立ったまま、鍛錬所の板戸に背を預ける。丸めた背中を向け座り込む彼女は、今しがた完成した刀剣を大事に抱き込んで俯いていた。袴が石造りの床につくのもお構いなし。彼女は無頓着なところがあるから、朝から砂埃で汚れることもいとわない。座りこまなくてもできるんでしょ、って前に聞いたら、このほうが力を込められるからって返ってきた。主が言うならそれで、まあ、困るのは綺麗好きな奴らだけだし。俺は自分が綺麗で、主が可愛がってくれるならそれでいいから。
 そんな彼女の背中がぐらりと揺れる。倒れるんじゃない。大きく息を吐く音も聞こえ、彼女の言う「力を込める」過程が終わりを告げる。やや俯いていた頭を持ち上げ、改めて彼女を見下ろす。……聞くまでもないんだけどね。


「できた?」
「できない」


 即答した彼女は返事に反し、のったりとこちらに振り返った。眉尻を下げた頼りない表情だ。思わず肩をすくめてしまう。うん、知ってたよ。彼女の陰に隠れて少しだけ見える柄は、残念ながら見覚えがあった。


「五虎退じゃない?連れてくるよ」


 板戸から背を離し外へ踵を返す。主が付喪神を顕現させられなかったのなら、その短刀は、それこそ聞くまでもなくこの本丸にいる誰かだ。すでに顕現し、ここで生活している刀剣男士。ふっと息を吐くと、視界の隅で主が顎を引いたのがわかった。


「加州くん、なんで嬉しそうなの。怒るよ」


 え?
 反射的に、踏み出した爪先を軸にくるっと振り返る。主があからさまに口を尖らせていたのだ。想定外の反応にぽかんと目を丸くしてしまう。めずらしいとかじゃない、まさか言い当てられるとは、思っていなかったのだ。とはいえ、本当のことを言うのはあまりに格好がつかないので、俺は上手なごまかし方を巡らせる。


「嬉しいわけじゃないよ。あんまり無理してほしくないだけ」


 努めて動揺は見せないよう言葉にし、思い切って彼女へ距離を縮める。カツカツとピンヒールが鍛錬所の地面を鳴らす。近づくにつれ俺を見上げる体勢になる主は、尖らせていた機嫌を維持できず、急速に丸まってしまったようだ。俺が触れそうなほどそばでしゃがむ頃には、すでに元の覇気のない顔になっていた。「だって」眉をハの字にして漏らす彼女。「ん?」優しく促すように覗き込む。本当はこれだって、聞かなくてもわかっているけれど。


「たくさん仲間を呼んであげないと」


 情けなくこぼれた声に、胸の奥がきゅうと締めつけられる。主といると、ときどきこうなる。衝動のまま、主に何かをしたくなる。うん、そうだね、きっと前田や乱たちは、まだ見ぬ兄弟に会えるのを楽しみにしてるだろうよ。そのために主が、手元に来た刀剣を片っ端から顕現させようと審神者の力を使っているのも知ってるから。「うん、でもさ」至近距離で首を傾げる。俺も頼りない顔をしているかもしれない。


「ほどほどにしてよ」


 実に心からの言葉だった。本心だから君にもちゃんと伝わっただろう。
 そう、主の言う通り、俺は嬉しい。もしも新しい奴が来て、主が喜んで、そいつに時間を割くようになったら、きっと俺は拗ねてしまう。主を取られるのが嫌だ。俺にだけ構ってほしい。ごめんねと心の中で謝って、主が抱きかかえる短刀をやんわりと取り上げる。五虎退を連れてくるより見せたほうが早いだろう。
 立ち上がり鍛錬所をあとにする間際、振り返ると、主は空いた腕を力なく垂らしていた。

 広間にいた五虎退に確認したところ、案の定腰に提げているものと一致した。主の様子を案じる彼や秋田に大丈夫だとだけ返し、刀を持ったままとんぼ返りする。主から目を離したのは多く見積もっても十分程度だ。それでも俺はある種の予感があったので、鍛錬所に戻り再び主の姿を捉えたときにも、別段驚きはしなかった。


「……」


 鍛錬所は全面石造りの固い床だ。そこに転がって眠る彼女。そばで慌てた小さな刀鍛冶が起こそうとしているのも視界に入れ、ふうと息を吐く。やっぱりね。
 先程と変わらない靴音で歩み寄り、横になって丸まっている彼女のそばにしゃがむ。一度膝をつき、掬うように抱き上げ、心配そうに見上げる刀鍛冶に短くお礼を言ってから鍛錬所を出る。見える範囲に人影は見当たらない。いたところで、この役目を任せるかと聞かれても、絶対にしないのだけど。主の部屋はここからそんなに遠くない。遠くたって、彼女に差し迫る危機でもなければ手放すつもりはない。


「近侍には公平な役得ってやつだからね」


 顕現を試みる際には必ず近侍がそばに控えている。こうして眠ってしまう主を部屋まで運ぶためだ。  そう、だから、いいよ。君が知らない俺だけの時間も悪くない。