15

ぼんやりと目を開くとそこは暗い自室だった。当然だ、自分はいつも通り晩飯を食い、風呂に入り歯を磨き、明日の支度を終え早々に布団に入ったのだから。曲げていた肘を伸ばし枕元の携帯に手を伸ばす。一週間の疲れが溜まっていたのか、ろくに机に向かうこともせずすぐさま眠りについた気がする。頭もまだ回っていない。ボタンを押し時刻を確認するとまだ夜中の二時を回ったところで、何故こんな中途半端な時間に目が覚めたのかわからなかった。疲労もあったが、普段は日付が変わってから寝るのに比べ明日が早いため十時に寝ようとしたのがいけなかったのか。無性に損をした気分になり顔をしかめる。
しかし目覚めてしまったものはしょうがない。もう一度寝よう、と目を閉じたところで、やっと違和感を察知した。デジャヴとすら呼べない確信。バッと後ろを向く。


「…………」


ギリギリ身体が触れない距離に、が眠っていた。こいつか、俺の安眠を妨害しやがったのはこいつだな。損をした気分が一気に疲労に変わり、溜め息をつくのすら億劫にさせた。まさかこの時間に潜り込んだのではないだろう、足を少し動かしたところにこいつのそれがあったことから、おそらく眠ってる間に蹴られでもしたのだろう。そのせいで目が覚めてしまったのだ。何を思うでもなく自分の身体を反転させたが、安心し切ったような寝顔に毒気を抜かれ、脱力し小さく息を吐くことしかできなかった。こいつが許可もなく俺の布団に潜り込むのは高い頻度でなくとも数え切れないくらいにはよくあることで、その度俺がストレスと共に叩き起こすのだが、今回のような場合はそうはいかない。こんな時間に起こしたところでこいつの家はとっくのとうに鍵が閉まってるだろうし、にもかかわらず起こして真夜中に騒ぐのは無意味だ。しかし、ガキの頃こそこいつの存在に目をつむりそのまま寝ていたものの高校生になってまでそれを強いられるのはあまりにも納得し難かった。頭を抱えたい衝動に駆られる。

今までの経験上色々なことがわかってしまう。どうせ起こしたところでこいつは鍵なんて持ってないんだろうとか、ここにこいつがいることをうちの親は当然知ってるんだろうとか。朝起きたら面倒くさそうだな。誰かに聞かせるように溜め息を吐いた。
半ば諦めの心境で改めて彼女に目を向けると、そいつが制服で寝ていることに気が付いた。途端に状況が読めなくなったが既に今日はこのまま寝かせるしかないという結論に至っていた俺はそれについて深く思考せず、おもむろに彼女の首裏に手を伸ばした。ワイシャツの襟に隠れているリボンの留め具を指で見つけ、小さく音を立てて外す。学校指定のリボンをすっと首から取ると、すぐさま枕元に放り投げた。こういうのって帰ったらすぐ取るもんじゃねえのかよと心の中で悪態をついて、腹の底から湧いてくる背徳感のようなものを必死で封じ込める。中学でもそうだったが、こいつは家に帰っても制服のままうろつく奴だ。それを何となく思い出してから、スカートのまま寝ている可能性に至り太腿に手を伸ばした。が、ザラついた布地の感触は俺の記憶が正しければジャージのそれで間違いないだろう。どうやら中学のハーフパンツを履いているようだ。さすがにガチ寝するのにスカートでは潜り込まねえか、と息を吐いた次の瞬間ハッとする。


(……何してんだ俺)


スカートだったところでどうもできねえだろ。いちいち確認する必要が今どこにあった。………。

べつにこいつの世話を焼きたいわけじゃねえ。こいつがどんな格好で寝てようが俺には何の関係もない。なのに俺は一体何を。大げさに顔をしかめた。手に残る感触が嫌になる。ようやく回転してきた頭が、己を暴いているようだった。……下心とか、冗談じゃねえぞ。

否定するようにしばらく目を閉じ、寝つける気もしなかったためまた開いた。ぐっすり眠るを眺めながら、手を伸ばし目尻に触れる。泣いていない彼女の肌は冷えた指先に暖かさを伝えてくる。皮下の骨をなぞるように下に滑らせた先の白い頬はただ柔らかいだけだ。ずっと前から知ってる。

ガキの頃、俺のすることにすぐに泣き出すに、泣き落としは効かねえぞと釘をさしたことがある。このバカがそんなことを考えて毎度びーびー泣いてるとは思っていなかったが、それにしてはやたらめったら泣き出すそいつの行動が謎だったため可能性の一つとして言っておいたのだ。案の定何を言われてるのかわからなかったらしいはブサイクな泣きっ面のまま首を傾げただけだったが。それを見て、なんだ本当に泣き虫なだけかと妙にすっきりしたのだった。
こいつは俺がストレス発散のためにすることを本気で嫌がっていて、やめてほしいと思っている。ほだされて諦めたりなんかしていない。それは確かなのに、しかし俺に対しての対策を何ら講じないのは理解に苦しむ。なんでこんなことするのと毎度繰り返すこいつの知能は一体何年経てば成長するんだか。きっとこいつは、俺が飽きて関わるのをやめるまでずっとこのままなのだろう。


(…飽きは、……)


古橋の問い掛けが思い出される。あいつは俺が一生と関わり続けていくと思っている。古橋だけじゃない。原もヤマも、おそらく健太郎も、そう思っている。改めて周りからの認識にうんざりした。

こいつが俺から逃げ出す事態は想定していない。というか、逃がさない。は未だに気付いていないが、この高校に来させたのは他の誰でもなく俺だ。進学先に悩んでいたこいつにさりげなく霧崎を勧めて誘導し、第一希望として受験させたのだ。
そんなことをしてまでを目の届く範囲に置くのはストレス発散のサンドバックにする目的もあるが、そもそもこいつが俺の知らないところで幸福になるなんて想像しただけでむかつくのでその可能性を片っ端から潰すためだ。俺らの間にはハナから何もないのに、はでっち上げの期待を信じて裏切られたような顔をする。俺の作為に対するこいつの大げさな反応を見るのが愉快だった。俺はそれを見るために必要なことをしているだけにすぎない。同じ高校に来させたり、泣かせたあと優しくするのも、気がある男を利用するのも、そのためでしかない。………。

頬を一撫でし、手を離す。自嘲気味に笑えた。自分のやっていることは確かに、あいつらがそう思うのも仕方のないことばかりだった。


「……なあ」


俺にとっておまえは何なんだろうな。