政府への報告も終わり、今日一日の仕事がようやく全て片付いた。審神者に与えられた部屋で一人、ふうと大きく息をつく。お腹すいた。
 第二部隊と第三部隊の遠征陣は午前中に戻ってきてたし、第一部隊が関ヶ原の時間遡行軍を討ち取ったことの報告が少し煩雑だったけれど、今日は比較的やることが少なかったように思う。明日は新しい場所に進めそうだ。まだ寝ないし、台所に行ってみようと思い障子を開けた。
 と、ちょうど前の廊下を歩く長谷部とかち合った。ナイスタイミング?彼は一瞬不意をつかれたように固まり、それからすぐさまわたしに向き直った。彼ならではの振る舞いだ。なんとなくこんばんはと挨拶すると彼も恭しく返してくれる。
 しかし、おかしい。こんな夜更けにまだ戦闘服を身につけているその付喪神に首を傾げる。


「お風呂まだなの?」
「はい。先ほどまで稽古場で鍛錬していたもので」
「おお、おつかれさま」
「主に仕える者として、当然のことです」


 そうのたまう彼にほどほどにねと言い、せっかくなので途中までご一緒することにした(というか長谷部がお供すると言った)。きっちりわたしの半歩後ろを歩く長谷部に何を話そうか考える。顔が見えないから困るなあ、と思いつつ、多分長谷部は嫌がってはいないと思うので余計な詮索は控えておく。彼の、忠実な家臣みたいな振る舞いには未だに慣れない。
 今日は長谷部と鯰尾くんが畑当番だったので、そのことを聞いてみることにする。と、まるで遠征の結果報告のようにつらつらと述べるので、ぐう、と心を潰すことになった。話題が悪かったか、業務連絡みたいなやりとりになってしまった。彼とは度々こういう事態に陥る。
 台所までの縁側を歩いていると、中庭の池にいい具合に月が写っていて、綺麗だなあと思う。ここでの生活にはほとんど慣れたから、刀たちの部屋の前を足音を立てずに通り過ぎることも余裕のよっちゃんだ。短刀たちはもう寝てるだろう。でも薬研くんあたりは起きてそうだ。彼の部屋はここからじゃ見えない場所にあるけれど、そう思うと暗い障子の向こうに淡い灯りが見える気がした。
 長谷部はわたしが話し掛けないと滅多なことで口を開かない。滅多なことというのはさっき話したような業務連絡だ。これは前に検証したことがあるのでかなり確実性が高い。だから今も、彼は黙ってわたしのあとをついてくる。忠誠心の高い付喪神だと思う。いいことだ。いいことなんだけど、何て言うか、………。
 そうこうして着いた台所でも、世話焼きの長谷部はわたしのために何か作ると言い出すので丁重にお断りする。


「長谷部はお風呂」
「しかし、」


 動揺をはらんだ目だ。わたしがジト目で睨むも彼から頷いてくれる様子はない。ここでわたしがお決まりの台詞を言えば彼は間違いなく従ってくれる。でも残念ながら、わたしが求めてるのはそうじゃないのだけれど。何て言えばいいのかわからないから、毎度それを言うばかりだった。


「主命です。今日もおつかれさま」
「……は」


 長谷部は渋々といったように、しかしきっちり三十度のお辞儀をして、くるっと踵を返して去っていく。表情は見えない。それをわたしは、晴れない心持ちで見送るのだった。やっぱり顔が見えないと不安だ。
 自分でもよくわからない。向こうも思ってるかもしれない。付き合いは長いはずなのに、長谷部との距離感が掴めないのだ。壁があるんじゃなくて、変な距離があるように思えて仕方ない。いつか彼と気軽に世間話ができたら嬉しいと思うのだけど、どうしたらいいのだろう。夕食の残り飯でおにぎりを握りながら、ぼんやりと考える。
 きっとそもそもの関係性がいけないのだ。付喪神である彼を顕現させたわたしはどうあがいても彼にとっての「主」だし、そんなのどうでもいいからと言ったところで今度は彼の気質がそれを許さない。それに、彼らがわたしの命令で動いていることは厳然たる事実なのだ。
 長谷部の、忠誠を誓う姿は美しい。わたしもきっとそれを優越感の足しにしてる。……だからだめなんだろうなあ。
 想像してたよりしょっぱい出来のおにぎりを完食し、お腹も満たされたので部屋に戻ることにする。断ってしまったけど長谷部に頼めばよかったかもしれない。彼は何でもできるのだ。
 灯りを消して台所を出ると、すぐに気配を察した。顔を向ける。


「……はせべ」


 開けっ放しだった引き戸に寄り掛かっていた彼はまた、すぐにわたしに向き直り、綺麗なお辞儀をしてみせたのだった。


「部屋までお送りします」


 とっさに何て言ったらいいのかわからなかった。
 寝間着の浴衣に紺色の羽織を着た彼はわたしの言った通りすぐにお風呂に入ったのだろう。わたしはどれくらいここにいたか。多分三十分もいなかった。長谷部、お風呂ゆっくり入れたの。急いで入って出てきて、わたしが食べ終わるの黙って待ってたの。わたしを送るためだけに。


「へへ……」


 思わず気が抜けてしまう。眉をハの字にして、変な笑い声が漏れた。
 ばかだなあ、ここ本丸だよ。野営張ってるわけじゃないんだからさあ、そんな、心配性みたいに。
 でも長谷部は来てくれるのだ。主であるわたしが夜に一人で台所にいたら、文句も言わずそばに控えてくれて、きっちり半歩後ろに付き添ってくれるのだ。底なしの忠誠心は純粋にありがたいと思う。


「ありがとう、ぜひおねがいします」
「主の思うままに」


 残酷なほど徹底された、自分のことは二の次だという精神。いつかこの神様とは喧嘩をするかもしれないけど、嫌いじゃないからするんだよ。