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目の前でさんが派手に転んだときはさすがに驚いた。咄嗟に隣にいた花宮に目を向けるとそいつは大げさに顔をしかめていたが、すぐに駆け寄り彼女の手を掴んで引っ張り上げていた。随分慣れた動作だな、と思いながら自分も近寄ると、花宮の手を借りて立ち上がった彼女は己の失態に顔を赤くして笑っていた。
てっきり泣き出すものかと思っていた。花宮の策に容易く引っ掛かり、その度涙を流す幼なじみはしかし今、そのような様子は全く見せなかった。人知れず首を傾げていると、花宮は引っ張り上げた手を掴んだまま少し上体を曲げ、うげ、と呻いた。


「盛大に擦りむいてんじゃねえか」
「はは…痛い」
「鈍くせえの治んねえな。保健室行けよ」
「はあい」
「花宮、今日保健医は出張だが」
「あ?…あーそうだったか。たっく…仕方ねえな」


頭を掻いた花宮は本当に仕方のなさそうに「代わりに手当てしてやる」と言い歩き出した。昼休みのミーティング終わりで特に急ぐ用もなかったから問題はない。繋がれた手はそのタイミングで離され、ふと見えた彼女の表情が何か言いた気だったが俺から言及することはせず、花宮におまえもついて来いと言われ頷くことしかしなかった。


「そこ座れ」


少し高くなった長椅子を顎で指し彼女を促した花宮は棚の方へ手当ての道具を探しに行った。手持ち無沙汰の俺は目に付いたボードを手に取り、利用者一覧と書かれた記入用紙にざっと目を通した。日付、時間、怪我人の名前、学年クラス出席番号、手当てした者の名前、左に同じ、怪我をした箇所、手当て方法。
これは書いた方がいいのかと思い顔を上げると、正面には言われた通りに座る彼女がいた。おそらく花宮をうかがっているのだろう、首を九十度捻りそちらを見ていた。横顔を眺めて改めて思う。


さん」
「! はい、」
「何組だっけ」
「え、E…です」
「Eか」


でも問うことはしない。近くにあった筆立てから鉛筆を取り、記入に必要なことだけを淡々と質問していく。あまり話したことがないからか相手は少し緊張気味だったが気にせず鉛筆を走らせる。大方これだろうと目星を付けた手当て方法の項目を埋めたところで花宮が戻ってき、彼女の斜め前にどかっと座った。


「花宮くんごめん」
「はいはい」


することもなくなりいよいよ暇を持て余した俺は何をするわけでもなく二人の様子を眺めていた。花宮は背を向けていてわからないが、さんのやや俯いた顔はこちらからよく見えた。……心境の変化だろうか。消毒の痛みに耐える表情が滲ませるのは、間違いなくそれだけではなかった。

ガーゼがしっかり貼られた膝を調子良く曲げ伸ばしする彼女は嬉しそうだ。「ありがとう花宮くん」聞き慣れたその台詞に、自分以上に聞き慣れているだろう花宮は「ああ」と短く返す。片付けはやっておくから行っていいと言われた彼女は「ごめん、ありがとう」とまた礼を述べ保健室を出て行った。その間際「古橋くんも、ありがとうございました」と固い表情で言われたので花宮と同じような返事をしておいた。
去っていった方から視線を外した花宮はどうでも良さそうに俺を一瞥し、すぐに救急箱の片付けに取り掛かった。礼を言われた理由なんてわかっているのだろう。同じ保健室で隠す気のない問答の応酬はよく響いていた。


「随分手慣れているな」
「ああ…昔からよくすっ転んでたからな。あと俺も足引っ掛けてたし」


それを聞いて納得する。高校で実際にしているところは見たことないが、こいつのことだからその程度の手軽な嫌がらせは過去に高頻度でやっていたのだろう。しかし、泣かせることが目的らしい花宮のそれらは多岐に渡るものの怪我を誘発するようなことまでしているとは考えていなかった。けれどこの様子なら、保健室送りレベルのことくらい普通にやっていそうだ。

二人の関係にまるで興味がないわけではない。花宮も花宮だが、傍から見たらとっくのとうに愛想を尽かしてもいいはずの彼女は、依然懲りずにこの男と縁を繋いでいる。その姿勢はいつも俺の目に不可解に映っていたのだが、今日その理由がわかった気がした。


「花宮、おまえはこの先さんをどうするつもりなんだ?」
「どうって?」
「一生そんなことをし続けるつもりか」
「ああ、そりゃあ。飽きるまではな」
「飽きなんてくるのか?」
「……なかなか首突っ込んでくるよな、おまえも」


それはそうだろう。心底嫌そうに顔を歪める花宮が持つ救急箱に視線を落とす。べつに彼女が可哀想だとか思ってもいないことを言うつもりはない。結局、問題を解決するのは当事者でしかないと俺は思う。

きっとこれまでの積み重ねだ。花宮はおそらく、さんに優しくすることで与える影響を低く見積もり続けたのだろう。だからここにきて彼女がおまえを見始めたことに気が付かない。
そして、傍から見たら丸わかりな変化を、さん自身も自覚していない様子だった。……ふむ、なかなかにしてこじれそうな予感だ。