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 作戦室のソファに音を立てて座る。ドサッと自分の体重分沈む感触はいつも通りで、それなら座り心地は悪くないはずだった。が、左の肘掛けに腕を置き大きく息を吐き出したところで俺にとってのリラックスには程遠かった。胸糞悪ィ、なんでこんな気分にならなきゃなんねえんだクソ。頭の中で悪態をつくとすぐさま厄介極まりない幼なじみの泣き顔を思い出し、舌打ちをした。間違いなくおめーが原因だ。
 家に帰るとまた面倒なことになりそうだったから基地に来ただけで、任務は入ってないから放課後の時間は完全に暇だった。思った通りゾエらの姿はなく、この作戦室は俺以外人の気配がなかった。それがよかった。誰の目にも入らないところにいたかった。隔離されたこの空間には俺しかいない。他の奴らはそう入ってこない、ましてやなんざ。

 あいつは荒船がすきなんだろうと思い始めたのはいつだったか。店で荒船と楽しげに話すを見て唐突にダメージを受けた記憶は確かにあるが、もはや見慣れすぎて随分前だろうきっかけは思い出せなかった。そのうち荒船をすきになったと嬉々として報告してくるんだろうと漠然とした予想があったが、よくよく考えればそんなことが起こるはずがなかった。は小学生あたりから、とみにバカになっていったのだ。

 自分で考えることをやめ俺に答えを求めるようになった。昔でこそ満面の笑みを浮かべながら「とっても感謝してるよ」と、向ける感情と一致した言葉を報告してきたあいつは段々と自分の感情を持て余すようになり俺に頼るようになった。もともと他人の感情の機微には疎かった節はあるから、いよいよ真空空間に投げ出されたみてえにわからなくなったんだろう。
 そのが、自分の感情を正確に認識したうえで俺に報告してくるなんざ、あるわけがなかった。その結論に達したあとで本人から「わたしって、荒船くんのことすきなの?」とひどく間抜けた問いかけをされたときは、そうきたかと思うと同時に鈍い痛みに心臓を刺されたもんだ。


「ふー……」


 長く息を吐き出してから、強く噛む。そうだおめーは荒船のことがすきなんだよ。何年見てきたと思ってんだ。荒船に対する態度が小学生のガキの頃すきだった男に接するときと見事に一致してんだよ。俺に直接感じることはねえが、おまえにとってそういうのが、恋愛としてのすきってことなんだろ。こっちはそれでいいと思ってんだ。
 背もたれに深く寄りかかった体勢のまま、目の前のローテーブルに置いてある自分のトリガーと黒のノートパソコンに目を落とす。パソコンの方は明日からのB級ランク戦に備え昨日ゾエが出していた。とはいっても今回俺らの出番があるかは知らねーが。解説に掴まんねえようには気をつけねーと。
 そういや今日、鋼が孤月で8000点を超えたっつってたな。そこらの奴よりずっと早いスピードでポイントを稼いでるのはさすが強化睡眠記憶っつーとこか。まあ負けるつもりはねえから、模擬戦するときはガリガリ削ってやっけどな。

 ああそうだ、ソロランク戦やるか。どうせ埒あかねえ、ここでずっと時間を持て余すのも癪だしなとトリガーを持って立ち上がる。そのまま私服のトリオン体に換装し、両手をポケットに突っ込みながら作戦室を出た。

 と、目の前の通路を横切る男の姿が。


「お、カゲ」
「荒船。……?」


 自分の隊専用の黒いキャップを目深に被った男は通り過ぎようとしたのを立ち止まり振り返った。帽子のツバが目元まで影を作り人相を二割ほど悪くさせている。前から思ってたがこいつ普段と帽子被ってるときで印象違えよな。まあ帽子なんてそんなもんか。それよりも。荒船の右腕に抱えられたそれへと視線を移す。


「穂刈のか?」


 どこからどう見てもイーグレットだった。孤月使いのアタッカーである荒船にはおおよそ似つかわしくない武器で違和感を覚えずにはいられない。それどうしたんだよと問えば「少し試してえんだ」と淀みなく返ってくる。……はあ?訝るように眉を歪めると荒船はなぜか得意げに鼻を鳴らした。


「近々スナイパー行こうと思ってな」
「は?」


 ガシャンとぎこちない動きでそれを構え銃口を俺に向ける荒船。スコープを覗いた先で俺を捉えているのはわかったが、撃つ気がないのも明らかだったので大げさなリアクションはしなかった。代わりにこれ見よがしと溜め息をついてやる。


「似合ってねえぞ」
「ほっとけ」


 そう言った奴もハッと笑って持て余すように武器を下した。その不自然な動きからしておそらく今日初めて握ったのだろう。似合う似合わないはさておきランク戦の相手に誘いたかったが、これから作戦室の訓練場で試し撃ちすんだろうからやめておく。荒船は察したのか「ソロランク戦の相手なら明日してやるよ」と言ったが、明日はボーダーに来るつもりはないことを告げると、そうか、とすぐに引き下がった。
 しかしこいつ、なんつーか、自由だな。おめーがスナイパーになったら隊全員スナイパーじゃねえか。そんなとんがった戦い方で大丈夫かよ。まあそれはそれで面白そうだけどな。今期のランク戦でやんなら久々に観戦しに行ってもいい。思いながら、両手で持つイーグレットに目を落とした荒船に、「健闘は祈っとくわ」と声をかけて踵を返す。荒船隊の作戦室とソロランク戦のブースは反対方向だ。背を向けると呼ばれるのより先に意識が刺さる。「カゲ」振り返る。


、前向きに頑張るっつってたぜ」
「……」


 らしくニヤッと口角を上げる荒船に返す言葉が見つからなかった。少ない奴のそれで意図を察してしまった。向けられる感情とは別に顔をしかめる。
 単純に応援してやがんだろう。こいつ知らねえんだ、俺や加賀美らが、はおまえをすきなんだと読んでることを。そう思わせるようなことがおまえとの間で事実として確認されてるっつーのに、おまえもさては鈍感か。「それとカゲのすきなタイプ聞かれたからよ」の顔がちらついた。


「おとなしい奴がすきそうだっつっといたんだけど、合ってるか?」


 一度、胸を叩かれたような衝撃。そこから心臓はどくどくと脈打ち、数時間前目の前にいた女の笑顔がフラッシュバックした。下手くそで気持ち悪い笑い方だった。本当はすげえ腹立ててた。俺も飛んでくるパンチをかわすつもりでいた。それなのにあいつが浮かべたのが、あんな、二度と見たくねえような、むりやり作った笑みだったから、俺も腹が立ったのだ。

 察してしまった真実に半ば呆然とした。
 もしかしたらあの不自然極まりなく不快だったの言動は、俺のためだったのかと。





 寝返りを打つ。薄く目を開けば、何てことない、見慣れた自室が視界に映った。中途半端に閉めたカーテンの隙間から日差しが漏れていた。今日は一日何もない土曜だ。ベッドから見える時計の短針が10を指しているのを何となく眺めながら、俺はもう一度ゆっくりと目を閉じた。

 今までといれたのは、あいつから向けられる感情が大体いいものだったからだ。もしそうでなく、疑念や恐怖でやましさのはらんだ感情を常に刺されていたら、俺はとっくのとうに縁を切っていた。

「ねえわたし、今とっても感謝してるよ、わかる?」ガキのが俺を覗き込む。わかってる、感情の刺さり方はおまえから教わった。いい感情も悪い感情も、移り変わりやすくて嘘つかねえおまえが教えてくれたんだ。おまえが人の機微を察せねえバカになったのは俺がそれの判別がつくようになったからで、なおかつおまえが俺に頼りきりになれたのは俺に対するやましさがないからだ。惜しみなく向けてくる純粋なる「友愛」は、俺を殺す気配もなかった。それで十分だと思っていた。

 ……とかいってそのくせ、あいつから好意を受け取ったとき、一瞬でも期待したんだから救えねえわ。

 あいつの気の迷いだと思って距離置いてたのに目ェ合うと嬉しそうにしやがるし真綿みたいな感情で刺してくるし意味わかんねえ。きわめつけは昨日の一件だ。隠すつもりもなく、能なしみてえな方法で俺の気を引こうとした。
 バカ、クソ鈍感女。全然おとなしさ出せてねえよ、そもそもおまえにおとなしさなんざ求めてねえよ。そんなつまんねえことするくれーなら、ハナから嘘なんてつくんじゃねえ。


「……」


 もう一度寝返りをうって枕に突っ伏す。大きく息を吐き出すが昨日の作戦室と同様にすっきりすることはなかった。
 舌打ちをしたタイミングで、枕元に放り投げてた携帯が鳴った。短い着信音が切れたそれを手に取り、縦長の画面を覗く。


[今どこいる?]


 ……だから何なんだよおめーは。

 から向けられることはないと思っていた感情。このクソ能力に関して、不幸中の幸いといえるほど能天気じゃねえが、感情が刺さるのが自分の方でよかったとはしみじみ思う。もし自分の感情が相手に刺さったらと思うとゾッとする。

 長い間くすぶらせているおまえへの感情が伝わってたら、さすがのおまえも底なしの友愛を俺に向けることはなかっただろうよ。

 ああでも、おまえは今も変わんねえか。


 いっそ、その柔い感情で殺してくれりゃよかったのかもしんねえ。


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