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花宮くんと最後に話してから一週間が経った。あの日から一度も口をきいてない。それどころか次の日昇降口で会って以来目を合わせてすらいなかった。普段から校内で何度も顔を合わせるわけではなかったけれど、今はたとえ見かけてもわたしを見ようともせずすぐに去ってしまうのだ。更にはわたしの家で開かれた家族同士の食事会にも花宮くんは来ず、部活後に部員と食べて来るらしいとおばさんから聞かされただけだった。もちろん今まで花宮くんの欠席が一度もなかったわけじゃない。けれど、わたしを避けてることは明白だった。
あの日、彼の部屋で打ち明けたことは何一つ伝わらず、それどころか機嫌を損ねさせた。どうすればよかったのだろう。嫌になるほど考えたけれど解決策は何も浮かばず、わたしは暗い気持ちを抱えながら毎日を過ごしていた。

浮かない気分で一週間が過ぎ、ホームルーム終了の鐘で週最初の日課が終わりを告げる。今日は友人に三回「ぼんやりしてるけど大丈夫?」と聞かれてしまった。先週からずっと心配してくれてる彼女に、それでも話す気にはなれず何でもないとごまかし続けていた。説明するにはわたしと花宮くんの関係を一から話さないといけないだろう。そしてわたしはやっぱり、皆には知られたくなかった。未だに花宮くんの悪口を言い触らしたくないと思うこれは、君の言う通りいい子ちゃんぶりっ子なんだろうか。ただの独占欲な気がする。

こんな状況でも花宮くんと完全に縁が切れることはないと思ってる。けれどきっとあと少しこの時間が続けばほとぼりが冷めて、なかったことになってしまうだろう。それを嫌だと思ってるのに、何か行動に移す勇気はまだ出ないでいた。


さん、ちょっといいですか」


昇降口を出てすぐのところで誰かに呼び止められた。わたしが足を止めると目の前にいた女の子は反対に歩み寄り、一メートルほどの距離を空けて立ち止まった。七限後の外はもう夕焼けがかっていて、それを受ける彼女の黒い髪がこげ茶色に映っていた。
おとなしそうなその子を、どこかで見たことがある気がした。同じ学年の人だ、でもそれだけじゃなくて他にも、と記憶を巡らせてハッとする。少し前、昼休みに花宮くんと話してた子だ。
気が付いて思わず目を丸くする。確かこの人は、花宮くんをすきでアタックしてたはずだ。わたしに何の用だっていうんだろう。ひかえめに顎を引いた彼女は第一印象の通り温和そうな子だった。けれど思い出す。あのとき去り際、一瞬彼女がわたしに向けた視線は、嫉妬のそれではなかっただろうか。「…あの、」


「花宮くんとさんは、付き合ってるんですか」


予想してなかった台詞にどきりとする。今それを、聞かれたくなかった。
少し考えれば彼女が聞いてくるのはわかることだった。花宮くんはこの人にわたしとの関係を疑うよう仕向けていたのだ。彼女は花宮くんの狙い通りの推測を立て、わたしに聞いただけだ。
あのときわたしは、花宮くんは何てことをするんだと思った。幼なじみという関係を使ってあんな、どうして軽んじるようなことをするんだと。……ああ、あのときだって本当はわたし、花宮くんをすきだという気持ちに気付かず、幼なじみとしてのすきと勘違いしてたんだろう。今ならわかるよ。わかるのに、遅すぎたんだろうか。


「誰に聞いても花宮くんと一番仲いいのはさんって言うし、花宮くんに付き合ってるのか聞いたけど、曖昧にごまかされた。でも、だからさんが否定してくれたら、私まだ頑張れるから、」


彼女を見上げると、夕焼けが映った瞳が涙をたたえているのに気が付いた。この人も花宮くんがすきで、悲しい思いをしてるのだ。その原因の一部を自分が担ってるということも、わかってるけれど。


「ねえ、さん、花宮くんと付き合ってるんですか?」


わたしは、そうなりたいと思ってた。
でもそれは叶わなかった。花宮くんにとってわたしなんて利用できさえすればいいただの駒で、けれど、きっと今じゃ虫除けにすら使わないだろう。もう、花宮くんはわたしなんて、……。


「……」


ぎこちなく、頷いた。まるで初めて頷いたみたいに不自然だったそれをほとんど初対面だった彼女は信じたようで、肩の力が抜けたみたいにすっと目を閉じた。堪えていた涙が頬を伝う。綺麗な泣き方をする人だと思った。
そして絶望する。わたしは彼女の涙を見てひどい罪悪感に襲われると同時に、花宮くんがいつか自分以外の子の涙を拭う日が来るかもしれないことを想像して傷ついたのだ。

時間を取らせてごめんなさいと謝って去って行ったその子を目で追う。思わずしゃがみこんでしまいそうだった。ひどい嘘をついた。わたしのエゴで傷つけた。人のこと言えない、自分だってこうして誰かの気持ちを踏みにじるのだ。
じわりと視界が滲み、涙が零れる。彼女の姿はもう見えない。下校する生徒の数ももうまばらで、呆然と立ち尽くすわたしを一瞥して通り過ぎていくだけだった。

頬を伝った涙が地面に落ちてやっと袖で目元を拭った。それでも止まらず何度も拭う。乱暴に擦るせいでまぶたがヒリヒリと痛くなった。涙はぼろぼろ流れ、嗚咽が漏れる。嘘をついてごめんなさい、でも、


「おい」


突然、声が聞こえた。耳によく馴染んだその声に顔を上げると、花宮くんがこちらを向いて立っていた。一週間ぶりの花宮くんにも驚いたけど、わたしを見る彼が目を見開き、ひどく傷ついた顔をしていることに心底驚いた。「花宮くん、」無意識に彼の名前を呼んでいた。それが聞こえたのか聞こえなかったのかわからないけれど、彼はわたしに歩み寄り、そして肩を掴んだ。


「何泣いてんだよ」


どうしてだか苦しそうな花宮くんを見て心臓が痛くなる。ますます目の奥が熱くなって焼けるようだった。花宮くんは動揺をはらませた表情のまま手の甲でわたしの左目を覆い、そうして拭う冷たい感触は優しかった。「泣くな」ストレス発散とまで言っていた花宮くんがそんなこと言うのは初めてじゃないだろうか。一瞬クリアになった視界に映ったのはわたしを見下ろす花宮くんと、前と変わらない彼の優しい手だった。わたしはこの光景をずっとなくしたくなかったのだ。ぎゅっと力を入れて涙を堪える。


「わたしが、花宮くんあげたくないから、嘘ついた」
「…は、」


花宮くんは意味がわからないと言ったように目を見開いた。そうなの、嘘をついてでも、誰かを踏みにじってでも、花宮くんを誰かに取られたくなかった。


「花宮くんをすきな子に、付き合ってるのか聞かれて、」
「……」
「付き合ってないけど、でも頷いた。嘘ついた。…どうしても花宮くん、諦めたくなかったから、」
「…おまえ本気で言ってんのか」


何度も頷く。声はみっともなく震えてたと思う。ずずっと鼻をすする。そんなわたしを花宮くんは神妙な顔でしばらく見つめたあと、はあ、と深い溜め息をついた。


「…おまえほどバカな奴見たことねえぞ」
「バカじゃな、」
「バカなんだよ。……けど、信じてやる」


花宮くんは呆気に取られたわたしの手を包み込むと目を細めて、「おまえは嘘ついてねえよ」どこか覚悟を決めたみたいに言ったのだった。
その言葉は今日のことだけじゃなく、まるで一週間前のことも言っているようだった。驚いて何も言えずにいるわたしを一瞥すると、「帰るぞ」花宮くんは踵を返して校門へ方向転換をした。慌てて追い掛ける。なんか、信じるって言ってくれた割にあっさりしすぎじゃないだろうか。もっとちゃんとした返事が欲しいと思い、小走りで隣に並び花宮くんを見上げた。その横顔は普段通りの彼で、さっきまでの彼はどこに行ったのだろうと首を傾げるほどだった。


「花宮くん、」
「あ?」
「あの、花宮くんはわたしのことどう思ってるの?」


立ち止まり、見下ろす彼をじっと見つめる。聞いたくせに何だけど、このときわたしは花宮くんが何を考えてるのかわかる気がした。それは彼と幼なじみをやってきた十六年間で初めての感覚だった。
ほら、やっぱり君はわたしとおんなじ気持ちだったのだ。不思議と、絶対に間違ってないという自信があった。
わかった上で何て返してくれるのかどきどきしながら待っていると、ふいに花宮くんが顔を背け歩きだしてしまった。あ、あれ。うろたえながらあとを追い、「花宮くん、」もう一度呼び掛けてみる。すると彼はちらりと横目でわたしを見て、それから口を開いたのだった。


「都合いいように考えとけよ。おまえの特技だろ」


投げやりなその言葉だけで十分だった。すっかり意味を理解して、顔をほころばせる。嬉しくて泣いてしまいそうだった。