「きみと光坊は仲が悪いのかい」


 考えたこともなかった。


 大広間での朝ご飯は本丸で生活する刀剣男士が増えるにつれて起きる時間や任務の都合でバラつきが出てきたため、今やわたしが食べ終わる頃には半分以上の座布団が空席になるのが常だった。自分が起きるのが遅くて、食べるのも遅いせいだ。朝は特に弱いので、お茶碗にご飯粒を一粒も残さず、焼き魚の骨を綺麗に取り除くのは至難の技なのだ。今日両隣に座っていた今剣くんと乱ちゃんはとっくのとうに遠征の準備のため席を立っていた。
 お皿をまとめ、座卓の端に置かれた弁慶膳へ持っていく。毎回、各テーブルの一番最後の人が全員分の皿が乗ったこの脚付御膳を台所へ運ぶ決まりだ。今日のこのテーブルの担当は一日休暇の和泉守くんになりそうだ。和泉守くん最後よろしくお願いしますと一言声をかけると、一番近くに座って漬物をぼりぼり咀嚼していた彼は、ん、とお箸を持った手を軽く挙げて応えてくれた。


「よいしょ」


 一旦膝をついてお皿を種類ごとに御膳に置き、また立ち上がろうと足裏に力を込めたそのとき、冒頭の疑問を鶴丸さんに投げかけられたのだ。
 まん丸の目で見上げる。鶴丸さんが近くにいたことにも驚いたし、聞かれた内容にも驚いた。南に面した外廊下から日差しが柔らかく大広間を照らしていた。鶴丸さんの白くて細い髪がきらきら光ってるようで綺麗だ。そんなことを考えてハッとする。驚いたら鶴丸さんを喜ばせてしまう。
 しかしわたしが顔を引き締めても鶴丸さんの表情に歓喜の色が見えることはなかった。それにまた疑問に思いながら、ええと、と思考を巡らす。今質問されたんだった。


「いいよ」
「そうかい?」


 今度は鶴丸さんが目を丸くする番だった。驚いたわけではなさそうだけれど、わたしがそう返したことは意外だったようだ。腕を組み、首も傾げられてしまう。朝ご飯を食べてるうちに頭はすっかり覚醒している。彼がわたしの返答に納得してないのも察することができた。


「いや、ならいいんだ」
「いいの?」
「ああ。すまない、変なことを聞いた」


 顎に手を当て言う鶴丸さん。わたしは先ほどの予定通り立ち上がり、鶴丸さんと対峙する。とはいっても彼の背の方が明らかに高いので見上げる形になってしまう。
 ふいと逸らされた。じゃない。わたしもつられるように同じ方向へ顔を向ける。視線の先には、一番離れたテーブルの御膳を台所へ運ぶ光忠がいた。


「ふむ……ま、いいか」


 やはり何か思案している様子の鶴丸さんは、わたしに金色の視線を戻したあと、にっと笑って頭をわさわさと撫でた。


「主、今日は何をするんだ?」
「万屋に行く……」
「ほお?ついていこうか」
「だいじょうぶ……あの、髪抜けるから、」


 会話しながらも頭をまさぐる手つきがどんどん激しくなって、しまいにはぼさぼさになった。鶴丸さんの得意技だ。パッと手を離した彼は、ふふんとなぜか得意げに笑って、お情け程度の手ぐしでわたしの髪を梳かしたあと、何かあったら呼べと言って去って行った。取り残されたわたしは釈然としないまま、自分の手ぐしで髪を整えながら、外廊下を彼とは反対方向へ歩いて行くのだった。
 今日の買い物のお供は大倶利伽羅くんに頼んである。昨日お風呂上がりにばったり会ったので「白羽の矢」とピストルの形にした手で彼の背中を突いたら、迷惑そうに振り返られた。しかしつれない彼に怯まないわたしは明日万屋行くから一緒に行こうと軽快に誘った。顕現してだいぶ時間が経っているはずの大倶利伽羅くんとはしかし、思い通りに親しめていないのが現実だった。だから隙を見ては仲良くしようと試みるのだけど、大倶利伽羅くんはさらにその隙を見て姿を消してしまうツワモノなのだ。山姥切くんみたいに異議を唱えるでもなくスッと消えて強制終了されてしまうので厄介だ。未だに一度も一緒に万屋に行くことが叶ってない事実が難しさを物語っていると思う。
 そうだ大倶利伽羅くんに比べたら光忠なんてずっと仲良い方だ。万屋に行った回数も他の刀剣男士より多いほどだ。自室へ戻る道でうんうんと一人頷く。
 ふわっと、風が香った。空を見上げる。いい天気だ、外を歩いたら気持ち良さそう。
 鶴丸さん、最後までわたしの言ったこと肯定しなかったな。

 そのことに思い当たったのは、万屋へ向かう道で同じように見上げ、隣を歩く光忠のあくびを目撃したときだった。
 結局今日も大倶利伽羅くんに逃げられた。彼は光忠という体のいい身代わりをこしらえ、自分は姿も見せなかった。こんちくしょう、と門で待つ光忠の目の前で地団駄を踏むと「僕じゃ不満かい?」とかっこよく聞かれたので、そうじゃない、と口を尖らせた。他の刀剣男士より光忠と万屋に行く回数が多いのは、単純明快、大倶利伽羅くんの分がそのまま光忠に上乗せされていくからだ。
 開いた口を黒手袋をはめた右手で隠し、一度ぎゅっと目を瞑った。そんな所作に思わず呆気にとられたわたしは彼を見上げたまま固まってしまった。光忠にもすぐ気付かれた。火を映した金色の左目が見開きわたしを見下ろす。手を外した口はすっかり閉じられていた。


「……みた?」
「みた。光忠もあくびするんだ」
「するよ、そりゃあ」


「しないと思ってたの?」存外に光忠はあくびを見られたことを恥じてはいなかった。かっこいいのを良しとする彼らしかぬ反応に、しかしわたしは気を配る余裕がなかった。感情の読めない視線にピクッと肩が動く。
 光忠があくびをした。そのことに心臓はにわかに動揺していたのだ。しないと思ってた。というか似合わない、イメージがなかった、想像できなかった、が正しい気がする。光忠の視線から逃げるように目を逸らして地面を見る。


「そ、……しないと思ってた」
「そっか。でも僕も実体を持ってるからね」


 でも刀剣男士のみんなは風邪をひいたりしないじゃん。わたしと同じように生活してるけど、彼らは根本的に違うのだ。その違いを見つけるたびわたしは孤独になった気分になる。……いいやそもそも、誰かのあくびを見たのはこれが初めてじゃない、気がする。じゃあどうしてこんなに動揺してるのか。


「嬉しいかい?」


 そう、顔を覗き込むように首をかしげた光忠の目はわたしの全部を映そうとしていた。昨日のお風呂上がりと今朝の広間で二度、金色の瞳とは会ったけれど、そのどちらとも違う眼差しに、気付けば足を止めていた。周りの人たちはわたしたちを一瞥してすぐ通り過ぎて行く。


「どっちでも、ない……ていうか光忠以外だったらあくびしてても驚かない」
「え?どうして僕だけ」
「光忠、一番人間みたくないから」


 顎を引いて上目遣いで彼を見遣る。べつに傷つけるつもりじゃなかったし、光忠も目を細めてうっすら笑っただけだった。言ったのは初めてだったけど、彼も自覚があったのだろうか。
 本音だった。わたしは光忠のこと、他のみんなと同じようにすきだけど、特に人間から遠い付喪神だと思っている。加州くんや長谷部が人間じみてるから余計、目の前にいるのは人じゃないんだと思わされる。
 だからといって、仲は悪くない、よ、鶴丸さん。


「……ねえ、君がぶっちゃけたから僕もずっと思っていたことを言っていいかい?」
「いいよ」
「君の近侍は僕が合ってるよ」


 はっと顔を上げる。依然薄く笑う光忠。周りの雑踏が遠のく。予想もしてなかった言葉に思考が停止した。どうしてそう思ったの、脳で最初に浮かんだ疑問を、口にするのに時間がかかった。だとしたって光忠は嫌悪も動揺も見せることなく同じ表情で返したのだけど。


「僕らのこと、君がどう思っているか知ってるから」