朝の日差しにゆっくりと目を開けると、目の前に主の顔があった。予想外の光景に二度瞬きをして、ハッと我に返る。思わず距離を取ろうとするも手が何かにつかえて叶わなかった。見ると、自分のそれは主の両手に包まれていた。指先は冷たい。けれど不思議と安心するぬくもりだった。
 しばらく状況把握に時間を費やしたあと、ふう、と静かに息をつく。……俺、知らない間に気失ったんだ。主と泣いた記憶を最後にあとのことは何も覚えていなかった。主もいつもこんな感じなのかなと思うと気分は悪くない。手入れにも審神者の力を使うらしいから、今眠っているのは夜の睡眠と合わせてそれの回復のためでもあるのだろう。涙の跡が残る彼女の寝顔を見て、目を細める。そっと彼女の手から自分のそれを抜き取り、彼女の頬を撫でる。起きる気配はない。
 俺のせいで疲れさせてしまった。昨日のことを思い出すけれど、申し訳ないことに心は痛まなかった。むしろ暖かくなる。無意識に笑っていた。


「ありがと、主」


 大事にされてるのわかったよ。彼女の手を、上から包み込む。俺の手の方が暖かいや。
 綺麗じゃないと駄目だと思った。ボロボロの俺なんか、この人に愛されないと思った。たった一週間でもこの人のことをわかったつもりになっていたのか、俺も大概バカだなあ。
 カタン、と隣の部屋から物音が聞こえた。起き上がり、主に布団を掛け直してから近くのシャツを羽織って立ち上がる。身体中の痛みが綺麗になくなっていたのには気付いていたけれど、包帯やらはなんとなく外したくなくてそのまま部屋を出た。


「……お」


 廊下を出て隣の部屋を覗くと、入り口近くで身支度を整えた長谷部がいた。ちょうど障子で日差しの陰になっている場所に座っていた彼は、暗がりから視線だけを俺に向けた。彼と目が合ってすぐ、部屋の奥に目をやる。そこでは驚いたことに、短刀たちが雑魚寝をしていた。


「おまえが心配で手入れ部屋から離れようとしなかったんだ。寝かしつけるのに苦労した」
「それは……ご苦労さま」
「傷は?」
「ご覧の通り」


 大きく手を広げてみせたけれど、まだ包帯を巻いてるから具合はわからないだろう。それでも俺を見上げる長谷部は把握したらしく、ふっと目を伏せて静かに笑った。


「元に戻ったならいい」
「どうもご心配をおかけしました」
「顔はひどいままだがな」


 はっ?とっさに両手で頬を触る。右頬にも大きなガーゼが貼られてるけど傷はもうないはず。ひどいってどこが!思わず詰め寄ると当の長谷部は鬱陶しいと言うかのように顔をしかめた。


「目が腫れているということだ。……きっと主もだろう」
「ああ……なんだ」


 言われてみれば確かに起きたときからまぶたが重かった。まだ寝足りないからだと思ってたけど、そういうことか。泣いたのなんて実体を持って初めてだったから次の日どうなるかなんて全然わからなかった。


「主のすすり泣く声が聞こえていたから、短刀たちがおまえが死んだんじゃないかと騒いでいたな」
「大げさだなー」
「まったくだ」


 この付喪神は怪我の程度でどうなるかわかっていたらしい。そりゃそうか、じゃなかったらあんな乱暴な担ぎ方しないだろう。
 腹の傷と引き換えに敵部隊にとどめを刺したあと、勢いのまま倒れこんだ。それから我に返って絶望した。ひどい身なり、ごまかしようのない身体の怪我。こんな姿じゃ、主に捨てられる。……帰りたくないと、思った。けれど、そんな泣き言に耳も貸さず俵担ぎをしてみせたのがこのへし切長谷部という刀だった。
 ま、感謝してるけどね。障子に寄りかかり、訝しげに俺を見上げる彼に聞いてみる。


「ね、主は俺のこと愛してくれてると思う?」


 ……ああ、心を傾け始めてる彼に対して卑怯な質問だったろうか。しかし無自覚な長谷部は少し難しい顔をしただけだった。


「それはわからないが、おまえが死んだら主も死にそうだとは思ったことがある」
「……」
「だからおまえを置いて帰ることは間違ってもしない。他の刀もそうだ」


「おまえもだろう。だからあんな無茶をしたんじゃないのか」少しも疑っていない物言いだった。ずいぶん殊勝なスタンスだ。そう言っておきながらいざとなったら自分のことは捨て置くと思わせるのが、この刀たる所以だと思う。じゃあ俺は?実際のところはどうだろうか。畳の縁に目を落として考えてみる。
 俺は、やっと六振りで部隊が組めると心から喜んでいた主を、悲しませたくなかったんだと思う。主のいない戦いで誰かが欠けるなんて、俺の率いる部隊でそんなことは間違っても起こしたくなかった。全員で帰らないとって、頭にあったのはそれだけだ。そのあとは我に返って以下略。……あー、だいぶグズッたな、俺。反省しよう。
 しかしそれとこれとは話が別だ。ふん、と鼻を鳴らして腕組みをする。一日二日しか変わらないけど、一応俺の方が先に顕現したのにこの刀の考え方のほうが落ち着いていて負けた気分になる。変なところ頑固だけど、むしろそういうところを主が気にかけてるの知ってるからなんかもやもやするし、負けられないと思う。何に負けたくないかというと、主は渡さない、ということだ。俺は愛されたい。
 俺が寝ていた部屋から物音が聞こえた。バタバタと畳の上を走る足音、と思ったら、バタンと何かが倒れる音がした。廊下を覗く。


「……主、大丈夫?」


 彼女が手入れ部屋から廊下へとダイブをかましていた。声を掛けるとすぐさま起き上がり、俺を視界に入れたと思ったら口を大きく開けた。


「あ、か、かしゅうくん……」
「うん、おはよ」
「加州くん!」


 喜びを弾けさせた声。立ち上がり、駆け寄ってきた彼女は勢いよく俺に抱きついた。思いっきり動じた俺は一瞬反応が遅れ、そのせいで彼女はパッと離れてしまった。あ、ミスった。捕まえとけばよかった。


「ごっごめん!怪我の具合どう?」
「え?ああ……もうすっかり、全快。主のおかげだよ」
「よかったあ〜……」


 じわりと潤んでいく目。泣くんだ、ふと思って、軽く腕を広げるとまた飛び込んできた。今度こそ離れないように、背中に腕を回してポンポンと叩く。


「起きたらいなくて、死んじゃったのかと思ったああ〜……」


 ああ、それは、悪いことをした。ごめんねと短く謝ると、彼女はすんと鼻をすすった。
 頭を傾げて彼女に頬ずりをする。今回のことで、身に沁みた。俺はこの子に愛されたいよ。それだけじゃなくて、愛したいとも思う。与えたいと思う。ああもしかして、これが人間のする、恋というやつなのかな。なかなか悪くない。


「ん……あれ、加州さん……?」


部屋の奥からの声に顔を向けると、前田藤四郎がむくりと布団から起き上がった。どうやら起こしてしまったらしい。


「加州さん!ご無事で!」


 前田が嬉しそうに駆け寄ってくる。それを皮切りに他の短刀たちも起きたようで、目覚めるなり一直線に俺らへ集まってくるものだから部屋が一気に賑やかになった。


「加州さん〜!」
「よかったあー……!」


 秋田藤四郎や五虎退、今剣も俺や主を囲って抱きついてくる。少し離れたところでそわそわしていた愛染国俊も、この際だとちょいちょいと手招きすると、ええいと抱きついた。わんわんと泣く主と短刀たち。そんな様子を、長谷部もそばで見守っていた。
 落ち着いた頃、短刀たちと長谷部の手入れを済ませ、全員で風呂に入った。その間に主は眠っていて、この日は一日、本丸でゆっくり休息をとったのだった。