昨日の定期報告の際、政府の担当者から苦い顔と共にお小言を頂戴したのが地味に効いていた。出陣要請にもう少し積極的に応じてほしいとか、通達文への回答をもっと早くしてもらわないと困るとか、主にわたしの怠慢に対するそれだった。心当たりはあるので、はい、はい、と頷くばかりで、けれどなけなしの自尊心は確かに傷ついて、本丸に帰ってからは誰ともろくに口を利かず、部屋にこもってすぐに寝た。
 一晩越せば嫌なことは大抵忘れられるものの、朝起きてすぐ、文机の上に置きっ放しにしていた時間遡行軍に関する通達が目に入ってはそうも言ってられないでしょう。ぼさぼさの頭のまま布団を出、着替えるより先に、のったりとした動きで机の前に座る。
 ……態度で示してやれ、あの担当者め、わたしのことをダメ審神者と思ってるに違いない。目にもの見せ、ぎゃふんと言わせてやる。
 昨日の不甲斐なさは今日の怒りに変わる。頭の中では今日一日、次々寄越される出陣要請にピアノを弾くように応え、執務に励み完璧な書類を提出して、いけ好かない担当者がひっくり返る映像が流れていた。妄想ではない。実現可能な未来だ。やってやる! と筆を取る。すぐに、お腹が鳴った。

 朝ご飯を済ませたあと、寄り道せず自室に戻り書類の作成に取り掛かった。出陣の采配は、昨日から近侍をお願いしている長谷部に任せたので、上手くやってくれるだろう。なにせ、昨日の定期報告に同行してくれたのも長谷部なのだ。帰り道、気を遣ってフォローの言葉をたくさんかけてくれた。今朝も大広間で真っ先にあいさつしてくれた、優しい付喪神だ。そしてとても頼りになる。
 そう、だから、あの担当者を見返すためだけじゃなくて、ここにいるみんなの期待に応えるためにも、審神者の仕事はちゃんとやらなくちゃいけない。思いながらぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。今までよっぽど適当にやってきたものだから、心を入れ替えないと難しそうだ。


「おい、主の邪魔だけはするんじゃないぞ」


 タタタッと小走りの足音が近づいてくる。今の、長谷部の声だったかな。考えているうちに、開けっ放しの障子から人影が姿を見せる。ひょっこりこちらを覗いた金色の目と合うと、わたしはぎょっと見開いてしまった。反対に彼は、ぱっと表情を輝かせる。


「心配しなさんな。任せておけ」


 遠くにいるのだろう長谷部へ返すなり、部屋に上がり込んで後ろ手で障子を閉じた。表情は先程と変わらず大変嬉しそうだ。無意識に筆を持つ手に力が入る。自分の心境が彼の狙ったところだとわかってはいたけれど、かといって努めてどうにかできるものでもないのだ。


「つるまるさん……」
「俺が来て驚いたな!あっはは!」


 愉快げに笑いながらこちらに歩み寄り、わたしが座るすぐ隣へ膝をつく。その動作に無意識に察したのか、わたしは握っていた筆を硯へ置いた。覗き込むように顔を近づける鶴丸さんから逃げるように反対側へ背を傾けるも、彼は何、そんなこと、と言わんばかりに頓着を見せることもなく、にこにこと弧を描いた目のまま口を開いた。


「朝食を食べるきみが小さく見えたのは間違いじゃなかったな」
「小さくなってない……」
「ばっちりへこんでいるじゃないか。それでも政府の人間を見返そうと意気込んでいるんだろう。立派だな」
「……」
「さすがは俺たちの主だ」


 そう言って鶴丸さんは、身を乗り出し、わたしをぎゅうと抱きすくめた。鶴丸さんには今朝のわたしがどう見えたんだろう。彼のことだから遊びに来たんだと思ったけれど、もしかしたら慰めに来てくれたのかもしれない。「偉い、偉い」ポンポンと頭を撫でる感触に、自分の体温が上がるのを感じる。かといって、彼のスキンシップを素直に受け入れられるかと言ったら別問題なので、逃れるように身体をよじる。


「うう……」
「はは。楽しいな、きみは」


 離れられたと思ったら、今度は両方の二の腕を掴まれる。面白がる鶴丸さんが両腕を引っ張るので逃げられない。せめてもの抵抗で右下へ俯くと、軽やかな笑い声が聞こえた。やっぱりこの人遊びに来ただけかもしれない。


「離して……」
「そうはいかない。へこんでいる主に元気を出してもらわないとな」
「へこんでない」
「きみはへこんでないときにはそういう返事をしないんだ。気付いていないな?」


 甲斐甲斐しくまとわりつく鶴丸さんの指に、心臓が脈打つ。
 構ってくれるのは、正直嬉しい。根本的にさみしがりの自分は、本当は、誰でもいいからいつも気にしてほしいと思っている。だから真実には、鶴丸さんのしてくれることは嫌じゃない。
 でもこういうのは、どうしても慣れないのだ。いつのまにか正座は崩れ、膝を立てて体勢を維持していた。逃げたくて後ろに体重をかけてるのに、その分鶴丸さんが前のめりに近づくから離れられない。腕の裏側に四本の指を這わせ、さらに引っ張られる。かっかっと火照ってきた。なんだか、おかしい、恥ずかしい、ことをしているように感じてしまう。子ども扱いされているならまだわかるのに、どうにもそうじゃないから恥ずかしい。顔が見えなくても、鶴丸さんが笑っているのがわかる。
 もしわたしが嫌がるのをやめたらどうなるんだろう。鶴丸さんは悪い大人みたいにわたしに触れるのだ。


「主はかわいいな」


 熱っぽい声に、汗ばむほど大きく心臓が跳ねる。強く引っ張られ、抵抗も虚しく彼の腕の中に収まってしまう。またぎゅうと抱きすくめられる。鶴丸さんの頬が耳に当たるのがわかる。髪を撫でられてようやく、ついさっき自分の頭をぼさぼさにしたことを思い出したけれど、彼のゆっくりと優しい手つきに、言い訳など何もできなかった。


「きみを慰めに来たのは本当だが」
「……」
「俺がきみを欲したんだ」


 彼の装束を掴む自分の手が震えている。色々な気持ちがまぜこぜになる心が解放を求めているのを、鶴丸さんは気付きながらも離さない。いかんせんこの人の慰め方は荒療治だ。これが終わっても、わたし、ちゃんと仕事に取りかかれない気がする。