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淡々と階段を上がっていき、自室のドアを開け机の前で立ち止まる。置いてある読みかけの本に指を這わせたところで一時停止し、それから脱力するように椅子に座り込んだ。回転椅子の足がガタンと音を立てる。それも気にせず片手で口を覆い、震えた息を吐き出した。脳みそが熱い。心臓がこれ以上ないほど速く脈打つのがわかった。柄にもなく動揺してやがる。


あの夜なんとなく色々自覚してからというものの、心底自分にうんざりし、周りの反応を想像して更にうんざりしていた。この数日間で鬱憤がどっと溜まっただろう。それを晴らそうと今日、古橋にDVDを借りを泣かしてやろうと企んでいた、のだが。
確かに、目論見は成功した。ホラー映画だと騙された上に俺に簡単に丸め込まれ、話の佳境の手前まで耐えたあいつは恐怖に震えながら泣き出したのだ。
ガキの頃、お化け屋敷に入りわざと置き去りにしてやったことがある。しばらく進んだあと戻ってみたらはうずくまりながら大声をあげて泣き喚いていた。それをきっかけとしてホラー系全般のテレビ番組が駄目になったのは知っていたが、努めて見ないようにしているのかそれらで泣いたところは見たことがなかった。遊園地でのアレはまだ気持ちはわからないでもなかったが、たかが画面の中の映像で泣くのか多少の疑問はあったものの予想は大当たりで、隣に座る彼女は曲げた膝に顔をうずめながら嗚咽を漏らしていた。
相変わらずチョロいな。思いながら、映画を見るのが目的ではなかった俺はを横目に頼み通りにテレビを消した。このチョロさが演技だとしたら大したもんだが、に関してはそういう可能性はもうずっと前から考えていなかった。
思い通りに事が運ぶのは楽しい。加えて彼女の泣く姿はやたら哀れで愉快になる。あの時点では、それなりにストレス発散に成功していた。それが一変したのは、紛れもない自分自身のせいなのだが。

頬を撫で、涙を拭ってやるのはいつものことだ。に優しくしてまた信じさせるための手段の一部だった。思い通りになる使い勝手のいい駒を手元に置いておくため。そうでしかなかったのだが。


「……やりすぎたか」


ほとんど衝動的だった。一度泣き始めるとなかなか止まらないのは知っていた。が目を閉じ、涙が零れたのを見た瞬間だった。
あの行動原理は残念ながら簡単に解明できた。の泣き顔を見て、生まれていたのは愉悦の感情だけではなかったのだという、至極単純なことに気付かされる。おかげでまた自分にうんざりすることになった。意味がない、むしろ悪化の一途を辿っている。

動揺を隠したのはおそらく不自然ではなかっただろう。なんでもないようにここに来た手前、なんでもないように戻る必要があった。なんとか心臓を落ち着かせ、再度息を吐き出す。
立ち上がり本棚まで行き、あいつが読んだことのない本を選ぶため背表紙のタイトルに目を滑らせる。取り出した推理小説はにとっては難解な内容になっているだろう。さっきのことを忘れさせるには打ってつけだと考え、それと机の読みかけの本を持って部屋を出た。

リビングに行くとはソファに座り込んでDVDのパッケージを見ていた。目は赤いがもう涙は渇いたようだ。お化け屋敷から出たあと俺にずっと引っ付いていたことから、一人の家に帰りたがらないことは予想通りだった。俺に気付いた彼女はさっきの映画が余程堪えたのか、硬い表情の顔を向けた。


「ほら」
「ありがとう」


動きも硬い。映画の衝撃はそこまで大きかったのだろうか。さっきと同じ位置に腰を下ろし、本を開く。昨日読んでいた内容を思い出しながら、後ろのの気配をうかがった。

こいつは恐ろしく馬鹿だから、俺が考えてることなんてまるで気付いてないだろう。それでいいと思っている。べつにこいつとどうにかなりたいとか気持ち悪いことは考えていないし、少なくともこの関係を繰り返しているうちはは俺から逃れられない。だからこれ以上、とかは欲してない。こんなことを考えること自体うんざりするのだ。疲労を吐き出すように、はあ、と溜め息をつく。

惚れた弱みなんてあってたまるか。下手になんざ絶対出てやらねえ。