和泉守くんが声をかけてくれるのは珍しいことじゃない。彼はわたしを軟弱呼ばわりするからか部屋を通りかかるたび「ちゃんとやってるかあ?」と覗くのだ。実はそれが嬉しかったりする。なんだか恥ずかしいので言わないけど、和泉守くんがやるじゃねえか! と褒めてくれるとちょっと得意げになれるのだ。もちろんやる気がなくて文机の下で寝転がってたら、あからさまに呆れたように溜め息を吐かれるのだけど。 だから和泉守くんがわたしの部屋を訪ねるのは何も珍しいことじゃない。ちょっと夜分で、もう寝ようとする時間だとしてもべつに、驚くことはなかった。 布団を敷いて明日の第一部隊の編成を見直していた最中で、外廊下に面した障子が少し開いているのは知っていた。ふっと視界に動きがあり、つられるように顔を上げる。「なあ」と声が聞こえた。 「ちょっといいか」 姿はうっすらと障子越しに見えるだけだ。それも外より部屋の方が明るいので、本当にうっすらとだった。でも、声だけで誰なのかわかる。 「うん」 了承したあと、どうぞと続ける。隙間から指が見え、まるでためらうようにゆっくりと障子が横に引かれる。廊下には寝間着の白い浴衣を着た和泉守くんが立っていた。布団の上で足を伸ばして紙を広げるわたしを見留めた彼は一度目を見開いてから逸らした。右で緩く束ねた髪の毛がさらりと揺れる。恐ろしいほどに綺麗で長い髪だ。それで任務のときも物ともしてないからすごい。首裏に手をやる、見るからに気まずそうな横顔は戦闘時の彼とは大いに異なっていたけれど。 「あー……悪い、寝るところだったか」 「大丈夫だよ。あ、もしかして明日のことか」 ようやく察した。和泉守くんには明日の第一部隊の部隊長をお願いしてるのだ。本人は任務内容を聞いたあと任せなと得意げに言っていたけど、気になることができたのかもしれない。何せ明日行くのは初めての合戦場なのだ。 「ああ」と肯定した和泉守くんの声を聞きながら立ち上がる。文机に置きっ放しの政府からの出陣要請を手に取り、彼へ歩み寄る。すぐに済む話なのだろうか、和泉守くんは外廊下よりこちら側に入ろうとしなかった。目の前で立ち止まり、巻物を広げながら見上げる。 「わたしだけで大丈夫?」 「ああ。まあ大したことじゃねえ……明日の任務、移動は馬を使うんだよな?」 「うん。結構広い範囲で敵軍が散開する見込みらしいし…そっちの方がいいってみんなで決めたよね」 「そうだけどよ……あんた馬乗れんのか?」 へ?思わず目を丸くして見上げる。腕を組んで見下ろす和泉守くんは訝しげに眉をひそめていた。いたって真面目だ。けど、まさかそんなことを聞かれるとは思ってなかった。 「の、乗れるよ!」 「ほんとかあ?あんたいっつもボーッとしてっから落っこちそうで怖えんだよなあ」 「落ちないよ!ここに来てからすごく練習したし!」 はっきりと否定するも、ふーん?とあんまり信用していないらしい和泉守くんの表情は怪訝なままだ。確かに和泉守くんたちが来てからはわたしが乗馬する機会がなかったから仕方ないかもしれないけど、でも乗れないじゃやってらんないでしょうよ! にしても和泉守くん、そんなことを聞くためにわざわざ訪ねてきたのだろうか。もしかしたら昼間の作戦会議のときから気になってたのかな、やっぱりほっとけない質なんだなあ。にしたって…… 「……あれっ」 「あ?」 「……あ、もしかして和泉守くんに言ってなかったかも」 気付いてちょっとドキッとしてしまう。今さらダメって言われたらどうしよう。 「何がだよ?」 和泉守くんの訝る声と潜められた眉は、このあとわたしがおそるおそる伝えた頼みごとによってさらに酷さを増すのだった。 「ったく、こういうのは先に言えよなあ」 和泉守くんの呆れたような恨みがましそうな視線に悪びれもせずごめんねと口だけの謝罪をする。昨日、あのあと和泉守くんは動揺を見せたと思ったら案外あっさりとまあべつにいいけどよ、と了承してくれた。無理してる感じはなかったのでちょっとホッとしたのは本当だけれど、だからと言って和泉守くんに恨み言を言われても罪悪感湧かないんだよなあ、と思いながら彼に手綱を引かれる馬を見遣った。 第一部隊のメンバーはすでに門の前に集まり出陣を控えていた。各々馬小屋から連れてきた馴染みの馬を引き連れ、わたしに今日はよろしくと挨拶してくれる。メンバーの一振りである前田くんは久々に一緒に出陣することに喜びの言葉まで添えてくれた。 今日の出陣先は今までと戦場の傾向が異なるので、政府からはなるべく審神者も付き添い撤退の判断と迅速な代打要請をするよう言いつけられていた。後ろがいるという安心感もあって緊張はそこまでではなく、とはいえ久しぶりの合戦場への出陣に足元はふわふわと浮いていた。 「怖くねえのか」 和泉守くんとの出陣は初めてだった。和泉守くんだけじゃなく、本丸の刀剣男士が増えてからわたしはここから出ることなく采配を振るようになったから、そもそも審神者が任務について行くことを珍しく感じる刀剣男士の方が多かったらしい。その中で和泉守くんは真っ先に疑念を露わにしたのだ。 真正面に立つ彼と目を合わせる。さっきの恨みがましそうな表情から変わって、静かな水面を連想させる落ち着いた表情だった。怖くないのか? ふわふわ浮き足立ってるのは怖いからなのだろうか。目を伏せる。また合わせる。 「大丈夫だ」 「へえ。案外度胸あんじゃねえか」 フンと顎を上げて笑う彼はちゃんと汲み取ってくれたらしい。つられるように得意げに笑う。わたしのことビビリとでも思っていたのかね、そんなこと言われても、土方歳三と比べたらほとんどの人間がビビリで軟弱だろうよ。 「和泉守くんガンガン行きそうだからちゃんと止めるよ」 「ああ?馬鹿にすんじゃねえ。……戦況は読んで当たり前だろ。必要なら退がる。背水の陣じゃねえんだからな」 「なるほど」 勝手なイメージで話してしまった。軽率だったね、ごめんね。また謝ると和泉守くんはフンと鼻を鳴らした。機嫌を損ねたわけではなさそうでちょっと安心する。 そろそろだろうか。別の時間軸へ繋がる門に近づきそっと押す。後ろでは部隊のメンバーが馬に跨る動作音が聞こえる。昨日みんなに伝えた通り、移動だけ馬を使う。開けた場所ではないから、戦闘が始まったら降りてもらう予定だ。 振り返り、唯一乗らずに待っていた和泉守くんの元へ駆け寄る。 「よろしくお願いします」 「おう」 彼の連れてきた三国黒の首を挨拶代わりに撫で、足をかけ一気に跨る。移動でしか馬を使わないときは部隊長の馬に乗せてもらう。それがここの慣習だった。もちろん体格の問題もあるのだけど、和泉守くんなら問題ない。彼も足を引っ掛け、わたしの真後ろに跨る。背中のすぐ後ろに彼の気配を感じる。 「落ちんじゃねえぞ?」 「落ちないよ!」 昨日と違って茶化すような色合いの声だった。まさか落ちたりしたら怪我じゃ済まない。鞍の持ち手をしっかりと握り込む。和泉守くんの手が前へ回り手綱を掴んだ。ふわっと鼻腔をくすぐる匂いに、なぜだかとても安心できた。 「そんじゃ、行くぞ!」 和泉守くんの号令で馬がゆっくり発進する。後ろからついて来る足音が聞こえる。馬が歩くたび反動で二人の腕が触れる。服の布が擦れるからだろうか、香りははっきりと感じることができた。 「和泉守くんいい匂いするね」 前を向いたままなんとなくこぼすと返事がなかった。独り言のつもりじゃなかったんだけどな、思ってすぐ、頭上から声が聞こえた。 「……そりゃどーも」 彼らしくない返事だなと振り返ると和泉守くんは真正面を向いたまま、何か変なものを食べたみたいに顔をしかめていた。……あれ、もしかしてちょっと照れてる?意外な反応に感動する間もなく門に差し掛かったため、何か言うことはせず正面に向き直った。光に包まれた入口の先ではそんな、軽口叩いてる暇なんてないから、彼に聞くのはまた今度にしよう。 ↓ |