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幼なじみを十六年やってきても、花宮くんの考えてることはちっともわからないのだ。


昔から泣き虫だったわたしは加虐心旺盛な花宮くんの格好の餌食だったらしく、いたずらと呼べるのか微妙なレベルの仕打ちを小さい頃からずっと受け、その度に泣いていた。彼は頭が良く幼い頃から処世術に長けていて、わたしを半ばサンドバック代わりにしていることを周りから上手く隠していた。すぐに泣く娘を両親はなんとなく慰めてくれたけれど、元凶が「面倒見のいい良くできた」幼なじみであることはちっとも信じてくれなかったので、彼らの慰めに満足できなくなったわたしは自然と泣きつきにいかなくなっていった。
そこで不貞腐れなかったのはよかったと思う。わたしは方向転換をし、すべての元凶である花宮くんに立ち向かったのだ。
しかしもちろんすべてにおいて何枚も上手だった彼に敵うはずもなく、要領も良くないわたしがぽかぽか花宮くんを叩くとすぐに大人に見つかった。当然のように怒られると、花宮くんはそれすら利用して幼稚園児ながらお兄さんのような風格を醸し器の広さを披露してみせたのだった。疑うことなくあっさり信じる両親は多分娘より花宮くんを信用してるのだと思う。
そういった奮闘を経て、何をしても彼には敵わない、と悟ったわけでもなく、とにかく理不尽に怒られるのが嫌になって仕返しを諦め彼のサンドバックになることに甘んじたのだけれど、それでも耐え切れずすぐに泣き出すのはやめられなかった。

花宮くんは今でもわたしのことを泣き虫だと馬鹿にするけど、そうなったのは先天的な部分を君がさらにえぐったからだと思うのだ。

幼少期のことが走馬灯のように駆け巡ったのは、友人との待ち合わせ時間から二時間が経過したときだった。
今週の日曜日、午後三時に駅前の銅像のところでね。同じクラスで特に親しくしてる彼女とのメールのやりとりで決まった約束通り、わたしは三時十分前から銅像の前に立って待っていた。十五分を過ぎておかしいなと思いメールを見返して、もしかして駅を間違えたのかもと心配になったのが三時半。しばらく考えたけれど最寄り駅が同じな彼女と待ち合わせるのはいつもここだったし、銅像があるのなんてここしか知らない。大丈夫合ってる、と言い聞かせたのは三時四十五分。時間を間違えてるのかもしれないとの可能性に行き着いたときにはすでに四時を回っていて、確認のため彼女にメールを送った。
それでもなかなか、本当に辛抱強く待っても返信が来なくて、嫌な予感がいよいよリアルになり目の前が少し滲んできた。時刻はもうすぐ五時を回る。震える手で携帯を操作し、彼女に電話を掛けると二度目でコール音が鳴り止み、携帯の向こうから彼女の声が聞こえた。思ったより早い応答でびっくりする。


『もしもし、?』
「あ、こ、ここちゃん、今日の約束覚えてる…?」
『へ?約束?』


忘れてる。涙は今にも零れ落ちそうだったけど、それでも幾分かほっとしたのだ。わざとすっぽかしたんじゃなかった、よかった。忘れてたのなら仕方ない。そういうのは誰にでもある。言い聞かせるように心を落ち着かせて、「そうだよー、今日三時からお買い物行こうってメールで話してたじゃん、」言うと、携帯越しの彼女は怪訝な気持ちをはらませて、メール?と声を漏らした。顔を見なくてもわかった。首を傾げたのだ。


『そんなのしてないよね?ていうか、最近メールなんか使ってないじゃん私ら』


その台詞は開き直ったわけでも、ましてやわたしを責めるようなものでもなかった。わたし自身、確かにそうだ、と思った。
本当に、彼女とのやりとりは普段からメールよりもメッセージアプリを利用することが多く、むしろメールというツールは高校に入ってから数回しか使ったことがなかった。今回の一連のやりとりだけが何故か、メールだったのだ。それに気付いた瞬間、心臓が浮く感覚に襲われた。


「ごめんここちゃん、今日メール送ったんだけど届いてる?!」
『え、届いてないけど…』
「あー!ごっごめん、ごめんね!なんでもなかった!わたしの勘違いだった!!ごめんね!」
『え、なに?どうしたの?』
「ごめん!切るね!また月曜日!」


彼女の返事も聞かず電話を切り、すぐさまついさっき送った彼女へのメールを開いて、送信先のアドレスを見る。………やっぱり。


「もうやだ…」


そこに並んでいた見慣れたアルファベットと数字のアドレスは、間違いなく幼なじみのものだった。銅像の前でしゃがみこんで腕に顔をうずめる。ぐるぐる巡る幼少期の走馬灯、鐘の放送が流れた。五時を回ったのだ。

また騙された。全部、花宮くんが仕掛けたいたずらだったのだ。携帯の電話帳を知らない間にいじられて、友達のアドレスを自分のものに書き換えていたのだ。何も知らないわたしは、疑うこともなく彼女との約束を取り付けた気になってずっと待っていた。きっと一人待ち呆けるわたしを笑ってたに違いない。ひどい。ぼろぼろ流れる涙は止まらなかった。
一度袖で拭い、立ち上がる。駆け足で帰路を引き返す。涙は流れたままで周りの人から変な目で見られてるのはなんとなくわかったけど、どうしようもなくて走ることしかできなかった。
自分の家には帰らず向かいの家のインターホンを押す。慣れたもので家主であるおばさんはすぐにドアを開けてくれて、二階にいるわよと言ってわたしを通してくれた。挨拶もままならずこくこくと頷いて階段を駆け上り、目的の部屋を勢いよく開ける。白い照明に照らされた部屋に立っていたその人は足音などで気付いていたのか驚くこともせず、わたしの顔を見ると特徴的な笑い声をあげた。


「ふはっ、ブサイクな顔」
「はっはなみやくんのっ…」
「あ?」
「花宮くんのせいじゃん!」


止まりかけてた涙が、彼と対峙するとまたぶり返してきて、ぼろぼろとみっともなく泣いた。丁度帰宅したところなのか、ブレザーをハンガーに掛けた彼はそれから手を離すとわんわん泣くわたしに歩み寄った。


「ひどい、花宮くん、もうやだあ」
「まんまと騙されて。可哀想になあ」
「全部花宮くんが悪いんじゃ、ん、…うわああん」
「それに全部ひっかかるおまえもおまえだよバァカ」


そう言いながら花宮くんは頭の後ろと背中に手を回しわたしを抱き寄せ、肩口に濡れた顔を押し付けさせた。彼のワイシャツに涙が染み込む。頭をぽんぽんと叩きながらよしよしと慰める花宮くんに、また涙が零れた。こういうときの花宮くんは異様に優しいのだ。

幼稚園児の頃から花宮くんにいじわるをされてきたわたしは泣きつく場所を探していた。そして最終的に辿り着いたのが、花宮くんだったのだ。慰めてもらおうと思って泣きついたのではなく、ただ単に仕返しを諦めた上でやめてと言うために彼の元へ行ったのだけど、誰も信じない花宮くんのいたずらを彼だけは当然のことながら認め、その上で慰めてくれたのだ。いたずらの張本人に慰められては元も子もないと思うけれど、ぎゅうと抱き締め優しく頭を撫でられる行為は、本当に本当に、わたしの求めていたもので、その日をきっかけに花宮くんにいじわるをされたときは花宮くんのところに行くというおかしな習慣が染みついたのだった。

花宮くんが何を考えてるのかわからない。いじめて、泣かせた相手を慰める、その行為に何の意味があるのだろう。慰めるくらいならやめてよ、と泣きながら言ったことは何度もあるけど、おまえこそいじめた奴のとこに慰められに来んなよと返されるばかりだった。

それでもわたしは懲りずに騙されて、泣いて、花宮くんに慰めを求めるしかなかった。十六年という月日を経て、誰も信じてくれないからとかはもう理由じゃなくなっていた。


「おまえの泣き虫も治らねえなあ」


彼の腕とか、優しい手だとか体温が心地よくて、もう花宮くんしかいないと思ってしまうのだ。