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「今日の雅人くんはだいきらいだ」


 両頬に手を当てそうのたまうの視線は俺の後ろを恨みがましく睨めつけていた。ひょうきんとも言えるほどいつも笑っている彼女の珍しく不満たっぷりなジト目を向かいで眺めながら手元にある銀色のヘラへ手を伸ばすと、目測を誤って皿からテーブルへ一度落ちてしまった。それを持ち直し、俺との間に横たわる食べる円盤へ。そう、お好み焼きである。
 の視線の先に誰がいるのか、その照準はわかりきっているのでわざわざ振り向いたりはしない。それより気になるのは目下のお好み焼きの焼き加減だ。ヘラを底に滑り込ませ軽く持ち上げる。ようやく固くなってきた生地に返し時はまだだなと確認し、銀色のそれを鉄板の端に立て掛けるように置いた。視界の隅で、ごちそうさまと言って出て行く大学生の男二人を捉える。
 顔を上げるとは自分のお好み焼きを覗き込んでいたらしく、両手で頬杖をつきながら「いい匂いしてきた〜」とのん気な声を漏らしたので、そうだなと軽く同意する。もういいのだろうか。


「カゲにひっくり返すの頼むか?」
「頼まないっ!今日は自分でやる」
「おう、頑張れよ」
「うん!…無理そうだったら荒船くんヘルプよろしくね」


 ピンッと伸ばした背筋をまた丸め、へにゃりと笑う。一瞬にして機嫌が直ったかと思ったがそこまで忘れやすいタチではないらしい。「しょうがねえな」それもそうだ、さすがに頬つねられてすぐ機嫌直るわけがねえ。嫌いだっつった瞬間直るわけが、なあ。そこまで謎な奴じゃない。という人間は。


「あーあ頬まだ痛い……今日ひっくり返すの失敗したら雅人くんのせい」
「もっかいつねってやろうか」


 ドスの利いた声に振り向くと案の定そこには不機嫌を露わにしたカゲが立っていた。頭にタオルを巻いた半袖のそいつを見上げる。正面を向いてたはずのも今気付いたのかカゲを見るなりぎょっとして頬を両手で覆い隠した。つねられガードか。


「こ、こんなとこで油売ってていいの!」
「水注ぎに来てやったんだろが」
「おう、サンキュ」


 半分ほど入ったグラスを差し出しカゲに渡す。不透明なプラスチックのピッチャーを持ち上げてみせたカゲに、も渋々とだが空のグラスを滑らせていた。まだ怒ってはいるらしい。本当に珍しいな。カゲとが喧嘩したとこなんて初めて見た。それにしては特別深刻でもないから、もしかしたら俺が知らないだけでこんなことは日常茶飯事なのかもしれない。
 とはいえ、見ていて楽しいものでもない。たっぷり入った水を受け取りながら、どうにかしろよ、とカゲに小声で言う、が、顔をしかめたそいつはのグラスに水を注ぎながら、心底面倒くさそうに顔を歪めるのだった。


「知るか。こんな奴落ちて当然だろ」
「なんでそんなこと言うの!」
「本当のこと言って何が悪いんだよ。ホラよ、不合格者!」
「わーーん!!」
「……」


 お好み焼きの焼ける音に負けず騒がしい六番テーブル。幼なじみ共のガキみたいなやりとりには呆れざるを得ない。遅すぎる昼飯、早すぎる夕飯みたいな時間だから店内に客がいないのがせめてもの救いだった。溜め息をつき、ふと目を落とす。のお好み焼きの方はもうひっくり返していい頃じゃねえか。


「もう一回受けようかなー…」
「……」
「何度やっても無駄だっつの」


 カゲがそう言い切り、はムッと口を尖らせて見上げる。顔を見ればわかる、はカゲに腹を立てているのだ。可能性は万に一つもないと言い切る、冷えた眼差しで見下ろすそいつに負けじと睨み返しているのだ。そういう根性ある姿勢は好ましいと思う。
 まあこればかりは俺もカゲに同意だが。


「てめえなんかがボーダーに入れるわけねえだろが」


 の両目が、じわりと潤むのがわかった。

 は今期のボーダー入隊試験を受け、見事不合格となった。というのはさっき店に入るなりカゲの「ザマーミロ!」との声と半べそのを見て察したのだが。ああ今日が試験日だったのか。とりあえず二人のいるところからやや距離を置いたテーブルに近寄ると、「荒船くん!ひどいんだよ雅人くん!」とが駆け寄ってきた。座ろうとしていたソファ席の向かい側に俺より先に座ったに何とリアクションしようか逡巡していると、「てめえこっちで焼いてやってんだろが!!」と後ろから怒鳴るカゲ(不器用なのお好み焼きはカゲが焼くのがお決まりだ)。おまえら他の客もいんぞ、と横目でそばのテーブルを見遣るが、男子大学生の二人は面白そうに彼らを眺めて談笑している。よく見ると何度か見かけたことのある顔だったから、カゲとのことはもうよく知っているのだろう。
「あっ……荒船くんこっちで食べよ!」腰を上げ手招きをしたにまあいいかと了承し、すでに鉄板でお好み焼きが一枚焼かれているテーブルに着席した。カゲがのために焼いているそれが敷かれて間もないのを何となく目で確認し、家の手伝いをしているその男に注文をする。時間が時間なので待つこともなくすぐボウルに入った具材が運ばれ、慣れたように自分の陣地の鉄板に油を敷き中身を流す。その間に言い合いがエスカレートしたのかカゲがの頬を思いっきり引っ張ったらしく、は涙目になりながらギブアップを訴えていた。

 が落ちた理由はもちろんトリオン不足なのだが、それを本人に伝えるわけにはいかない。けどカゲももっと言い方ってもんがあるだろ。思いながらの二本のヘラへ手を伸ばすその男を眺めていた。


「き、今日は自分でするから!」
「ハァ?どうせ失敗して二つ折りになんのが関の山だろ」
「なんないし!いざとなったら荒船くんにも頼むし!」


 お。突然振られ目を瞠る。ね、と同意を求めるに、まあ付き合ってやるかと思い頷く、前に、カゲがヘラから手を離した。


「あー…そうかよ」


 そう言い、あっさり踵を返すカゲ。それに若干不可解に思ったが、背を向けたそいつにどうだ見たかと言わんばかりにフンと鼻を鳴らしたが威勢良くヘラをつかんだのに目を奪われ言及することはできなかった。


「行くよ荒船くん!!サポートよろしく!」
「おいバカ待て、」
「ギャーー二つ折りになった!!?」


 だから言ったろが!!思わず怒鳴ってしまったが、俺らがいくら騒いでもカゲがこのテーブルに来ることはなかった。


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