屋敷を出るとすぐにみんなの姿を捉えられた。背の高い長谷部が、短刀たちを引き連れてこちらに歩いてくる。行きに見送ったのとはどう見ても様子が違う。


「……加州くん」


 思わずつぶやく。彼は、長谷部の肩に担がれていた。だらんと垂れた両手。顔は見えない。彼によく似合いのコートや襟巻きを身につけていない。その様子は、初めて彼と出陣したときに見たのと同じだった。
 でも明らかにあのときよりひどい。急いで駆け寄ると、全員の顔色が悪いことに気が付いた。いよいよ心臓が苦しい。


「みんな、あの、」
「申し訳ありません。俺の不徳の致すところです。すぐに加州清光の手入れをお願いできますか」
「あ、うん、……加州くん、」


 呼ぶと、ピクリと指が動いた。意識はあるみたいだ。けれどそれ以上動かす気力がないのか、彼は長谷部の服の裾をぎゅうと掴むだけだった。長谷部はそれに対して顔をしかめたけれど、咎めることはしなかった。
 ふわふわと、地に足がついていない感覚。心臓はさっきからバクバクと嫌な脈を打っている。加州くん、大丈夫なの。聞いて、何て返ってくるのか想像するのすら怖くて口に出せなかった。


「手入れ部屋まで運びます」
「おねがい、します」


 再び歩きだした長谷部を追いかけるように、わたしと短刀たちがついていく。加州くんの傷は重傷の類だ。前田くんが伝えてくれた通りのはずなのに、いざ目の当たりにして喉がつかえた。自分が、極度の緊張感に襲われてるのがわかる。周りでみんなが涙声で任務のいきさつを説明してくれてるのに、かろうじて相槌を打つばかりだった。予想以上に敵の数が多かったこと、陣形が崩れて、最終的に加州くんが刀装なしに一人で敵に突っ込んでいったこと。加州くんは最後の力を振り絞って敵を倒してくれ、そのおかげで他のみんなは誰一人欠けることなく無事だったこと。……うん。うん。頷いていくうちに声が震えた。目に浮かぶよ。加州くんがみんなのために戦ってくれたとこ。
 そうだ、わたしも……加州くんのために、自分ができることをやらないと。おぼつかない足を叱咤し、手入れ部屋まで小走りで向かった。


「下ろすぞ」


 五虎退くんが呼んできてくれた小さな手伝い人は手入れ部屋ですでに準備を整えてくれていた。長谷部の声に微かに頷いた加州くんは部屋の真ん中にへたり込むように座った。髪はぼさぼさで顔にかかっている。表情まではうかがえないけれど、顔色が悪いのはわかる。長谷部に隊員たちのことを頼み、彼らが下がるのと同時に加州くんの前に座り込んだ。
 手入れをするのは初日以来だ。初めて出陣したあのとき以来、わたしは彼らが怪我を負うのをひどく恐れていた。これが二度目。あのときも手伝い人に手助けを頼んだ。でも、刀剣男士を治せるのはあくまでわたしだけだ。わたしがしっかりしなくちゃ。
 思うのに手が震える。なんとかたすきを縛り、こんのすけに教わった手順を思い起こしながらおそるおそる手入れ道具を手に取る。最初に、そうだ、血を、洗い流さないと。濡れた手ぬぐいを持って、初めて、彼が脇腹を押さえてるのに気がついた。乱れた白いシャツの下に見える地肌は真っ赤に染まっていた。


「かしゅうくん、脇腹、」
「……」
「なおすから、手、はなして」


 ゆっくりと手が離れ、傷口が現れる。見た瞬間息を飲んだ。ぱっくりと切れてる、初めて見る大怪我にうろたえる。こんなになって、加州くん、大丈夫なの。わたしなんかが治せるの。どうしよう、加州くん、もし死んじゃったら、どうしよう。おそるおそる手ぬぐいを当て、そっと血を拭いていく。髪の隙間から、痛みを堪える顔が見える。唇をぎゅっと噛んでいる。ごめんね、ごめんね、心の中でひたすら謝って、傷口を綺麗にしていく。じわりと視界がにじんだ。何て言ったらいいのかわからなくて、気付けば自分も唇を噛み締めていた。


「……修理してくれるってことは……」


 かすれた声が耳に落ちてくる。ハッと顔を上げる。加州くんが、ポロポロと涙を流していた。


「まだ愛されてる、のかな……」


 苦しい心臓が息を飲み込む。加州くんの、美しい涙が、わたしの腕に落ちた。


「…なんでよお……」


 なんでそんなこと思うの。治さないって選択肢があると思うの。わたしが、加州くんがいてようやく成立するわたしが、君を治さないなんて、そんなわけ、ないでしょう、なんでよ。伏せた目はわたしと合わせようとしない。


「だって、こんなボロボロじゃ、愛されっこない」


 加州くんは、本当に思ってる。思っていて、それを心底恐れてるから、今の自分が後ろめたいから、目を合わせない。顔色は一層悪い。額も汗ばんでる。きっとこのまま放って置いたりしたら、本当に、恐れていることになってしまう。
 ぽたりと、また腕に涙が落ちた。けれど今度は加州くんのじゃない。


「愛してるからしなないで……」


 震えた声だった。ふた粒の涙がまた落ちると、視界が少しはっきりする。加州くんと目が合った。驚いていて、でも泣いてるし、前髪は下りてるし、ぐしゃぐしゃの顔だった。それから目を細め、ぐっと口を閉じてまた何かを堪えるように眉間に皺を寄せた。けれど、痛みをじゃないようだ。さっきより表情は和らいでる。まだ、涙は零れてるけど。布の綺麗な部分でそれを拭ってあげてみても、止まる気配はなかった。ポロポロと流れる涙につられるまま、わたしの目からも零れていく。


「泣かないでよお加州くん」
「主だって泣いてるじゃん……」
「だって加州くんが、変なこと言うから、う、うう……」
「……うん……ごめん、ごめんね主」


 それから少しの間二人で泣いたあと、加州くんは緊張の糸が解けたのか眠ってしまった。ゆっくりとわたしに寄りかかるように目を閉じた加州くん。それを支えながら、脇腹の傷口をガーゼで覆って包帯を巻く。これで、大きなところは終わった。手入れ用に加工した資材を使って丁寧に処置し終え、あとは反対側が床につくように横向きに寝かせて、他のところを診ていく。背中や腹部に痣ができていた。まだ青白い顔の加州くんを一瞥して、止まっていない涙をぬぐっては鼻をすする。悲しくて苦しくて、大声で泣いてしまいたかった。