こんなことを言ったら蜂須賀くんに怒られてしまうかもしれないけど、台所の戸棚にしまってあった蜂蜜の瓶を見つけた瞬間、会いに行かなきゃと思い出したのだ。

 蜂蜜の瓶はあまりにも硬く力づくではとても開けられそうになかったので、近くを歩いていた蜻蛉切さんにお願いして開けてもらった。わたしが五分力んでもビクともしなかった瓶は、蜻蛉切さんの手に包まれた途端あっという間にパカッと開いた。本当に「あっ」という間だった。蜻蛉切さんの包容力のおかげだろうか、借りてきた猫のようにおとなしくなったそれを複雑な気持ちで受け取って覗き込むと、どうだと言わんばかりにキラキラ輝く蜂蜜がたっぷり入っていた。まるで開きにくいのも仕方ないだろうと言わんばかりの自信家だ。蜂須賀くんみたい。言うと、蜻蛉切さんは首を傾げた。
 そう、蜂須賀くんだ。自分のためだけに作ろうと思っていた蜂蜜ミルクを蜻蛉切さんに一つ渡し、もう二つのマグカップを持って蜂須賀くんを探す旅に出た。今日は非番だったはずなのでお部屋にいるだろうか。最近あった部屋替えでは蜂須賀くんが発端となり一悶着あったと加州くんから聞いた。結局全員が納得して収まったらしいけど、聞いたときは楽しそうでいいなあと思っていた。
 部屋替えの結果、蜂須賀くんは前と同じ部屋のままらしい。一昨日の夕飯のとき向かいに座った本人から聞いたから間違いない。なぜか得意げに同じ部屋のメンバーを教えてくれた。想像してたより個性がバラバラな面々だったので、それで納得するなら揉めることもなさそうなのにと思ったのを覚えている。定期的に行われる部屋替えはだいたいくじ引きで即決だと聞く。蜂須賀くんだって、物腰が柔らかく相手を慮ることのできる付喪神なので誰とでも円滑なコミュニケーションを築くことができる。だからちょっと不思議だったのだ。
 まあ、想像はつくのだけど。

 障子が開いていたので部屋を覗くと案の定彼はいた。机に向かい、街で買ったと思われる本を読んでいる。名前を呼ぶと、顔を上げてわたしを捉えた。


「やあ」


 口角を上げる柔らかい笑みを入室許可と受け取ったわたしは、遠慮なく部屋へ踏み入れた。


「蜂蜜ミルク飲まない?」
「いいのか?」
「うん」
「ありがとう。いただくよ」


 蜂須賀くんは押し花のあしらわれた栞を本に挟み机に置いた。蜂須賀くんの座ってる向きから左九十度の位置に座り白いマグカップを渡すと、両手でそれを受け取ってくれた。温かいねと言いながらゆっくりと口へ持っていく。わたしは、彼の一連の動作をうかがうようにじっと見つめていた。
 すると蜂須賀くんはマグカップへ口をつける、ことなく止まった。瞬時に緊張の走ったわたしへ射抜くような目線が向けられる。


「……君、俺の機嫌を取ろうとしてるだろう」


 思わず肩をすくめる。すごい、びっくりするくらいあっさりバレた。


「え、えへ……」


 縮こまりながら目を逸らす。視界に入った本は端布で作ったブックカバーがかけられていてタイトルはわからなかった。おそらく胡散臭そうにわたしを見ているだろう蜂須賀くんは、見抜いたにもかかわらず賄賂である蜂蜜ミルクを一口含み、こくんと飲み込んだ。


「本題は?」
「……明日の遠征長曽祢さんと同じ部隊でいいですか」
「なっ」


 まるでアレルギーのように拒否反応を示す蜂須賀くんに苦笑いしてしまう。想像できてた。だから先に言っておこうと思ったのだ。


「……主、どうしてわざわざ?」
「バランスを考えて……」
「バランスを考えたら一番避けるところだろう。あいつじゃなければならない理由もそうないよね」


 自分じゃなければならない理由はあると思ってるところが蜂須賀くんらしい。遠征のメンバーと任務へ出陣する部隊の編成は昨日と今日じっくり考えて決めたのだけど、案の定蜂須賀くんには不服のようだ。でもここは飲み込んでもらわないと困る。部屋割りは避けられてもここでは我慢してもらわないと!ピンッと背筋を伸ばし蜂須賀くんと対峙する。


「諸々あるんだよ!お願いします!」
「……はあ」


 大きく溜め息をついた彼。その様子を見て、あれ?と気付く。そういえば蜂須賀くん、断るとは一言も言ってないな。


「……まあいいさ」
「ほんとっ?」
「俺もここでの生活が長くなってきたからね。あいつとの折り合いのつけ方もわかってきたよ」
「へえー……折り合いつけてるのは長曽祢さんの方だと思ってた」
「なんだって?」


 さっと目を逸らす。虎徹のいざこざを目の当たりにするのは日常茶飯事というかもう慣れたもので、さらに部隊編成で考慮するほど祟りが怖い神でもないので普通に触っていた。ときどき当事者の彼らが遣る瀬無い顔をしているのは知っていたけれど、わたしが何と言ったところでどうにかなる確執じゃあないのもわかった。諦めてるとかでもないのだけど。


「蜂須賀虎徹にとって大事な矜持だものね」
「ああそうだ。だから彼を兄と呼ぶ日は来ないだろうね」
「ふうん」
「残念だったかな。君は平和主義だから」
「ううん、大丈夫。折り合いつけてくれるならそれで」


「そのままの方が蜂須賀くんっぽいし」思ったことを言うと蜂須賀くんはふふっと嬉しそうに笑って、それはありがとうとお礼を述べた。こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけど、わたしは平和主義らしいので、虎徹兄弟の確執すら平和だなあと思う。確かに長曽祢さん顕現当初のいざこざはかなり肝を冷やしたけれど、今となってはつかず縁を切りきれずの仲となっているようで、ちょっと蜂須賀くんに根回しすれば何とかなると思える程度だった。


「だからべつに長曽祢さん贔屓してるわけじゃないから、拗ねないでね」
「俺が?拗ねてなんてないさ」
「いやあ、遠征の部隊長は長曽祢さんにお願いしようと思ってるから、あはは」
「……!」


 信じられないものを見るような目で見る蜂須賀くん。それからわなわなと身震いしだす。やっぱりダメかあ。異議を申し立てたくてたまらないといった感じだ。顔を上げた彼の目の前にサッと自分の赤いマグカップを持ってきてみせても眉間の皺はなくならない。


「理由を説明してもらおうか……」


 思わず苦笑いしてしまう。蜂須賀くんへの根回しは今後も必要そうだ。賄賂は効かないみたいだからどうしようかなあ。