朝ごはんを済ませ、洗い物当番のお手伝いをし終えた清々しい朝だった。背伸びをしながら部屋に戻り、政府からの通達を適当に読み流しポイと放り投げる。今日はそういう気分じゃありませんので、知らんぷりを決めさせていただく。こんなことをして許されるのかと聞かれたら頷けはしないけれど、こんないい天気に部屋に引きこもって資料作成なんて湿っぽいことはしたくない。というわけで無視だ無視。心の中でどうだとピースをして、それからあることを思いつく。思いついたまま障子に手をかけて外を覗くと、目的の人物はちょうど中庭を歩いているところだった。


「前田くーん!」


 おーいと手を振ると彼はすぐに反応してくれて、ハッとわたしに向いた。はい、と元気のいい返事をして前田くんは小走りで駆け寄り、縁側までやってくる。


「何かご用でしょうか?」
「うん、ねえねえおととい話したお団子屋さん行こうよ!」
「…!はい、喜んでお供いたします!」


 話が早い!何のことだかすぐに察してくれた彼にやったとガッツポーズをする。そうと決まればと、町で使う小銭の入ったお財布を棚から引き出し、縁側の下にしまっておいた草履を出す。わたしの準備を姿勢正しく待つ前田くんも心なしかわくわくしているようだ。履き終えさあ行こうかと向かい合うと、前田くんはにこりと口角を上げて笑った。
 おととい、調味料やら何やらを光忠と買いに行った際、行列ができているお団子屋さんを見つけたのだ。吸い寄せられるかのようにそれをじっと目で追っていたのだが、光忠に「無駄遣いは駄目だよ」とかっこよく釘を刺され試食は叶わなかった。しかし諦められない、ものすごく気になるから絶対行きたいという話を夜ご飯を食べているとき力説したのを、隣に座っていた前田くんも覚えていてくれたようだった。


「あれ、主出かけんの?」


 菜園の方からやってきたのは加州くんだ。内番服を着ているところからも、今日の当番である畑の世話を真面目にやってくれているのがうかがえる。


「うん、ちょっと行ってくる。何か買ってくるものある?」
「ないけど…出かけるなら俺、ついてけるよ」
「大丈夫、今日は前田くんにお願いしたから」


 そう言いながらそっと前田くんの背中に手を添えると、まっすぐだった姿勢がさらにピンと伸びた気がした。「主君のことはお任せください!」責任感の強い彼らしい言葉だ。実は二人でお団子を食べに行くというのは秘密である。内心ふっふっと悪い笑みを浮かべる。と、目の前の加州くんは少し顔をしかめたようだった。バレたかと一瞬冷や汗をかいたが、どうやら疑っているわけではないようだ。


「…ふーん?」
「か、加州くん?」
「べつに?」


 まだ何も言ってない……加州くんはときどきこういう顔をする。つんと口を尖らせて、まるで拗ねているようだ。今回の矛先はどうやら前田くんのようで、ピンと背筋を伸ばした彼もさすがに困ってしまっている。「加州さん…?」「…主はさー、」ちょっとトゲのある声で、加州くんは腰を曲げ、前田くんと目線を合わせた。と思ったら、彼の帽子をふっと取った。


「短刀たちに甘いよね」
「…そうかな」
「そうだよ。べつにいいけどね」


 と言いながら、加州くんは前田くんから取った帽子を自分で被ってみせた。「加州くん、似合ってない」「ぐ」苦虫を噛み潰した顔とはこういうのを言うのだろうか。率直な感想を述べると加州くんはまたぶっすーと機嫌を損ねてしまった。


「今の格好と合ってないって意味だよ」
「…だよねー」


 はっと自嘲気味に笑った彼はその帽子を前田くんに返すかと思いきや、今度はわたしにぽすんと被せた。


「いってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
「前田も。主のことよろしくね」
「はい!」


「行って参ります」ピシッと敬礼した前田くんににこりと笑う加州くんも大概、短刀たちに甘いと思うけどなあ。それは言わずに、手を振る彼に見送られて本丸を発ったのだった。返してほしがるかと思った帽子はわたしの頭に乗ったままだ。いいの?と聞けば前田くんは大きく頷いて、よくお似合いですと笑ってくれた。それが本心からの言葉だというのが伝わってきて、そうかなあとにやけてしまう。実際のところはわたしも加州くんと同じ和服を着ているのだから似合ってはいないはずなんだけれど、前田くんに褒められるのは悪い気はしない。ああそっか、加州くんもただ褒めてほしかっただけなのかもしれないなあ。


 二人並んで町を歩いていくと、午前のいい時間だからか人通りも多く賑わっていた。そんな中をお団子屋さんの場所の記憶を掘り返しながら歩いているので、他のことがおろそかになって周りの人に鈍くなりがちだ。何度となく人にぶつかり謝るたびに前田くんが心配そうに声をかけてくれるので申し訳ない。目的地まではもう少し歩くだろう。


「…前田くん、お願いがあるのですが」
「なんでしょう?」
「手を繋いでいただけませんか…」


 そしてぶつかりそうになったら引っ張っていただきたいです。自分としては、短刀たちのことは(一部例外はあれど)弟のような、というか自分がお姉さんだという気持ちで接しているものだからこの申し出はなかなかに情けないのだが、背に腹は代えられないといったところか、恥を忍んで頼むことにした。というかそもそも前田くんあんまりべたべたするのすきじゃないかも、とバツが悪く目を逸らしながらおそるおそる手を差し出すと、彼は目をぱちくり瞬かせ、それから「もちろんです!」とこれまた元気よく了承してくれた。手を重ね、柔く握った彼に心臓がきゅんと音を立てた。


「ありがとう〜…」
「いえ!主君をお守りするのが僕の役目ですので」
「頼りになるなあ」


 しみじみ述べると、前田くんはとても嬉しそうに笑った。可愛い子だなあ。

 お団子屋さんは今日もお店の外に列を作っていた。そこに並んでようやく二人でホッと息をつく。目的地には着いたけれどせっかくなので手は繋いだままにしておく。前田くんも離そうとしなかったのをいいことに、わたしは少しだけ手に力をこめて彼の手を握った。「さすがは、主君が目をつけられただけのことはありますね」「そうでしょうそうでしょう!」お土産袋を持ってお店から出て行くお客さんたちを眺めながら順番を待つ。二人とも期待に胸が膨らむばかりだ。どうやらこのお店はお土産屋さんとしてだけじゃなく中で食べる場所もあるらしい。


「みんなお仕事頑張ってくれてるし、全員にお団子買ってこっか」
「それは名案です。ぜひそうしましょう」
「でもわたしたちはここで一番おいしいのを食べてしまおう。内緒だよ」


 空いた左手の人差し指を口の前で立ててみせる。すると前田くんもやっぱり嬉しそうに笑って、「はい、内緒です」同じように人差し指を口の前に持っていってみせるものだから、可愛くて仕方がないのだ。