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階段を降りていく足音と鼻をすする音を耳の片隅で聞きながら、脱力したようにどさりとベッドに座り込む。の言葉や泣き顔が思い出される。目を伏せ、溜め息も出ない。心臓が圧迫されているようだ。

……この手のことで泣かせたのは初めてだったな。

初めてでも何でもいい、意図して泣かせたならよかった。だが今のはそうじゃなかった。
初めて塗れた罪悪感は、予想通り気持ちのいいものではなかった。





「おはよー花宮」


翌日、昇降口で会った原が普段と変わらない調子で挨拶をしてきた。昨日の敗戦に対して思うことは少なからずあっただろうが、それをいちいち引きずってはいないようだった。今日は部活を休みにしたため薄っぺらいスクールバッグを肩に掛けた原に「おお」と短く返すと、なぜか奴は首を傾げた。


「何かあった?」
「はあ?」
「テンション低くね?」
「いつもこんなんだろ」


何言ってんだおまえ、とあしらうが原の疑念は消えないらしい。傾げた頭は依然傾いたままだった。受け答えはしながら、下駄箱から上履きを出しローファーをしまう。


「そう?」
「じゃああれだ、昨日の試合で腸煮えくり返っててやべえ」
「うわ、ぜってー嘘じゃん」


あながち間違いではなかったがこの言い方は嘘だと言ってるようなもんだろう。余計何かあると思ったらしくしつこく聞いてきてうざいので暴露することを早々に決めた。残念なことに、こいつに伝わってしまった違和感の正体は自覚しているのだ。今更隠すことでもねえ。上履きを履き、顔を上げる。


「あ、さんやっほー」


無意識に身体が硬直する。原が手を振る先に、昇降口に入ってきたがいたのだ。向こうも向こうで硬い表情でこちらを向き、いつもより控えめに手を振り返した。動揺がこっちにまで伝わってくる。俺と目が合うなり自分の下駄箱へ逃げて行ったそいつで確信したらしい、俺に背を向けていた原がにやにやしながら振り向いた。露骨に顔を歪めてみせる。


さんと何かあったの?」
「……あいつに告られた」
「え、マジ?!…え、で、OKしたんだよね?」
「するわけねえだろうが。死ねよ」
「はあ?」


口を大きく開け間抜けた声を漏らしたそいつを置いて歩き出す。の姿は見えない。すぐに教室へ向かったのだろう。今鉢合わせても言いたいことなんざ何もないから都合がよかった。これからあいつがどういう態度で接してくるか知ったことではないが、少なからず面倒くさいことになるのだろう。……しばらく関わらないでおこうか。その結論に至りそれが得策だろうと一人納得する。何かを勘違いしてるが頭を冷やすまで近付かないことにしよう。


「おい花宮」


後ろから追い掛けてくる原には足を止めずに首だけ振り返る。小走りで追いつくと隣に並び、なんで振ったのだとかバカみたいなことを聞いてくるのであからさまにうんざりした顔をしてみせた。


「そもそも信じるバカがどこにいんだよ。つか前も言ったろうが」
「…あー、嫌な予感当たったわ」
「あ?」
「べつに。負けてイライラしてたんだろーけどさあ」


眉間に皺を寄せ隣の男を睨みつける。怯む様子もない原は飄々とした態度で得意の風船ガムを膨らませるだけだ。「期待したくてしょうがねーくせに」その台詞に自分の顔が歪むのがわかった。

勝手に期待してるのはてめえらだろうが。てめえらもも何を勘違いしてやがる。は俺のストレス発散道具だ。俺たちの関係はそうでしかなく、そしてこれからもずっと変わらない。いいだろこれで、誰も困らねえだろ。俺とあいつの間には何の期待もない。そう言わせろよ。「花宮ってさあ、」いつの間にか風船ガムをしまい込み、おもむろに口を開いたそいつを見遣る。


さん不幸にしたいって言うけど、あの子が不幸だったら何でもいいわけ?おまえ以外がそうしてもいいの?」
「ああ?ンなもん駄目に決まってんだろ」


逡巡する間もなく答えが出た。俺の手でが不幸でなければならない。それは絶対だった。あの罪悪感が証拠だ。例え俺が引き金だったとしても、俺が意図してやらなければ意味がない。それなのにましてや他人がなんて、許せるわけねえだろ。教室に入り、入り口近くの自分の席に着く。この短時間で溜まった疲労を吐き出しながら目を閉じた。

「わたしと花宮くんが両方幸せになる方法はあると思うの」何なんだよおまえ。俺とおまえで付き合おうとでも言うのか。バカも休み休み言え。