和泉守くんはわたしの部屋に入りたがらない。その事実に気付いたときは思わず戦慄した。無理ないでしょう、だって和泉守くんがここに顕現してから、もう随分と経っていたし、我ながら彼からは好かれていると自負までしていたものだから、まさか嫌われているかもしれないなんて、初めて思い至ったのだ。
 でも思い返せば、夜に乗馬の経験を聞きに来たときも、廊下から一歩たりとも動かなかった。てっきり、すぐに用が済むからだと思っていたけれど、きっと長話だったら場所を変えようと提案して部屋から離れたに違いない。今ならそう確信できるほど、彼には徹底したスタンスがあった。随分と彼らしかぬ。


「主、昨日の戦果報酬届くってよ」


 開けっ放しの障子から顔を覗かせた加州くんの声に、曲がっていた背筋を伸ばす。もうそんな時間かあ。返事をしながら、手に持っていた筆を硯に置き、立ち上がる。近侍の加州くんは何のためらいもなく部屋に踏み入れ、書きかけの報告書に一度目を落としてから、わたしを見た。外からの日差しで、加州くんに影がかかっている。


「俺、もう行くから。誰かそこら辺にいる奴捕まえなね」
「うん」


 頷くと、加州くんは今日も今日とて綺麗に身だしなみを整えた戦闘服姿で、ふうと肩の力を抜いて、ひらりとコートを翻した。動きに合わせて赤い襟巻の裾がふわりと浮く。今日の第一部隊は江戸への出陣だ。隊の顔ぶれを思い出しながら、追うように部屋を出る。


「お、」
「あ」
「……ん?」


 ちょうど部屋の前の廊下を、和泉守くんが歩いてきていた。加州くん、わたし、和泉守くんの順に反応して、立ち止まる。適任きた。和泉守くんは戦闘服を着ているけれど、今日の出陣部隊には入っていないはず。一応力持ちだし、なかなかいいところに来たのではないだろうか。
 内心思いながら斜め前を見上げると、加州くんは表情もなく向かいの彼をじっと見つめていた。あれ、明らかに頼みやすいのにあんまり嬉しそうじゃない。


「……和泉守、今ひま?」
「おお。ちょっくら稽古場に行こうかと思ってよ」
「ふうん。じゃ、手合わせの前に手伝ってくんない」
「あ?ていうか加州おまえ、隊長じゃなかったか?」


「そう。だからよろしくってこと」言いながら、足を踏み出す加州くん。続くように、なんとなくわたしも歩き出す。和泉守くんとの距離が近づく。


「戦果報酬の受け取り、代わりによろしく」


 すれ違いざまに伝え、「じゃ、行ってくるね」わたしに手を振る加州くん。部屋を覗いたときとは調子が違うことに違和感を覚えたけれど、加州くんはこういうことがままあるし、かといってパフォーマンスが落ちるわけでもないから、きっと心配はご無用なのだろう。気にしないことにして、わたしもいってらっしゃいと手を振り返す。すぐそばで立ち止まったままの和泉守くんを見上げると、彼はなぜか、驚いた様子で加州くんの後ろ姿を目で追っていた。和泉守くんも気になるほど変だったのかな。つい、首を傾げる。


「和泉守くん?」
「ん、ああ……なんでもねえ。報酬の受け取りだったっけか」
「うん。一緒に運ぶの手伝ってください」
「いいけどよ……あんたも運ぶのか?」
「運ぶよ!」


 あからさまに訝しげな眼差しに、言わんとすることを察して思わず大きな声が出た。また軟弱とか言いたいんだろう君は!すぐそうやってバカにするんだから!いいから早く行こうと半ば力任せに背中を押すと、へいへいとやっぱり小馬鹿にしたみたいな返事で歩き始める。和泉守くんのわたしのイメージがことごとく弱くてむかつくよ。そりゃー、心当たりはあるから、気持ちはわからないでもないけど。


 政府からの通達や日課報酬は本丸内のとある一角へ送られてくる。内容によって巻物から馬までさまざまな大きさの転送物を受け取ることは大事な仕事の一つだ。資材や依頼札を荷車にすべて積み込むと結構な量になるので、これを一人で引くのは骨が折れるだろう。もちろん、受け取りと運搬は大体近侍と一緒にするので、一人で無茶をしたことはない。今日みたいな日は特に。
 和泉守くんを連れてきたのは初めてだった。彼はものめずらしそうに荷車を見遣ってから、顎に手を当て感心したように嘆息した。


「すげえじゃねえか。いつもこんなに来てんのか?」
「ううん。昨日みんなが頑張ってくれたおかげだよ」


 報酬は前日の戦果を元に送られてくる出来高制だ。昨日はいろんな出陣要請に応えたから、その分たくさん資材をもらえた。玉鋼や木炭を眺めながら、これでいろんなことができるぞとわくわくしていると、和泉守くんは、へえ、と顎を上げた。


「で、どこに運ぶ?資材は全部鍛錬所でいいか?」
「あ、ううん。その前に手入れ部屋と、あとで刀装作ってもらうから……」 「へいへい」


 和泉守くんは返事をしたと思ったら、荷車の鉄製の押し手をくぐり掴んだ。わたしも後ろから押そう。踵を返そうとして、あっ、と気付き和泉守くんに向き直る。


「刀装作るの和泉守くんには頼まないよ!」
「あ?!どういう意味だそれ!!」


 うわあ気に障った。ぴょいっと逃げるように荷車の後ろに回る。和泉守くんは何やら悪態をついたみたいだったけれど、一つ溜め息をついたら諦めたらしく、予定通り持ち手を押し始めた。彼に合わせて後ろから押し進める。和泉守くん、自分が刀装作るの下手って気付いてないのかな。まあわたしも、自分じゃ作れないんだから、偉そうなこと言えた立場じゃないのだけど。

 それぞれの場所へ資材や札を届け、報酬受け取りの仕事は終了した。まだまだ日は高いので、非番の和泉守くんの自由時間は確保されている。ありがとうと手入れ部屋の前でお礼を言うと、和泉守くんはいいってことよと腕を組んだ。気にすんなと言わんばかりの台詞に対して得意げな表情は和泉守くんの専売特許だろう。気のいい付喪神だなあと力の抜けた笑みを浮かべる。


「他にも何かあんのか?」
「えっ、あったら手伝ってくれるの?」
「おーいいぜ。せっかくだからな」


 ふんと胸を張る。短気だけどケチではないので、頼みごとには大抵応えてくれる。むしろあなたの力を貸してほしいと言われることは、面倒より嬉しさが勝るのだろう。頼りになるなあ。
 もちろん無下になんかしない。いつでも周りの力が必要だ。背筋を伸ばし、意気揚々と懇願する。


「じゃあ、明日の部隊編成の相談に乗ってほしい!」
「おっいいねえ!任せな!」


 気持ちのいい応答に、やったと軽く飛び跳ねる。新撰組の刀だった和泉守くんはまさに適任だ。本当に助かるよ。
 早速と言わんばかりに踵を返す。「あ」くるっと振り返る。目を丸くしてわたしを見下ろす和泉守くんと合う。


「わたしの部屋でいい?」


 一拍の間。


「いいぜ?」


 和泉守くんは表情を変えることなく承諾した。