「ごめんなさいタカ丸さん、明日の午前お休みもらっていいでしょうか」


ちゃんが休暇の要求をしたのはこれが初めてじゃなかった。業務には真面目に取り組むちゃんを普段から見てると奇行とも取れるそれは毎年決まってこの日に起きる。明日は、初めて言われたときこそ疑問に思ったけどその日の午後本人に聞いたらあっさり教えてくれた、隠すことでもない、ちゃんにとってとても大切な日なのだ。


「んー…ねえちゃん」
「はい」
「それ俺も行っていい?」


ちゃんの目が見開かれる。瞬きをして、首を傾げた。「いいですけど…タカ丸さんつまらなくないですか?」来てほしくないオーラは感じられない言い方だった。拒絶ではなく俺のことを気遣っての言葉だ。書きかけの書類は置いといて、筆を持ったまま頬杖をついた。


「ううん。俺も挨拶したいと思ってたんだ」
「本当ですか?」


ちゃんはわかりやすい。すっかり顔が綻んで、心から嬉しそうに笑った。ああでも、何が嬉しくてそんな顔するのかまではわからないけれど。「じゃあ明日、十時に迎えに行きます」俺と一緒だからじゃなくて、誰かがあの人を想ってくれてるのが嬉しいんだろうなあ、とは思うけど確証が欲しいわけではないから追求はしない。
本当に前から、この日に挨拶しに行かないとと思ってたんだ。でもその日に限って隊首会やら任務やらで行けなくて、やっと今年行けることになった。前に一人で行ったことはあるけれど、一度は、明日、ちゃんと行くべきだと思っていた。


「あ、そのまま仕事に戻るので死覇装で行きますよ」
「えっ…ちゃん勤勉だね」
「そんなこと言うのタカ丸さんくらいですよー」


にこにこと微笑む彼女は本当に幸せそうで、つられて俺も笑った。





十時十分前には隊首室の前にちゃんの霊圧を感じたけど準備がまだ終わってなかったから気付かない振りをした。一通り終わって声を掛けた時刻は九時五十八分だった。あと二分経っていたらきっと彼女の方から声を掛けていただろうけど、俺が中に入るように言うと素直に障子を開け入室しようとした。ちゃんからしたら、今から出るんだから招き入れられる意味がわからないはずなのに少しの逡巡もなく俺の命令に従うところを見ると、この子はやっぱり変なとこで考えなしだ、と思う。この部屋の状態を見てびっくりしているからわかってて了解したわけじゃなさそうだし。
「タカ丸さん、何を」目を真ん丸に見開いて、俺が準備した簡易な髪結いの空間を凝視している。


「髪結ってあげる」
「え、いやいいですよ…」
「だーめ。折角会いに行くんだから綺麗にして行かなくちゃ」
「え」
「本当だったら着物から合わせたかったんだけどねえ。死覇装って言うから」
「いいですよタカ丸さん」


広げられた仕事道具を前に頑なに拒否するちゃんにやや感情を消した声で「時間がもったいないよ」と言えばたじろいで渋々セッティング完璧な座布団に座った。この前喧嘩紛いのことをしたときに思ったけど、この子はこういう声が苦手だ。


ちゃん、俺何でも用事にかこつけて髪結おうとしてるわけじゃないよ」
「え、あはは…」
「あーやっぱりー」


違うよちゃんとあの人の前では君を美しく見せたいだけなんだ。ああは言ったけどそりゃあちゃんの髪を結うのはすきだけど用事にかこつけていじりたいとは思うけど今日は違うよ。今日は君にとって大切な日だ。鏡の角度を調節して、櫛で髪を梳かす。


「…ありがとうございます、タカ丸さん」
「ん、いいえ」


髪飾りは桃色の花にしよう。前に言っていた、あの人がすきな色だ。思い出すあの人はいつも桃色の着物を羽織っていた。ちゃんも桃色がよく似合う。右耳の後ろから左下へ編み込みを入れて髪紐で結い、そこに花の飾りをつけた。鏡の中の自分と睨めっこしていたちゃんは目をぱちぱち瞬かせ、ふっと目を細めた。


「…タカ丸さん」
「ん?」
「今度、簪使って結ってもらえませんか?」
「簪?いいよー今しようか?」
「いや、使ってほしいのがあって」
「え、ちゃん簪持ってたんだ?」


意外。髪を結うことがほとんどない彼女は髪飾り系の物もほとんど持っていないと言っていた。簪なんて扱いが難しい物を持っているなんて知らなかった。


「あ、はい…きよ江、さんからいただいた物で」
「え…」


諸岡きよ江さん。俺が就任する前の、八番隊隊長だった人だ。


「亡くなる前日に出掛けたときに。…一度も使わずにしまってあるんですけど」


使い方わからなくて、と困ったように笑うちゃんの背中がさっきよりも小さく感じた。
今日は彼女の命日だった、よく晴れた日。


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