10

ガセですぐに撤回されたとしても自分のイメージダウンになるような噂を流されたら普通根に持つだろうと思うのだが、どうにもそこら辺が圧倒的に疎いらしいさんは次に顔を合わせたときには何でもない様子で加害者の花宮と話しているので、心が太平洋、を通り越して不気味の領域だ。


「じゃあ頼むぞ」
「うん、わかった」


午後練後のミーティングで使うのだろう資料のコピーを頼んだ花宮は頷いたさんの返事を聞くとすぐに踵を返した。放課後たまたま見かけたそのやりとりは他の奴らから見たら至って通常の光景なのだが、この間の騒動を知ってる俺からするとこの上なく不気味だ。あれからそう何日も経ってないというのに彼女が花宮を警戒する様子はまるで見受けられない。部室棟へ向かうのだろう花宮が進行方向にいた俺に気付くと、こちらも何でもない様子で「なに突っ立ってんだ」と言い捨て横を通り抜けて行った。今回は特に何か企んでるわけではなさそうだ。

原から聞いただけだから信憑性に欠けるが(まあ嘘をつく必要もないから信じていいだろう)、花宮はさんに少し気を持った坂上の脈を確実に消すためにあんなことを企てたらしい。随分手の込んだことをするとは思うが思惑は大成功で、あの一件のおかげで坂上は彼女に好意を抱くことはなくなっただろう。昼休み、クラスで噂話について話していた坂上ら陸部を花宮は容赦なく断罪したのだ。そのときこそ真摯に誠実さを周りに見せた花宮だったが、教室を出た途端に悪そうな笑みを浮かべたのを見て、ああ、と思った。そしてそのままさんの教室へ向かったと思ったら責められていた彼女を助け、坂上に言ったこととほとんど同じ台詞を吐き彼女を庇った、かのように演出してみせたのだった。
既に牽制されていた上、幼なじみの花宮にあんなことを言われては坂上も面目ないだろう。そして、彼女の無罪を全面的に信じた花宮は立派な幼なじみだと評されたというわけだ。


がそんなこと言うわけねえだろ」


何とまあ白々しい台詞だ。少し離れたところで聞いて呆れる俺の隣にいた原は笑いを堪えきれずその場を離脱していた。全部そいつのせいだと言うのに、何も知らないさんが感動してるのが後ろからでもわかった。そのあと花宮の思惑通り泣き出した彼女にはそろそろ懲りた方がいいだろと思う。
火のないところに煙は立たぬというのは本当で、花宮は点きかけの火から煙を立たせることしかしていない。誰かが言った坂上の悪口を、さんが言ったように巧みに捻じ曲げたのだ。この方法は前から使ってると言っていたのでさんは同じ手口で何度も引っ掛かってるわけだ。あんたの不幸のほとんどは幼なじみのせいだぞ、ってことを伝えてやりたい。

とか色々思うが口を挟むのはアレ、何て言うんだったか。……まあとにかく、花宮と逆方向に歩き出した彼女に声を掛けることはせず、俺も踵を返し体育館へ向かった。





「ザキそれ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえってヤツ?」
「あ、それだわ」


原にさっきの出来事を話すとそう返されすっきりした。瀬戸や古橋は特に興味がないのかあまりこの話題に首を突っ込んで来ないから知らないが、二人に対する俺と原の見解は概ね一致している。花宮はさんがすきなんだと。彼女の方はどうなのかはわからねえが。
各自での柔軟がもう少しで終わるというところで、入り口にさんが立ってることに気が付いた。お、と声を漏らすと原も気付いたらしくさんじゃんと呟く。花宮に知らせるか、と俺たちよりステージ寄りにいたそいつに首をひねると、「ヤマ」先に呼ばれた。


「あ?」
「受け取ってこい」
「あーハイハイ。ったく…」


相変わらず人使い荒ェな。顎で使うな顎で。柔軟を切り上げ言われた通りにさんのところへ向かう。同時に終わらせた原は立ち上がり頭の後ろで手を組むと、「邪魔じゃないけど首は突っ込みたいよな」そんな台詞を零して花宮たちの方へ行った。……まあ、それには同意だな。
入り口にいる彼女は俺を捉えると、少し苦笑いを浮かべて「お願いします」と資料を差し出した。受け取る役割が大体俺で固定されてることについての苦笑いだろう。


「おう、サンキュ」
「ううん」


さんはやはり普段と変わりない。話す機会はそんなに多くはないが、記憶の中の彼女はいつもこんな感じだ。ほんとすげえな。花宮に頭にきたりしねえのか。業務連絡のような会話のあとはすぐに切り上げるのだが、ふと原のさっきの台詞が思い出された。


「もう花宮のこと怒ってねえの?」
「何が?」
「ほら、坂上の…」
「……」


彼女はしばらく思考を巡らせたあと、ハッと目を見開いて「怒ってるよ!」ピンと背筋を伸ばした。いや、今の今まで忘れてただろ。むしろどうやったらそこまで自分の災難を忘れられるんだ。長所から一周回って短所に思えてくる。


「ザキー」
「あ?――ってぇ!」


原に呼ばれ振り返る前に背中にボールが直撃した。あまりの衝撃に背中を押さえ痛みに耐えていると後ろの方で「なにチンタラしてんだクソが」と花宮の罵倒が聞こえてきたのでどうやら犯人は奴らしい。さんが慌てた様子で大丈夫か尋ねてくるのに軽く手を上げ応答し、短くお礼を言ってその場から退散した。
まじで痛え。結構距離あるのにあいつ、本気で投げやがった。俺が避けたらさんに当たるのに何考えてやがんだ。思いっきり顔をしかめている花宮に、そうしたいのは俺の方だと言いたい。


「遅えよ。外周行かせるぞ」
「おまえマジ……」
「あ?」
さんに当たったらどうすんだよ…いやまず俺に投げんな」
「んなもん知るかよ」


資料を奪い取り確認をする花宮にげっそりした眼差しを向ける。なんで練習始まる前に疲れないといけねえんだ。あと原、てめえにやにや笑いやがって。おい共犯者。「馬に蹴られたねザキ」じゃねえよぶっ飛ばすぞ。

え、…つーかなに、花宮妬いたのか?