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「いいなあ、私も花宮くんみたいな幼なじみが欲しかったよ」


今までのわたしだったらそう言われても首を傾げるか苦笑いしかできなかったのだけれど、このとき初めて、我慢ならず、にやあっと笑みを浮かべてしまったのだった。
昼食を摂っていると唐突に友人に言われ、ついにやけた表情を浮かべると向かいのここちゃんに「変な顔」と指摘されてしまった。とっさに口を手で覆い隠すと友人は頬杖をつきながらうらやましいなあと続けた。どうやら彼女にも男の子の幼なじみがいるらしく、他校に通ってるその人が最近家に帰っておらず親に心配を掛けてるのだそうだ。中学の頃から盗んだバイクで走り出すような人だったらしく、両親の気苦労は絶えないらしい。


「もう、ほんとうらやましいよ。いいなあ」
「そうかな、へへへ」
「あれ、なんかそのリアクション新しいね」


見慣れなくても花宮くんの幼なじみとしての反応はこれが正しいと思われるらしく、友人二人も嬉しそうににこにこ笑った。
何もこれは、知らないことを知ってる優越感から来る笑みではない。単純に、彼が褒められて鼻が高いのだ。花宮くんはみんなが思ってるような「優しい良くできた」幼なじみなんかじゃないことについて言うつもりはない。けれど、優しい優しくない関係なしに、わたしは花宮真くんという幼なじみと仲良くしたいと思い至ったのだ。


「あ、そうだ」


昼食を食べ終わった頃、花宮くんに呼ばれてることを思い出した。といっても元は来週に控える試験のために数学を教わろうと勉強会を提案したのがきっかけだったのだけど、どういうわけか昼休みに教えてやるから来いと呼び出されたのだ。土日のつもりで言ったのが伝わらなかったのだろうか、しかも問題集や筆記用具は貸してくれるのか手ぶらでいいと言われたので、その通り何も持たずに教室を出た。十二時半という時間まで指定されたのは何か他の用事でもあったのだろう、場所は部室と言われていたのでミーティングをしてたのかもしれない。

部室棟が見えるところまで行き、バスケ部の位置を思い起こしながら歩を進めていくと女子生徒が数人、建物の陰に隠れて何かを覗き見ていた。背を向けた彼女らはこちらからは丸見えで、どうやらわたしの目的地の方向を見ているようだ。ちょっと気になったけど、関係ないだろうと根拠のない自信を持って追い越し右に曲がった。
「あっ」声は後ろから聞こえた。焦りを押し出した声、彼女たちの誰かだったろうか。しかしわたしはそんなことを気にする余裕もなく、視線の先の光景に釘付けられていた。


「…は、なみやくん?」


そこには、バスケ部部室の入り口に寄り掛かった花宮くんと、少し間をあけて一人の女の子が向かい合って立っていた。どう見ても仲睦まじく話していた様子で、わたしはそこでやっと、状況を理解したのだった。そして自分が、いかに空気の読めない存在なのかということも。
女の子より先に気付いた花宮くんはこちらを向き、つられて彼女も振り向いた。あっと気まずそうな顔をしたのはその子だけで、花宮くんはああそうだと思い出した様子で表情を明るくし、こちらに歩み寄ってきた。


「ごめん、待たせたね」
「え、あ、……」


普段と違う声音。いつも巧妙な嘘をつく花宮くんだけど、何かに対して猫を被る彼だけはすぐにわかった。作り笑顔と高い声はとても白々しいのだ。普段の彼を知っていればすぐにわかるそれをわたしが見抜けることを、きっと花宮くんも知っているのだろう。そもそも、見抜けたからと言って思惑は見当もつかない。
正面に立ち見下ろしてくる花宮くんに何も言えないでいると、花宮くんはふと顔を上げ、「あ」と声を零した。振り向くと、わたしが先ほど追い越した女の子たちがいて、やばい、なんて慌てた様子で逃げ去って行った。彼女たちが、花宮くんと女の子の会話を見守っていた友達なんだろうことはわたしでもわかる。でも花宮くんは覗き見されるのとかあんまりすきじゃないから、やめた方がいいのになと思う。「バカが」極めて小さな声量での罵倒が聞こえ向き直ると、ひどく蔑んだ目で彼女らがいた方を見ていた。と思ったらすぐに振り返り、さっきまで話していたのだろう女の子に笑顔を向けた。


「ごめん。じゃあ、俺と約束があるから」
「あ、う、うん、こちらこそごめん…」
「また用があったらいつでも声掛けてよ」
「あ、ありがとー」


苦笑いの彼女はわたしを一瞥し友達と同じ方向へそそくさと去っていった。わたしがあの一瞬で察したことは、女の子と花宮くんが逢引きのようなことをしていて、花宮くんの寄り掛かるような適当な姿勢から、アタックしてるのは女の子の方だろう、ということだった。多分間違ってない。…なんて邪魔な奴なんだ、わたし。
花宮くんも言ってくれればいいのに、と思ったけど偶発的に起こったことだったのかもしれない。去っていった彼女の形相に少し固まっていると、「ナイスタイミング」と愉快げな声が降ってきた。


「いい具合に撒けたわ。あいつやたら絡んできてうざかったんだよ」


それは、きっと花宮くんのことがすきだからだよ。感情の機微に敏い彼はそんなこととっくのとうに気付いてるだろうから言わない。おそらく花宮くんの中で彼女に対する脈はない。同じクラスの子だろうか。おとなしそうな子だったから、それで花宮くんと話そうとできるとしたらそれなりの接点があるんだと思う。けれど、例えそうだとして、いくら考えてもわたしが首を突っ込んでいいところじゃなかった。なんというお邪魔虫だ。自己嫌悪に苛まれ背筋が曲がる。ただ花宮くんに呼ばれて、勉強を教えてもらいに来ただけなのに。と、いうことを思い出してピンと伸ばし直す。


「それより、勉強は部室でするの?」
「あ?するわけねえだろ。土日にやんだろ」
「…へ?」


突然手のひらを返したような発言に間抜けな声しか出なかった。意味がわからない。じゃあどうして今日この時間、ここに呼び出したの。目を見開くわたしに合点がいったらしい花宮くんは、ああ、まだわかってねえのかと溜め息をついた。彼の口元を凝視する。


「おまえを虫除けに使うためだよ」
「 え」


ギシリと関節が擦れる音がした、気がした。
花宮くんが言うに、あの子とは最近メッセージのやりとりを始め、遠回しに振り払ってもどうにもしつこいので二人で話そうと言われたのを了承し、この時間を指定したのだそうだ。そしてそのあと、約束があるから長く時間は取れないとあらかじめ伝えておき、当日わたしをその場に呼び出した。わたしが幼なじみということは当然知ってるその子は自分との約束の上に躊躇なく被せてきたことに少なからず何かを思うことだろう。わかりやすいアプローチをしてきたことから、彼女は自分が花宮くんを好いてることを知っていると思ってる。その上であとからわたしとの約束を取り付けられたのでは、暗に脈がないことを突き付けられた、と思うだろう。もっと察しが良ければ、花宮くんの中でわたしが特別な位置にあるのだと思うかもしれない。少なくとも現実に、花宮くんは彼女よりわたしを取った、のだ。
派手ではない、けれど少なからずダメージを与えるだろう企みを説明する花宮くんは至極楽し気だったけれど、反対にわたしは何かが引っかかっていた。何か腑に落ちない。……確かに、作戦としては上手く行っただろう。けれど。


「それ、花宮くんのイメージ悪くなるんじゃ…」
「仮になったところで痛くも痒くもねえな」
「乙女心がわかってないとか、」
「ふはっ。じゃあそっちは男心わかってんのかって話だわ」


花宮くんの口から男心なんて言葉が出てくるとは思わなかった。少し意外で、少しむず痒い。「そんなことより昼飯まだ食ってねえんだよ。早く教室戻るぞ」わたしの横を通り抜けた花宮くんは数歩進んだところで「あ、」と振り返った。


「つか、俺の心配より自分の心配した方がいいんじゃねえの」
「え?」
「虫除けだし。すっぱり諦めたらそれで結構だけど、もしかしたらおまえに飛び火するかもな」


「……あっ」そこでやっと違和感の正体に気が付いた。花宮くんはわたしの幼なじみという間柄を利用し、思い通りに事を運んだのだ。今回の企てには花宮くんと近しい関係にある幼なじみという役が必要だった。軽んじられてる、というよりは。臓器が浮く感覚がして気持ち悪い。大事にしたいと思ったこの関係を、花宮くんはこうやって使うのか。

何も言えずに立ち尽くしていた。仲良くなりたいと思った矢先にこの仕打ちは痛かった。わたしの気持ちを踏みにじられた気がしたのだ。駒みたいだ。彼にとってわたしは、幼なじみという駒なだけのようだ。事を上手く運ぶための手段の一つだ。きっとすることすべて花宮くんはどうとも思わないでやってるんだろうけど、わたしはこれまで何度も、そういう花宮くんに色々踏みにじられてる。
でもまだ、期待するのはバカバカしいとは思えなかった。


「怖いのか?」


花宮くんが眉をひそめる。スカートの裾を握り一文字に口を噤むわたしは涙を堪えていた。今の流れでわたしがこうなる理由がわからないのだろう。首を振ると「じゃあ、俺にいいように使われて悔しいのか」三歩分の距離をすぐに縮めた花宮くんは少しだけ背筋を曲げ、あやすようにわたしの頭を撫でた。堪えるのに必死でロクに回らない思考回路の中、確かに今の心境はそれに近い、と思い頷くと、花宮くんは少しだけ笑って後頭部に手を置きゆっくりと自分に抱き寄せた。


「おまえのおかげだよ。これで一安心だ」


白々しいとわかるのに、そう言われては悪い気はしない。花宮くんのためになったのかと思えてしまう。優しくほだされる感覚は何度経験しても緩やかで、甘美だった。浸っていたくなる。「ああそれと、」花宮くんはピタリと手を止め、耳元に口を近付ける。


「撤回なんざしに行ったら殺すぞ。あの女には俺とおまえの関係を疑わせておく」


脅迫のようなそれに、初めてわたしと花宮くんの間にとてつもない隔たりを感じた。遮断して、突き放しているようだ。涙が零れる。絶望的な感覚、それでもまだ、花宮くんのことは諦められなかった。