す。見覚えのある戦闘シーン。


「……昨日わたしが読んだとこ!」
「だったら何だよ」


 なんでい、昨日は冷たかったくせに、やっぱり雅人くんも大興奮のシーンだったんじゃん!ここの主人公の動きが、と身を乗り出して指を差すとバシンと漫画を閉じられる。挟まれた指は痛くなかった、けど、びっくりした。反射的に引っこぬく。


「ほらよ」


 テーブルに置いてあった別の漫画を渡される。背表紙を見ると昨日読んだ巻の続きということがわかり、おおー、と思わず口にして受け取った。


「ありがとー」
「ん」


 こういうとこ優しい。表紙をちらっとだけ見て、早速ページを開く。漫画はツルツルのカバーに指を滑らせるのが楽しいと思う。前にそれを言ったら雅人くんは意味わかんねえって言ってたけど。

 それから、静まり返った、は、言いすぎか、でも集中すれば時計の秒針の音だって聞こえるくらい静かな部屋で、わたしと雅人くんは黙々と漫画を読んでいた。普段の勉強では絶対に見せない集中力だ。ページをめくる音。ときどき足を伸ばしたり、ベッドに寄りかかる体勢を変えたりした。その中で、勉強イスに座ったりベッドに寝転がったりしてもよかったのに、けれどどっちもそこから動こうとはしなかった。腕と腕が触れ合っても、なんならわたしが雅人くんに思いきり寄りかかって読んでても、雅人くんは動かなかったし、おとなしく背もたれになってくれもした。

 二冊読んでちょっと疲れたわたしは、漫画をテーブルに置いて背伸びをした。ついでにあくびも出て、はあ、と息をつく。雅人くんは今やわたしに背を向け横向きにベッドに寄りかかりながら読んでる体勢だ。わたしもついさっきまで、雅人くんの背中を背もたれにしてベッドに寄りかかっていたのだ。そういえば、雅人くん何読んでるんだろ。今さら気になって背中越しに覗き込むと、どうやらわたしが読んでるのとは別の漫画らしかった。去年くらいにわたしも読んだけど、新巻が出てたんだろう、展開は見覚えがなかった。

 この角度からだと雅人くんの目はちゃんと見えない。残念だ、君の瞳はかっこいいと思うんだよ。頭の後ろ側、バサバサの黒髪にうずめるように、こつんと額を当てる。すうっと、目を閉じてしまえば雅人くんには届かない。


「……なんだよ」


 静かな声にすぐ目を開く。この瞬間、君はわたしの意識を受け取るのだ。ずっと前から知っている、君の不思議な体質。

 そういえば、聞いたことなかったなあ。


「雅人くん、わたしがいつも刺す感情は不快?」


 滅多にしない喧嘩以外で、という意味は汲み取ってくれるだろう。わたしが普段、意識せず雅人くんに刺してるだろう感情は、彼にとっていかがなものなのか。刺さり方には色々あるって、不快なものもあるんだって言ってた。わたしは言われなきゃわかんないって言ったけど、雅人くんは毎回毎回わたしが何を思ってるか事細かに言うわけじゃない。それでも雅人くんはわたしの意識や感情を受け取ってるはずなのだ。指摘するまでもない、恒久の感情を。


「そうだったら今ごろとっくに縁切ってるわ」


「……そっかあ」背を向けたまま返ってきた言葉に、目を細めて笑う。冷たい言い方だけど、言ってることは超優しいなあ。雅人くんもわたしを良く思ってるんだ。怒気はこれっぽっちも含まれてないよ。


「雅人くんってわたしのこと結構すきだよねえ」


 ぐふふと下品な笑い声を漏らすと雅人くんの身体がピクッと動いた気がした。わたしはというとそれには頓着せず、視界に入った壁掛け用のカレンダーに顔を上げていた。「…あっ」雅人くんに寄りかかっていた上体を起こし背筋を伸ばす。雅人くんを見る。彼が振り返る。


「あ?」
「来月雅人くんお誕生日じゃん!プレゼント何ほしいー?」


 ぺしぺしと肩辺りを叩いて催促する。六月の頭は雅人くんのお誕生日だ。大したものじゃないけど、毎年プレゼントはあげてる。わたしのときもしかりだ。「あー…」のっそりとベッドから離れ上体を起こした雅人くんはそれから向きを変え、背中でまた寄りかかった。その横顔は面倒くさそうで、でもちゃんと考えてるようだ。何が欲しいって言うんだろ。「わたしにあげられるものにしてねー」冗談まじりに間延びした声で言うと雅人くんの目がギョロッとわたしに向いた。距離は近いから瞳がよく見える。夜の月の色だ。わたしの足はお母さん座りから崩していて、膝小僧が雅人くんの腰に当たっていた。


「……おまえは俺の何なんだよ」
「え、友達だよ!」


 一瞬びっくりしてしまった。何を聞かれたのかと思った。でもちゃんと考えてみれば至極単純なことで、わたしと雅人くんの関係を答えればいいだけのことだった。紛らわしいなあ、だってなんかちょっと、雰囲気違ったよ。

 改めて考えなくてもはっきりしてるよ。わたしにとっての雅人くん。一番の友達。大事な幼なじみ。

 じっと見つめてたので伝わったんだろう。雅人くんは肩の力を抜くように息を吐きながら、柔く目を閉じた。背筋を曲げ、わたしの方へ上体を傾ける。頭を首元へうずめるようにもたれかかった雅人くんの髪の毛がくすぐったかったけど、ちっとも嫌じゃなかった。


「よく知ってる」


 その声は、呆れすら含んでなかったと思う。安堵の方がよっぽど近いだろう。雅人くん嬉しそうだ。珍しく君の思ってることがわかった気がするよ。両手を伸ばして、雅人くんの背中に触れる。同時に、さっきの言葉を反芻していた。


(不快だったらとっくのとうに縁切ってるって)


 ということはわたしは雅人くんにとって不快な感情を向けてない。そりゃー、普段傷つけようなんてちっとも思ってないから当然なんだけど、わたしの主観と雅人くんの感じ取り方は、必ずしも一致するとは限らないってことは、何となく見ててわかってた。だから、雅人くんにとってもいい感情でよかった。

 笑みを浮かべながら、雅人くんの頭にもたれかかる。そうして祈るように、心の中でつぶやくのだ。


 どうかわたしの感情が、雅人くんを刺し殺しませんように。


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