本来ならわたしの寝室兼執務室になっているこの部屋は、近侍でもない限り入室する必要性はないのだろう。けれどもここの付喪神はみんな優しいから、わたしを気にかけてくれて、雑談に付き合ってくれたり、内番や万屋に連れ出してくれたりするから、その際、部屋に入ってそばに座り込んだり、手を引っ張り上げたりしてくれる。
 和泉守くんだって、通りかかるたびに声をかけてくれるのだから、避けているはずがないのに。なのに、今もこうしてわたしの部屋の前で立ち止まるのだ。
 先に踏み入れた畳の上で振り返る。今朝の加州くんと同じように、日差しを背中に受ける和泉守くんに逆光で影がかかる。目が合うと、ハッと我に返ったように頭が動いた。つい、言ってやりたくなる。


「わたしの部屋、結界とか張ってたりする?」
「はあ?」


 もちろんそんなはずはないのだけれど、まるで和泉守くんは躊躇しきっているのだ。二の足を踏む彼の手を、むりやり引っ張って連れ込んでいいものだろうか。手甲から覗く左手の指先に視線を落とす。きっと、手を伸ばして掴んでしまえばこちらのものだ。それっ。「うおっ」強く引っ張れば和泉守くんはいとも容易くわたしの部屋に踏み入った。


「なんだよおい……!」
「和泉守くん、わたしの部屋に入りたがらないんだもの」
「ああ?べつにンなことねえよ」
「うそ」


 よくもまあ簡単にバレる嘘を。間髪入れずに否定すれば、和泉守くんの眉間に皺が寄るのがわかった。機嫌を損ねたらさっきの話はなしになってしまうだろうか。でも残念ながら、和泉守くんが不機嫌になったところで、痛くもかゆくもない、んだよ。


「様子見に来てくれたときだって、絶対入ろうとしないじゃない」
「べつに……」
「どうして?」


 掴んだままの左手がピクッと震える。一度目を伏せて、また見上げる。和泉守くんはなぜか、何かを堪えるように険しい顔をしていた。言いたいことがあるなら言えばいいのに。和泉守くん、我慢苦手そうなのに。吐いて楽になってしまえと言わんばかりに視線だけで促す。
 数秒間の無言の攻防ののち、和泉守くんは観念したように、はあ、と大きな溜め息をついた。


「べつに入ったことねえわけじゃねえよ」
「……えっ?そうだっけ」
「ああ……ま、あんたは起きてなかったが」


 寝てるとき。すぐに察せた。突然の睡魔に所構わず寝入ってしまうわたしを、刀剣男士のみんなはよくここへ運んでくれて、目が醒めると誰かがそばにいてくれることが多かった。だからそういうときの話をしてるんだ。
 でも、和泉守くんが控えていてくれたことは、一度もないよ。不信が顔に出てしまったのだろう、彼はわたしが何かを言う前に、少し様子を見に行った程度だけどと続けた。つまり起きる頃には出て行ってしまったということだ。もともとほんの少しと思っていたのか、はたまたわたしが起きる前に立ち去るスタンスなのか、後者ならばどうも和泉守くんらしくない。わたしの中の和泉守くんのイメージが、どんどんあやふやになっていく。はっきり形取っていたはずの目の前の付喪神が、何者なのかわからなくなる。


「なんで内緒にしてたの?」
「……隠してたわけじゃねえよ。わざわざ言うことでもなかっただけで」


 わたしが懐疑的な眼差しを向けていることには気付いているらしく、視線は逸らされたままだ。依然眉間に皺を寄せ、気まずそうな表情で畳を見下している、謎だらけの和泉守くん。


「じゃあ、なんで起きてるときは入ってきてくれないの?」
「……それは、だな……」


 和泉守くんの表情が一層渋くなったと思ったら、今度はみるみるうちに赤くなっていく。どうしたんだろう。歯切れの悪さは意図したことだと認めたも同然だった。つつけば飛び跳ねそうな緊張感が、彼の身体中を充満しているのがわかる。
 和泉守くんの思わぬリアクションに、一度視線を落とし、一つ息をつく。わたしが寝ているときは入ってくるのに、起きているとためらう。普段わたしを軟弱とバカにするくせに甲斐甲斐しく様子を見にきてくれる。そうだ、彼を単純だと思っていた自分こそが単純だったに違いない。だって和泉守くん、結構いろいろ考えてる。


「ごめんね」
「あ?」
「和泉守くんのこと、単純だと思ってたけど、案外ややこしかった」
「……」


 顔を赤くしたまま、恨めしそうにわたしを睨む。いよいよ居た堪れなさそうに目を逸らし、口を手で覆う。そんな彼をじっと見つめて、わたしはなんだか、ちょっと、楽しくなっていた。和泉守くんって面白い神さまだ。知っていたつもりだったけど、もっと違う一面があった。「……だから」 まるで釈然としていない声。


「深い意味はねえよ……」


 とてもそうは見えないよ和泉守くん。