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 ゴロンとベッドに仰向けに寝転がる。天井で埋め尽くした視界の中心に掲げた携帯電話の画面にはメッセージのやりとりが映し出されていた。次第に焦点はズレていきぼやける。相手側からの疑問系を最後に、わたしの指は止まっていた。

 そういえば、我慢ができないこの気質を、雅人くんが怒ったことはなかったなあ…。

 今日雅人くんがボーダーに行ってないということは今やりとりをしている倫ちゃんから聞いて知った。その倫ちゃんは荒船くんから聞いたと言ってたので、雅人くんにわたしが様子をうかがってることは知られてないだろう。とはいえ、いつもは直接聞くのに他の人を介したものだから、倫ちゃんからは当然訝られた。


[また喧嘩したの…?]


 うかがうようにポツリと落とされた質問に、わたしは指を動かせなかった。ちがうよ倫ちゃん、喧嘩じゃないよ、わたしちっとも怒ってないもん。雅人くんのほうは、はっきりと怒って今もそうかもしれないけど。わたしだってあのときは腹が立ってグーで攻撃してやろうかと思ったほどだけれど、今はもう怒ってない。だから……ああでも、四月のことを思えば、これは喧嘩なのかも。わたしだけ怒ってたあのとき、怒ってなかった雅人くんはこんな気持ちだったのかなあ。

 携帯を持って伸ばしてた両手をパタンと左右に倒す。本人にメッセージを送ることをしなかったのは、返信が来ない気がしたからだ。それに、返ってきたとしても雅人くんはきっとボーダーに行ってるとか嘘つく、のかなあ。今まで居留守を使われたことはないはずだけど、でも今の状態じゃあ、どうとも言えないや。


「……、あれ?」


 思わず、声に出てしまう。途端、心臓がどくどくと脈を打ちだす。まるで重大なことに気付いたみたいに、息をするのもちょっとつらかった。

 雅人くんは、雅人くんの体質に関することには嘘をつかなかった。わたしが雅人くんを心底信用してることを知ってか、いつもわたしの期待に応えてくれてた。それがわたしの望んだ答えでなくとも、信用を踏みにじるようなことはしなかった。「わたし言われなきゃわかんないから、ちゃんと教えてね」まるまる寄りかかるわたしをバカにするわりには、なんだかんだ約束通り、何かあるとちゃんと教えてくれてたのだ。「ほらそういうとこだよ」……君、了解したわけじゃないのにさ。

 ねえ、もし君が、わたしからの信用を大事にしたいと思ってくれてるんなら。踏みにじるまいとしてくれてるんなら。それはきっと、愛なんじゃないかな。

 君は素直だ。


「俺もおまえは荒船をすきだと思ってるぜ」


 あの夜の雅人くんがカッと思い起こされる。ガバッと起き上がる。それからわたしはクローゼットを開けて急いで着替えて、携帯だけを持って部屋を飛び出した。階段を降りながらリビングの方へ声をかける。


「雅人くん家行ってくる!」


 お母さんのいってらっしゃいが聞こえると同時に玄関のドアが閉まり、わたしは一直線に駆け出した。すぐに立ち止まって、倫ちゃんに[喧嘩してないよ!]と返す。きっと間違ってない。わたし雅人くんと喧嘩なんてちっともしてない。わたしたちがするべきなのは喧嘩じゃなくて、ちょっとした話し合いだ。言葉数はうんと少なくていい。
 続けて彼に送ったメッセージにはワンテンポ置いてから返信が来た。


[家]


 ああ、もう、ばか、わたしも雅人くんも。





 ノックをしても返事が来ないのはいつものことだ。ガチャリとドアノブを下げて開けると部屋の主はベッドに寝転がりながら背を向けていた。ベッドはドアの壁に垂直に置かれているので、背を向けていても雅人くんの表情が完全に見えなくなるわけではなかった。雅人くんが横目でわたしを捉える。うっすら見える夜の目。わたしはたまらず、開けっ放しのドアのまま、口を開いた。


「もう怒ってないよっ」
「……言われなくてもわかるわ」


 そう言うと雅人くんはのっそり起き上がり、頭をガシガシと掻いた。そうだろう、雅人くんの揺るぎない不思議な体質だもの。わたしがどう思ってるかなんて一発だ。パタンとドアを閉めると辺りが静かになったように感じる。ずっと寝てたのだろうか、わたしはジャージ姿の雅人くんまでの短い距離を小走りで縮め、「っうお」そのまま彼の胸へとダイブした。起き上がったばっかの雅人くんと一緒に倒れる。


「……おいコラ」


 雅人くんのドスの効いた声が聞こえる。けれどそれには反応しないで、胸に顔を押しつけたままぎゅっと目をつむる。雅人くんへわたしの意識が届かないくらいぎゅっとつむる。雅人くんは低い声のきり抵抗をしようとはせず、さぞかしわたしが重かったのか一つ溜め息をついたあと重心を右に傾け、横向きに直しただけだった。両腕を巻き込んで飛びついたから身動きがとれないんだろう。もちろんそうだとしても、雅人くんの力であれば腕の力だけでわたしを振りほどくなんてわけないのだけど。

 もしもわたしが前までのまま君への友愛を惜しみなく与えていたら、君とはこんなすれ違いは起きなかったのかもしれない。でももう変わっちゃったよ。雅人くんを一番の友達と思ってた頃にはもどれないよ。「……雅人くん」どうしたってすきになってしまったの。ゆっくりと目を開く。顔を上げる。


「わたしの感情は不快?」


 だってわたしじゃわからない。わたしは雅人くんをすきで隅々までいい気持ちでいるけれど、雅人くんにとってこれが、いいものかは、雅人くんしか知りえないでしょう。
 金色の目がゆらめいて消える。閉じた瞳を隠すように、雅人くんはわたしの腰に手を回し、抱き寄せた。距離がなくなり顔は見えなくなる。


「おまえの感情はきもちいんだわ」


 ああでも、今雅人くんがどんな表情してるか、かんたんに想像できちゃうよ。


「……じゃあ受けとってよおー…」


 わたしは心底穏やかな顔の雅人くんを思い浮かべながら、目には涙を浮かべていた。こらえながら絞り出した声は明らかに震えていたので、泣きそうなのは簡単にばれてしまっただろう。


「……そうだなァ」


 ぎゅうと腕の力を込めると、雅人くんも抱きすくめるように頭を垂れわたしの頭に頬を乗せた。
 雅人くんは知らないのかな。こんなに近くにいたら、ごまかしたいことも全部わかっちゃうんだよ。ふつうより多い心臓の音が何よりの証拠だ。「雅人くんはバカだなあ」胸に耳を押し当てながら笑みを浮かべると、「おまえとどっこいどっこいだろ」と余裕そうな答えが返ってきたから、もしかしたら雅人くんは、わかっててくっついてるのかもしれない。

 だとしたらそれは雅人くんの優しさだと思う。今日の雅人くんはだいすきだ。


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