大人の方が書いたとわかる文面はなるほどなるほどと心に留めたい内容であるものの、送られてくる頻度が並じゃないせいで文書越しにがみがみと叱られている気分になる。期限を破りがちなせいだとは重々承知しているので、もし本当に目の前におわせられたのならば、正論を述べられるお偉い方に、ははあとこうべを垂れるしかないだろう。だからといってしょげていても提出物は出来上がらないので、すいませんでしたと紙の前で手を合わせ、筆を取る。午前は結構頑張った。

 気がつくと、不思議なことに足が畑に向いていた。いつのまにか、中敷がふかふかの長靴を履いて、たすきで袖をまくって準備万端だった。
 ふむ、と一呼吸置いて、あくまで我に返ったつもりで、歩き出す。縁側に置いてあった空のかごを拝借して黒土の一角にしゃがむと、育てている食物とは別の、勇敢な緑色があちこちに見える。雑草むしりは結構すきだ。何も考えなくていいから、無心になって、きっと修行の精神統一などにも取り入れられていることだろう。一番近い葉っぱに手を伸ばす。なかなか根深いようで、簡単には抜けなかった。


「おい」


 ブチッと、根が千切れる。失敗した。顔を上げる。いない、振り向く。


「あ」


 大倶利伽羅くん。真後ろに立っていた。わたしと同じ空のかごを小脇に抱え、冷めた眼差しで見下ろしている。こういう顔は、正真正銘、相手に呆れていたり、鬱陶しがっているときにしかできないものでしょう。
 首が疲れるので、立ち上がって対峙する。見下ろす目線はさっきより上がったけれど、はあ、と小さく溜め息をついた彼の感情が芳しくないことは明白だった。


「大倶利伽羅くん、畑当番?」
「そうだ。あんたの手を借りる気はない。さっさと自分の仕事に戻れ」
「休憩中なんだよ」


 大倶利伽羅くんは眉をひそめ、何を馬鹿なことをと言いたげだ。彼のこれまでの行動を鑑みるに、最悪の場合、近侍に言いつけることもいとわなさそうだ。だとしても、よくあることだし、近侍も許してくれそうだ。でも大倶利伽羅くんが嫌だと言えばだめって言うかもしれない。
 大倶利伽羅くん以外の当番は誰だろう。今日は当番表を見るのをすっかり忘れてしまったのだ。


「草むしりだけでいいから、一緒にやらせてください」
「断る」


 取りつく島は浮かんでいないらしい。反応に困ってつい苦笑いするわたしを大倶利伽羅くんは一瞥し、ふいっと顔を背けた。――あっ。


「違う、ごめん。片手間にやるつもりはなくて、ちゃんと手伝います」
「……そういうことを言っているんじゃない」


 違うのか。それでも無神経に軽んじるような言い方をしてしまい後悔が募る。本丸の住人が増えるにつれ徐々に拡張していった畑は、今や当番の二人じゃ最低限の手入れが精一杯で、大作業の際には手隙の刀剣男士が手伝いにくることもままある。わたしたちが暮らしていく上で重要な生命線であるこの仕事を、大倶利伽羅くんだって意義を持って取り組んでいるに違いないのに。


「……でも、人手はあったほうがいいでしょう。こっちは任せてください」


 背にしていた菜園一帯を囲うジェスチャーをすると、大倶利伽羅くんは何か言いたげに目を細めた。それから、ふうと息をついたと思ったら、爪先を右方向へと向けた。スニーカーが土と草を擦る音がする。


「勝手にしろ」


 そう言って、大倶利伽羅くんは踵を返し、隣の根菜の区画に移動していった。後ろ姿を見送りながら、とりあえず許されたのだと理解する。「うん!」大きく頷いても、もちろん大倶利伽羅くんが振り返ることはなかったけれど、お言葉に甘えて再度しゃがみ、草むしりに取り掛かるのだった。


◇◇


 身体を使う仕事が久しぶりだったからか、半日引きこもっていたせいか、陽の光を浴びたわたしは水を得た魚のように元気で作業も非常に捗った。何時間いたんだろう。手元にかかる自分の影が濃くなったことに気付き顔を上げると、太陽は暮れる支度をとっくに始めていた。さっき近侍が様子を見に来てくれたときはもっと明るかった。時空が歪んだみたいに体感時間はあっというまで、己の集中力を褒めてやりたい気分になる。
 流石に疲れてきたけど、ともかく、もう少しで終わりだ。あとはこのプチトマトにはびこるミントみたいな葉っぱを抜いてしまえばいい。ずり下がってきた袂を捲り上げる。
 と、正面のほうから駆けてくる足音が耳に届く。反射的に顔を上げると、分厚く生い茂るプチトマト越しに、大倶利伽羅くんが駆け寄って来るのがかろうじて見えた。緑と赤が賑やかなもので、来ていると知らなければ気付けないほどだった。
 大倶利伽羅くんはわたしが担当している区画まで来ると、立ち止まり、最初、左、右と辺りを見回しているようだった。それから、プチトマトに隠れたわたしと目が合うと、一瞬、動きを止めた。そしてすぐ、いつもと同じ、興味関心のなさそうな静かな表情に変わる。


「お疲れさま」


 せっかくなので立ち上がって労うと、「……ああ」どこか釈然としない表情で返された。つい首を傾げてしまう。


「あ、そっち終わった?」
「いや。……なんでもない」


 素っ気ない言葉と共に、また踵を返した大倶利伽羅くん。足早に去ってしまって、それ以上問うことはできなかった。どうしたんだろう。何かわたしに用があったのかと思ったのだけど。でもそういえば、大倶利伽羅くんに話しかけられたことって一度もないや。お昼のは、わたしが大倶利伽羅くんのテリトリーを侵していたからこその苦言だものね。
 じゃあ声をかけざるを得ないほどの何かが向こうで起きたのかも。しかし予想に反して、大倶利伽羅くんのほうを眺めてみても、黙々と草むしりをする姿しか見えなかった。

 結局、担当区画の草むしりを終え、晴れ晴れとした達成感に包まれながら獅子王くんに引き継ぐ頃になっても、謎は解けなかった。獅子王くんは明日行う畑の大作業のための資材調達に出かけていたのだそうだ。かごにどっさり盛った雑草を受け取った彼はありがとなと笑い、続けて、大倶利伽羅は今水撒きの準備をしてるよと教えてくれた。遠くを見ると確かに、丸められたホースをほどく彼が見えた。
 手ぶらで縁側へ戻ると、近侍の加州くんが立ったまま柱に寄りかかっていた。獅子王くんと手を振り合った彼はそれから、「長かったね」と微笑みながらわたしを見下ろした。


「途中で寝ちゃうんじゃないかと思ったけど、大丈夫だったみたいだね」


 うんと頷く。畑の中で土まみれになるなんてことはなかったよ、と得意な気持ちになる。
 唐突に、ある可能性に思い至る。今まで想像もしていなかったことに、はっと息を飲む。――いや、まさか、でも本当に?


「加州くん、大倶利伽羅くんに何か言った?」
「何って?今日はしゃべってないよ」


 そっか、と顎を引いて、後ろの光景へ振り返る。大倶利伽羅くんが、ホースを持って獅子王くんの元へ歩いてきている。こちらのことなんて少しも気にしてなさそう、なのにね。
 すうっと鼻で息を吸って、今日だけで目一杯嗅いだ土の匂いを肺に満たして、吐き出す。もしかしたら、こないだわたし、大広間の前で、見当違いなことを言ってしまったのかも。勝手に悲しくなって、ばかよねえ。