03

月曜の朝一で友達に昨日のことを謝ると何があったのか聞いてくれたけど、本当のことは話さなかった。普段の生活で優等生を演じている花宮くんは周囲から確固たる人望を得ていて、それがわたしという外力なんかで簡単に崩されるとは思えない。つまり、言っても信じてもらえないと思っているのだ。

お昼ごはんを食べ終わり、友達数人と向かい合わせで椅子に座っておしゃべりをしていると、「」と聞き慣れた声で名前を呼ばれた。振り返り教室の入り口を見るとそこには予想通り花宮くんがいて、手招きをされたので席を立ち駆け寄った。行くと、彼の後ろに古橋くんと原くんもいるのに気が付いた。


「どうしたの?」
「手ェ出せ」


握られた状態で右手を突き出され、何だろうと思いながら両手でお椀の形を作りその下に伸ばした。花宮くんがパッと手を広げると、そこから落ちてきたのは透明なセロハンに包装された小さなチョコレートだった。


「やるよ」
「えっいいの?」
「ああ。なんかクラスの女子がくれた。いらねえからやる」
「ありがとー!」


後ろにいた原くん曰く、花宮くんのクラスにはときどきお菓子を配る女の子がいるらしい。全員にというわけじゃないけれど、近くにいる人に適当にあげてるんだそうだ。今日は花宮くんもその射程圏内だったらしくチョコレートをもらい、甘いチョコをあまり好まない彼はこうしてわたしに流してくれたのだ。誰でもいいんだからそこにいる古橋くんとか、なんでかにやにやしてる原くんにでもあげればよかったのに、たまたま通りかかったとはいえ呼び出してまでくれたことに少し喜びを感じる。
四角いチョコレートがころんと手の中で転がる。ありがたいので早速いただこう。セロハンを両端から引っ張りチョコを取り出す。口に入れると、途端に甘い味が広がってきた。おいしい。
もう一度お礼を言おうとチョコを片頬にやり顔を上げたところで、花宮くんが「あっ」と声を漏らした。


「健太郎にプリント渡すの忘れてた」
「プリント?」
「これ。やべえな、昼休み中に渡さないといけねえのに。次体育だわ」
「瀬戸くんどこにいるの?」
「部室。さっき寝てるの見たから間違いねえ」


あーあのとき渡すんだった。ミスったな。本当に困った様子の花宮くんを見上げながら、口の中にあるチョコレートの存在を確かめる。……これは、わたしの出番じゃないだろうか?


「わたしが届けるよ!」
「は?」
「チョコもらったから、お礼!」
「…いいのか?」
「うん!部室だよね、鍵空いてる?」
「いや、中に健太郎はいるが多分起きてねえ。これ使え」


スラックスのポケットから取り出された部室の鍵と手に持っていたプリントを受け取り、「悪いな」と言う花宮くんに笑顔で首を振って教室を出た。昼休みはまだまだ時間があるけれど花宮くんに鍵を返さないといけないので早めに行った方がいいだろう。駆け足でバスケ部の部室へ向かった。





「……あれ」


一応ノックをしたものの返事はなく、鍵も閉まっていたので開けて部室に入ったのだけど、室内はまったくの無人だった。人が寝られるような場所には誰もいない。確認のためあちらこちら探してみたけれど瀬戸くんは190センチくらいあるって聞いたことあるし、というか探さないと見つけられない場所でなんて寝るわけがない。


「すれ違っちゃったのかもしれない…」


なんだあ、とがっくり肩を落とし、部室を出ようとしたそのとき。


「……〜〜、…、」
「ん?」


僅かだけれど声が聞こえた。丁度部室棟の裏の方からだ。もしかして瀬戸くんかも!とひらめいたわたしは急いで鍵を閉め、裏手に回った。

のだけど。


「サチ……」
「ヒデくん……」


……………ピシリと、固まってしまった。男の子と女の子が、抱き合って、ち、ちゅーを、していたのだ。しかも、なんか、……わたしの知ってるちゅーと違う!!

脱兎のようにその場から逃げた。一度も足を止めず一目散に校舎に入って階段を駆け上がり、花宮くんのクラスに飛び込んだ。


「はなみやくんっ」


あとで考えるとおかしいのだけど、このときわたしはなぜか、あまりの衝撃的な現実から花宮くんに助けを求めたのだった。全力疾走をしたため膝に手をつきぜえぜえと肩で息をするわたしに、後ろの席に座っていた花宮くんは何も言わず立ち上がり近付いてきた。


「顔上げろ」
「…?」


まだ呼吸は整ってない。それでも言われた通り顔を上げると、見えた花宮くんはにやりと笑って至極愉快そうだった。どうしてそんな顔をしてるのだろう。


「おまえは本当に期待を裏切らねえなあ?」
「え、……」
「顔あか」


彼を凝視してると手が伸びてきて、その甲でわたしの頬に触れた。冷たくてびっくりしたけれど、同時に自分の頬がとても熱いことに気付いた。……あんな現場を目撃したからだ。見たくなかったよ。


「だって、部室裏で、男の子と女の子がちゅーしてて、」
「へえ?」
「しかもなんかべ、べろ…」
「ふはっ!まじかよ。そんなとこまでやったのかあいつら」


え?
目をまん丸に見開く。一層愉快に笑みを深めた表情から視線を逸らせなかった。しばらく考えて、あ、そうか、と気付く。花宮くんも部室行ったって言ってたものね。目撃しててもおかしくない。


「俺らが通りかかったときはただの愛の告白現場だったんだけどな」
「え、あ、そうなんだ」


わたしもそのくらいだったら全然狼狽えなかったのになあ。そんなことを考えながら、花宮くんが頬から手を離したところで自分がまだ頼まれ事を達成できていないことを思い出した。ピンッと背筋を伸ばす。両手には、鍵とプリントが握られたままだ。


「花宮くん、部室に瀬戸くんいなかったからまだ渡せてない!」
「ああ、いいよ。それ俺のだし」
「へ?」


おとといの携帯よろしくスルッとそれらを取り上げた花宮くん。プリントを四つ折りから広げると、彼の顔は隠れて見えなくなった。「え、え?」再度狼狽えるわたしを、プリントを下げた花宮くんの目はひどく見下していた。


「健太郎は教室で寝てる。まんまと騙されたな、バァカ」
「……!」


そこでやっと気付く。よく見ると花宮くんのクラスの人は、もう昼休みも終わるというのに誰も体操服に着替えてない。五限が体育というのも嘘だったのだ。「…ひどい」くっくっと肩を震わせて笑う花宮くんに悪びれる様子はない。花宮くんのせいでわたしは部室に意味もなく行って、見たくもない現場を目撃して、全力疾走を余儀無くされたのに。「…うう」唇を噛んで耐えようとするけれど、涙が滲んでくるのを止められなかった。


「おまえほんとにどこでも泣くな」


突然、タオルが顔に押し付けられた。花宮くんのだ。タオルの匂いが花宮くん家の柔軟剤と同じだからすぐにわかった。ごしごしと目を擦られ、少しは人前で泣くの恥ずかしがれだとかお得意の暴言を吐かれたりしたけれど、それに返すことは叶わなかった。すぐに泣くわたしは高校生活二年目ですでに周囲から原因不明の泣き虫が定着しつつあるのだけれど、学校で泣いた原因がすべて優等生の花宮くんであることは一部を除いてみんな知らない。


「これ貸してやるから洗って返せよ」
「…うん」


押さえ付けていた手が離れる前に自分でタオルを持つ。周りには泣いたわたしを花宮くんが慰めてくれたように見えるだろうか。間違ってはないけれど前提が違うことには気付いてないだろう。花宮くんの絶妙な声量はきっとすぐ後ろの花宮くんの席にたかっている古橋くんや原くんにしか聞こえてない。


「明日返す…」
「いや、いつでもいいよ」


あ、近くを誰かが通ったんだ。赤い目はタオルで覆われていたけれど、花宮くんの白々しい台詞と声音でわかった。
そこには突っ込まず、俯いたまま花宮くんの教室を出る。わたしあと何回こんな目に遭うんだろう。





「花宮、さん気付いてないんじゃないか?」
「あ?」
「騙した目的があの男女を目撃させることだったって。チョコレートをあげるところから全部計算だったことも」
「だろうな」
「あーあーかわいそーにさん。花宮の愛情表現歪み過ぎだろ」
「ふはっ。愛情なんかじゃねえよ、バァカ」


そんなやりとりが去った教室でされてることなんて知らずに、自分のクラスに戻ったわたしは案の定原因不明の泣き虫を曝すことになるのだった。