猫みたいだ、と思った。

 資材が底を尽きかけていたものだから、兄弟たちを連れてちょっくら遠征に出ようと考えた。鍛治舎から外を通り屋敷の一室である大将の部屋に向かうと、目的の人物はすぐに見つけることができた。しかし残念なことに、遠征の申し出は叶わなかったのだが。
 縁側で背を丸めて寝転ぶ様子が、猫みたいだと思った。ちょうど、大将の頭のそばで同じようにして寝ている猫がいたものだから、余計に。近寄ると起きてピンと背筋を伸ばしたのは本物の猫だけで、大将は目を覚ます気配も感じられなかった。どうやら熟睡中らしい。
 起こすのは忍びないな。まだ日は高いし、起きてから出立しても十分間に合うだろう。頭の中で計画を修正し、庭に面した大将の部屋に上がり羽織を拝借する。それを彼女に掛けてやり、猫を挟んだ反対側に腰を下ろした。随分と人間馴れしているらしい猫はどこかへ行く様子もなく、この場にとどまったまま何やら大将へ首を向けていた。


「あ、こら」


 何をしてるのかと覗けば、大将の手元に広げられていた巻物に目をつけたようだ。見ている最中に寝落ちたのだろう、物語るように巻物は力の抜けた大将の手の下敷きになっていた。変に折り目が付くのはよくない、それに引っ掻いて破かれたりしたら敵わないな。そう思い猫を抱き上げて自分の太ももに乗せ、そっと大将の手元から巻物を抜き取った。くるくると巻き直している間もずっとおとなしくしていた猫は本当に人間慣れしているようだ。正確には、俺は人間ではないが。
 巻物を後ろに置き、猫の背中を撫でる。今日は随分と暖かい。本職である戦いは嫌いじゃないが、こんな日も悪くないと思えた。気付くと足の上の猫は、さっきと同じように丸まって寝ていた。
 薄桃色の羽織に首を向け、規則正しく上下する身体を見遣る。


「なに、他人事?」


 いつの日か、やや不機嫌そうに問うた加州清光の言葉を思い出し、ふっと笑みをこぼす。愛されてるな、大将。
 起きたときのために茶でも用意しとくか。俺が動くのを察知したのか、腰を上げるより先に猫が起きて太ももから降りた。大将もこのくらい警戒心があったらと思うが、こんな役得もあると思えば今のままでいいかもしれない。


「あれ、薬研」


 立ち上がり、走っていく猫を目で追っていると、先で誰かの元にたどり着いた。抱き上げたそいつと目が合う。乱だ。


「丁度いい。乱、夕方遠征に行くから兄弟たちを集めておいてくれ」
「りょうかい。……あるじさんは寝てるの?」
「ああ」
「なるほど、声をかけるにかけられないってわけか」


 話が早くて助かる。肩をすくめ、猫を抱えたまま歩み寄ってきたそいつにもう一度肯定の返事をする。乱は俺と大将を交互に見たあと、人当たりのいい顔で笑った。


「薬研はあるじさんのことすきなの?」


 一瞬返事に詰まる。ひとつ息を吐いてから、するりと答えた。


「すきだよ」


 本音だ。おそらく正しく受け取った乱はにっこりと笑みを深め、やっぱりと言う。


「ボクもすき。ね、あるじさん?」
「っ!」


 とっさに振り返るが、大将はさっきと変わらず穏やかな寝息を立てているだけだった。


「……乱、からかうのはよせ」


 恨み言を漏らすも、こんな単純なことに引っかかる自分を情けなく思った。


「あはは、ごめんごめん。じゃあハイ、ねこ」
「は?おい、」
「お詫びにお茶持ってきてあげる。薬研はここで待ってて」


 猫を押し付けられ、肩も押し付けられ再び腰を下ろす。履物を脱ぎ縁側に上がった乱に「ボクは応援するよ」ひらひらと手を振られ、何を言うか思案している間にそいつは廊下の角を曲がって姿を消した。なかば呆気にとられながら、猫を抱え直しさっきと同じように座らせる。今度はすぐに丸まることはなかった。
 それから、隣を見る。さっきと変わらない、安穏の眠りの中にいるようだ。


「……起きてないな、大将」


 問いかけるようにつぶやく。


「にゃあ」


 返ってきた足の上からの返事に、思わず笑みが零れた。