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中学の頃、いつも本をジャケ買いして失敗すると話したら、それらをパラパラ読んでドン引きした花宮くんが自分のを貸してくれるようになった。以来自分で買うことは滅多にしなくなって、買うとしても花宮くんに聞いてみたり彼がいいと言ったものを代わりに買ってあげるといった習慣ができた。
彼の好みは多岐にわたっていて、推理小説が特に多いものの話題の本やはたまたギャップも甚だしいジャンルも彼の部屋の大きな本棚に並んでいる。しかしほとんどが難しい内容ばかりで、最後まで読んでも何が言いたかったのかわからずじまいという本が多い。今回借りたミステリー小説は花宮くん曰く伏線が何重にも張り巡らされていてラストで全て回収されるのがよくできてるらしかったのだけど、何重にも張られたせいで頭の中はこんがらがってしまい、かろうじて知り得たのは犯人と犯人の動機だけだった。先週から借りていたそれは何度も寝返りを打って今日やっと読み終えたのだ。パタンと閉じ「難しかった」と率直な感想を漏らすと、絨毯に座りこちらに背を向けていた花宮くんが振り向いた。不満そうな顔。


「読み終わったのか」
「うん」
「したらンな感想は出てこねえよ」
「出てくるよ。花宮くん伏線って言ってたけどもう何が伏線だったのか全然わかんない」
「その台詞、前の貸したときも言ってたよな」


果たしてそうだったろうか。大抵時間を持て余してるわたしが彼から借りた本の数は数え切れない。それでも読む速度が違うから彼の本棚にはまだ読んだことのないものがたくさんある。前回のタイトルすら思い出せないんだからきっと、勝手に借りた日には同じのを読むことになるだろう。
わたしの小さな本棚には薦めてもらった話題の本が並んでいる。それを眺めながら、買うのを薦める本は話題のものなだけあってとっつきやすいのになあと思った。花宮くんの本棚とは大違いだ。


「もっと簡単な本貸してよ」
「簡単な本の何が楽しいんだ。つかてめえの簡単の基準がわかんねえよ。絵本でも買ってやろうか?」
「…いらない」
「だろうな」


軽くあしらうと読みかけの本に目を戻してしまった。部屋に来たときに持ってた本とは違うので、わたしが借りっ放しにしてたものでも読み直してるんだろう。買うのは話題の本が多いとしても、買うのも借りるのも結局は花宮くんの趣味なので、だんだんどれが自分のなのかわからなくなってくる。
いかにも推理小説らしい、重苦しい表紙のそれを指でなぞる。伏線が何だったのか最初から読み直せばさすがにわかるのだろうけど、どうにもその気にはなれなかった。難しい。その一言に尽きる。
怖いのが苦手でミステリーにホラーがプラスされると投げ出すのがわかってるからそういうのは避けてくれてるらしい。もちろん花宮くんの優しさなんてわけではない。わざと表紙詐欺と名高いホラーの本を渡され、ストーリーの途中に怪奇現象が起こったときに思わず悲鳴を上げて放り投げたことがあるので、本の傷みを気にする彼がその一件で懲りたらしく避けてくるのだ。

起き上がり、先ほど蚊に刺された箇所を触ってみるともう何も残っていなかった。膨らみはおろか、四本の爪痕もなかった。自分の足のくせに、低反発まくらみたいだ。思わず笑ってしまう。


「ふふっ」
「なに笑ってんだ」
「なんでもない」
「なんでもないのに笑うのか。そっちの方がキモイわ」
「そこまで言わなくてもいいじゃん…」


すぐにまた本に向き直った形のいい後頭部を眺める。への字にした口はすぐに元に戻った。今何時だろうか。
パスコードを入力して携帯のロックを解除する。花宮くんの誕生日に変えて以来、入力する度に彼を思い起こすようになった。飽きもせずわたしを陥れ続ける花宮くんの加虐心に、しょうがないなあなんて気持ちはこれっぽっちもない。やめてほしいといつも思ってるのに聞き入れてもらえなくて、わたしも懲りずに怒っては泣くのを繰り返す。そんな一連のセットを十六年続けている。
時刻はあと五分くらいで夕食が出来るだろうという頃だった。花宮くんにそれを伝えると短く相槌を打ち、本を閉じさっさと一人で部屋を出て行ってしまう。待ってくれてもいいのに。追い掛けようと急いでベッドから降りると、花宮くんが置いた本を踏んでしまいバナナの皮みたいにすべってこけた。


「いったあ…」
「…何してんだおまえ」


激しい音が聞こえたからか、入り口から顔を覗かせた花宮くんは心底呆れていた。そしてここで彼の興味関心は尽きたらしく、また一人で先に行ってしまう。絨毯に勢い良くついた膝や手のひらが痛かったけれど、我慢して彼のあとを追った。いつだったか誰かに言われた、「花宮くんは優しいもんね」なんて台詞をこのとき思い出して、そんなわけないと、はっきり思った。瞬間、なんだか心がすっきりした。


「花宮くんはちっとも優しくないね」


追い掛ける背中にそう言うと、振り返った彼はこいつ頭大丈夫かみたいな気持ちを全面に押し出した表情をしていた。「今更気付いてんのかよ」その返事にわたしが返す前に、花宮くんはリビングのドアを開けた。

ほらねやっぱり。優しくないのだ。でも多分、女の子たちには教えない。
理由がわかったのだ。わたし、みんなが知らない花宮くんを知ってる優越感に浸ってる。