「そいつ、風邪引くぞ」


 靄がかかったように晴れない意識はまだ宙をさまよっている。月明かりが畳を照らしている。光忠の胸に耳を寄せて眠る。ああ、これは、昨日の記憶だ……。

 声は大倶利伽羅くんだろうか。わたしは夢の中で、さっき光忠から聞いた昨夜の話を勝手に想像してるんだろうか。それにしては大倶利伽羅くんの姿は見えず、視界も真っ暗な中、彼の声を聞いているだけだった。
 頭を撫でる感触。光忠だ。光忠がさらさらと、ゆっくりわたしの頭の形をなぞっている。気付けばわたしは光忠に覆いかぶさっているのでなく、上体を起こした彼が曲げた足の上で、抱きかかえられるようにして眠っているらしかった。顔を光忠のお腹に向け起きる気配のないわたしは、光忠の掌の心地よい感触に溺れるように、深い深い眠りについている。気持ちいい。光忠に抱き寄せられて眠るのは、永遠の眠りについても惜しくないと思わされるのだ。


「でも主、今は誰も見てないよ」


 そのとき光忠がどんな顔をしてたのか、知ることはできないけど。
 ふわっとまぶたを開く。二、三度瞬きをして、目の前に広がる木目の天井に焦点を合わせる。わたしの部屋だ。布団に仰向けになって寝ていた。………ああ、またやってしまった。身体の違和感を覚えながらも、すぐそばで動いた気配に首を向ける。隣で光忠が正座して、わたしの顔を覗き込んでいた。左目に安堵の色が見えたのは、見間違いじゃないと思う。


「大丈夫かい?具合は?」
「だいじょうぶ……」
「そっか、よかった」
「……わたしお風呂で」
「うん。湯船の中で縁に寄り掛かって寝てたよ。早く気付けてよかった」


 その言葉で、わたしを助けてくれたのが光忠で間違いなかったと確信できた。


「ありがとう」


 のったりと起き上がる。すると自分が今、浴衣の下に何も身につけてないことに気が付いた。違和感の正体はそれだった。汗ばんでいるものの身体はおろか髪から水滴が垂れることもなかったので、きっと湯船から引き上げたあと、拭き取って浴衣だけ着せてくれたんだろう。不思議と羞恥の感情はわかなかった。相手が光忠だからだろうと、なんとなく思った。


「どうして気付いたの?」
「君が刀を抱きかかえて歩いてたって話を聞いて。顕現させようとしたのかと思ったから、一応様子を確認しに行ったんだ。外から声をかけたけど反応がなかったから、まさかと思って」
「はあ、そっかあ……」
「緊急事態だったから、ごめんね」


 謝罪の意図はわかってるつもりなので、ううんと首を横に振った。お風呂場で寝落ちたのはこれで二度目だった。前回は縁に置いた両腕に頭を乗せた体勢で寝たから、湯船に沈むことなく目が覚めて、ちょっと逆上せるだけで済んだ。今回は、危なかっただろう。姿勢が崩れて湯船に沈んだとき、ちゃんと目覚める自信はなかった。光忠が気付いてくれてよかった。下手したら死んでた。俯くと、普段よりゆるく縛られた腰紐と、襟がたわんでスースーする胸元が見えた。


「僕は今日だけの近侍だけど」
「うん」
「明日から、審神者の力を使ったら近侍に教えてあげなね」
「うん。そうだね」


 でもそんなの、さすがにわかってるよ。


「光忠、わたしと話したくなさそうに行っちゃったから」


 彼のせいにしてみる。怒るかな。見上げると、意外にも光忠は目を見開いて、すぐに苦虫を噛み潰したような顔になって逸らした。さっきまでほとんど表情がなかったから、わたしの方も驚いてしまう。


「それは……ごめん」
「……ううん。わたしもごめんね」


 はあ、と光忠が溜め息をつく。ままならないといった横顔を見上げて、なんだか悪いことを言った気持ちになる。いいや実際悪いことを言ったのか。ときどきこういう、相手を慮れないことをしてしまうのが悪いところだった。
 ふと泳がせた視線の先に、文机に置かれた太刀が見えた。お風呂に入る前、鍛冶舎から持ってきた燭台切光忠だ。目の前のわたしの光忠は内番服で、刀を所持してないから間違いない。


「光忠」
「……なんだい」
「昨日光忠に抱かれながら寝たの、とても気持ちよかったの」
「………」


「そう」間抜けた返事だった。それを聞いたことがあるような気がした。


「だから今日も、光忠を抱いて寝ようと思ったの」


 利き腕を上げ、横たわる刀を指さす。辿るように首を向けた光忠の横顔が、安堵のような、羨望のような、何かしら反対方向の感情が織り混ざった表情をしていた。


「あの僕は君を抱きしめられないよ」
「うん。でも光忠に抱きしめられるのは、人間の男女だったら危ないことだって言ったから」


 顔の向きは刀へ、目だけをわたしに向ける。細められた左眼は相変わらず笑っていなかったけれど、悪い感情はないのだろう。


「僕と君は人間の男女じゃないけどね」


 それもそうだ。だから光忠も昨日、わたしのこと撫でてくれたんだしね。


「じゃあまた抱きしめてね」
「お安い御用さ」


 なんなら今でもどうぞ、と両腕を広げた光忠へ、倒れこむように飛び込んだ。逃がすまいと背中に腕を回すと光忠も同じように閉じ込めてくれた。目を閉じる。たくさん寝たからもう眠くない。でも光忠はわたしが眠ってると落ち着くらしいから、このまま寝てしまおうか。
 光忠はどうしてわたしが寝てると落ち着くんだろう。ふと湧いた疑問に、昨日の夜大倶利伽羅くんに返した彼の言葉が波打ち、次第に消えた。


「身体熱いね。本格的に風邪ひいたろう」


 心地よい声にまどろみながら、わたしは光忠の心臓に耳を寄せた。規則正しい心音に、光忠は確かにここにいると、確信した。