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「雅人くん今日ボーダーないの?」
「………ねえけど」
「じゃあ帰ろー!」


 わーいと言わんばかりのテンションで駆け寄ると雅人くんは鬱陶しそうに顔をしかめて周りに目を向けたあと、その顔のままわたしを迎えてくれた。なんだいその表情。ちっとも嬉しくないけど、無愛想なのが雅人くんだからしょうがない。

 放課後の廊下でたまたま遭遇したのだ。彼の後ろには穂刈くんや村上くんもいたけど、空気を読まず突撃しても案の定二人は気を悪くする様子はなく、むしろ「よかったなカゲ」と喜んでくれるのでいい人だ。よくねーだろランク戦やるっつったろが!と突っ込んでる雅人くんの声は聞かない。空気はあえて読まないのだ。
 わたしのあとから教室を出てきた倫ちゃんや摩子ちゃんと北添くんも交えてちょっとした集団となって昇降口まで行く。どうやら今日シフトが入ってるのは摩子ちゃんの隊と村上くんの隊だけらしく、穂刈くんは合同訓練とやらを受けにボーダーへ、倫ちゃんと北添くんは直帰するつもりだとのこと。ちなみに雅人くんはというと、声を大にして直帰である!

 隣のクラスを覗くもボーダー仲間はもういなかったらしい。A組っていつも早く終わるもんねと話す倫ちゃんと摩子ちゃんの後ろに付きながら歩いてると、「おい」と更に後ろから声をかけられた。もちろん雅人くんである。


「一応聞いてやる」
「うん?」
「何か用あんのかよ」
「ない」


 即答するとべシンと頭をはたかれた。ひどい!後頭部を押さえながら抗議するも「てめーのわがままなんざに付き合ってられっか」と凄まれる始末である。


「いいだろ。付き合ってやれば」
「今日は荒船もボーダー来ないから張り合いある相手いないってボヤいてたしな」
「……」


 雅人くんが苦く顔を歪める。穂刈くんと村上くんの後押しによって形勢がこちらに傾いたようだ。ありがとう!と思うと同時に、村上くんの台詞がちょっと気になった。歩きながら雅人くんの後ろにいる彼を覗く。去年の後半ボーダーに入ったという村上くん。あんまり大きく表情が変わらない人だけど、いつも静かに穏やかだからいい人だ。


「荒船くん何か用なの?」
「どうだろうな。用件は言ってなかったけど」
「ふーん…」


 荒船くんとはこないだの一件以来会ってない。謝りたいしお詫びもしたいんだけど、そもそも学校の違う荒船くんとはなかなか会う機会がない。雅人くん家のお好み焼き屋さんでときたま会う程度なのだ。連絡先も知らないし、まあ、知っててもわざわざこのためだけに連絡するのもなあと思う。倫ちゃんや雅人くんに彼のアドレスを聞かないのはそういう中途半端な感じだからだ。でもなんやかんや、会う回数は大したことなくても長い付き合いだし、そろそろ連絡先を交換しても許される気がする。実はわたし、荒船くんのことは人間的に結構すきなのだ。

 ふむ、と一人考えながら昇降口でローファーに履き替える。その様子を、倫ちゃんと摩子ちゃんが何か言いたげな目で見ていたことに、わたしは気付かなかった。


「……」


 ついでに雅人くんも、二人とはまた違った表情で、わたしを見やっていたんだそうだ。



◇◇



 ボーダーに行く組についてこうとする雅人くんの腕をぐいぐい引っ張って自宅への帰路に誘導した頑張りのおかげか、ボーダー組や直帰組の姿が見えなくなるより早く抵抗を諦めたらしい彼は今やおとなしくわたしの隣を歩いていた。顎に下げたマスクをつけ、スラックスのポケットに手を突っ込んで歩く様は完全に不良である。もうすっかり見慣れてしまったけど。チラッと見るとすぐに目が合う。


「なんだよ」
「ん?悪いこと考えてた?」
「べつに。つか俺に判断任せんのいい加減やめろ。うぜえから」
「もうクセついちゃったから無理だ」


 あははと笑って進行方向の前を向く。雅人くんの言うとおり、変わった体質の彼のそばにずっといたもんだから、わたしは自分の感情が何なのか、雅人くんに判断を任せ切ってる節がある。ずっと昔はこんなんじゃなかったはずだけどなあ、とも思うけど、現状に特段不満はないので変わる予定はない。それに、雅人くんから返ってくる答えはことごとく信用できるのだ。


「おめーは俺に期待しすぎなんだよ」
「そうなの?」
「ハッ、自覚してねえ。だんだんバカになってくなァ」


 それはどう意味だと口を尖らせると雅人くんはケラケラと笑った。おかしいな、ちゃんと隣の君を見上げてるのに、不快じゃないのだろうか。でも確かに気分は悪くなってない気がする。難しいなあ。感情って、自然とそこにあるものなのに、頭使って考えたって無駄な気がする。それにわたしには、正解がすぐ隣にいるのに。じっと、その幼なじみを見上げる。


「雅人くん。わたし言われなきゃわかんないから、ちゃんと教えてね」
「……ほらそういうとこだよ」


 目を細めて薄く笑う雅人くんに首をかしげる。はぐらかされた?それとも、ええと、そうか、今も雅人くんに期待してるのか。

 ああやっぱり頭を使うのは疲れるなあ。


「カゲ。


 声にパッと顔を上げる。向かいから歩いて来ていた人物に呼ばれたのだ。


「荒船くん!」
「おう」


 なんてタイミングだ!思わず駆け寄る。灰色のブレザーにチェックのスラックスという六頴館のおしゃれな制服を身にまとう荒船くん。彼も学校からの帰り道なのだろう。あれ、でも、荒船くん用事があるんじゃなかったっけ?内心首を傾げていると、荒船くんはわたしと、それから遠くの方へ順に目をやって、ああ、と得心した。


「そういやすぐ次の日仲直りしたんだってな」
「あ、うんそうだよ!」
「カゲにも言ったけど早えな。おまえらっていつもそんななのか?」
「えー、どうだろ、ねえ雅人くん」


 振り返ると思った位置にいなくて驚いた。あれっと真後ろまで振り向いてやっと、まだ離れたところにいる彼が見えた。わたしが駆け出した位置からほとんど変わってないじゃないか。随分ちんたら歩いてるなあ!「雅人くん!」呼んでもうんざりしたような顔で睨むだけでスピードを上げようとしない。さっきまでケラケラ笑ってたくせにその豹変っぷりは何なんだろう。まあいっか。くるっと向き直る。


「荒船くん、今日は用があるって聞いてたけど」
「ああ……ちょっと買い物にな」
「へえ〜何買うの?」
「まだ決めてねえけど。プレゼント」
「誰に?」
「親にだよ。あさって母の日だろ」
「おー…!いい息子だねー!」


「だろ」ニッと歯を見せて笑う荒船くんにうんうんと頷きながら拍手を送る。そっか、もう母の日かー。荒船くんいい人だなあ。わたしも何か買ってプレゼントしようかなー……じゃなくて!それよりも!


「荒船くん!こないだお好み焼き焦がしたお詫びにお好み焼きおごりたいんだけどいいかな?!」
「は?いやいいっつの。普通にうまかったし」
「わたしの罪悪感が拭えない!」


 自分の胸に手を当て迫る。遠慮せずに、とずいっと一歩踏み込むと、荒船くんは一歩後ずさってお、おうと剣幕に押されて了承してくれた。やった!思わず軽く飛び跳ねてしまう。散々迷った末の提案だったのだけど、多分これが一番まともだと思ったのだ。OKしてもらえてよかった。


「マジでいいんだけどな…」
「今度お好み焼き食べるとき教えて!雅人くん家駆けつけるから!」
「おー」


「だとよ。よろしく」軽く手を挙げた荒船くんの視線にまた振り返る。今度はちゃんと思った位置に雅人くんがいた。ようやく追いついたみたいだ。勝手にしろとあしらった雅人くんとわたしを順に見たあと、荒船くんは「じゃあな」とわたしたちの横を通り抜けて行った。それに手を振って応える。この方向だと、あのデパートに行くのかな?いやあ、ちゃんと母の日を祝うなんて、いい人だなあ。
 ねえ雅人くん、と顔を見上げる。バサバサの黒髪で隠れた目がギョロッとわたしを見下ろす。


「荒船について行きゃあいーじゃねえか」
「え」
「俺いねえ方がよかったろ。バーカ」
「やだよ!」


 即答。雅人くん今日は随分と的外れなこと言ってくるなあ!わたしが何のために雅人くん無理やり引っ張ってきたのか、わからない君じゃないだろうに。


「だって雅人くん今週ずっとボーダー行っちゃってたじゃん!わたしとも遊んでよー!」


 はあ、と溜め息をつく雅人くん。ほら驚かない。雅人くんわかってたくせに、言ってほしかったのかなあ。わたしの感情わかるくせに、言葉としてちゃんと聞きたいのかも。その気持ちは、でも、なんとなくわかるな。

 雅人くんと遊ぶの大好きなんだよわたし。って、言ってほしいならいつでも言うよ。だから呼んだらもれなく遊んでよねえ。


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