どうやら体調を崩してしまったらしい。部屋の真ん中に敷いた布団の中で、一人寝返りを打つ。真上に広がるのは木目が波打つ天井だけだ。目は覚めたのに、身体のだるさは朝と変わりなく居座っていて、退いてくれる気配はない。いやだなあ。
 朝ご飯のときは、頭がぼんやりするのはまだ寝足りないせいかと思っていたけれど、みんながやけに気遣ってくれるのが不思議で聞いてみたら、顔色が真っ青だと言われた。言われてようやく不調を自覚し、それからは近侍に任せて自室にこもっている、のが事の顛末だ。もう、末。結論はここだ。今日という日を棒に振った。
 外はまだ明るいから、今はおやつの時間あたりだろう。時計が見えないから正確な時間とは縁を遠くしているけれど、それでも人間には腹時計というものがあるので、お腹の空き具合でなんとなく計ることができるのだ。
 ごろんと再び寝返りを打つ。障子の向こうから神さまの声が聞こえてくる。今日の手合わせが終わったのだろう、この声は前田くんと乱ちゃんで違いない。部屋の前の庭を歩いているようだ。何やらきゃいきゃいと楽しげな会話を弾ませているのを子守唄に、暇だからもう一度寝ようと、目を閉じる。「あっ」乱ちゃんのカラッとした声が跳ねる。


「主さんに持ってくの?」
「手伝います!」


 ぱちっと目を開ける。土を蹴る二人の足音、それと「寝てるかもしんねーから静かにな」めずらしく落ち着いた声。廊下の左からやってくる人影が、障子に映る。黒だけのシルエットが金色に輝いて見えるのは、きっと気のせいなんだろう。のったりと身体を起こす。


「……お、起きてたか」


 そっと開いた障子から顔を覗かせたのは、声の主の獅子王くんだった。片方の手で大きく開くと、続いて乱ちゃんと前田くんも縁側に上がってくるのが見える。うん、と頷いてから、堪えきれず笑ってしまう。賑やかになった世界が嬉しかったのだ。


「腹減った?昼飯持ってきたけど」
「みんなは……」
「とっくに食ったよ。主さっきまで寝てたから」
「そっか」


 ありがとう、食べたい。お礼を言って、畳を踏む獅子王くんからお盆を受け取ろうと両手を伸ばす。けれど彼は仕方のなさそうにちょっと笑って首を傾げるだけで、渡そうとはせず、「おまえら、そこの机持ってきてくれ」二人に声をかけ脇にある文机を持ってこさせた。元気よく返事をしてトタトタと目的の家具へ走っていく二人を目で追う。確かに、膝に置いて食べるのは、ひっくり返す危険がある。納得して、両端を持って運んできてくれた二人にお礼を言う。お恥ずかしいことに文机の上は政府からの通達や書きかけの報告書でとっ散らかっていて、とてもじゃないけれどお盆を乗せられるスペースがなかったので、適当にまとめて畳に置いてしまう。獅子王くんがお盆を置き、正面にあぐらをかいて座る。


「あんまり頑張りすぎんなよー」
「がんばってない、がんばってないよ」
「そうかあ?」


 腕組みをして、今度は訝しげに首を傾げる。前田くんが、下に置いた書類をものめずらしそうに手にとって眺め、その後ろから乱ちゃんが覗き込む。昨日のうちに提出しなきゃいけなかった書類は未完成だった。今日も送らなかったら、またお叱りの通達がやってくるのだろう。
 憂鬱な気分を忘れるため、いただきます、と手を合わせる。梅干しの散ったお粥とほうれん草のおひたしだ。作ってくれたのは誰だろう。あとでお礼を言わなければ。


「具合は?」
「……そこそこ」
「そか」


 それから獅子王くんは、今日の遠征の報告と出陣の内容をざっくばらんに伝えてくれた。相槌だけでいい話題は食事の邪魔をしないためだろう。前田くんと乱ちゃんは、部屋の片付けをすると言って、奥の箪笥のほうへ移動していた。


「あとは夕方頃に加州清光たちが帰って来れば今日は終わり」
「うん、ありがとう」


 資材のバランスも勘案して適切に派遣してくれている。傷を負った部隊も今日はないらしく、至って平和だったとのこと。夜戦には出ない。ここまで把握してるのは、獅子王くんが今日の計画を立てる一端を担ったからだろう。丸投げしてしまって申し訳ない。謝ると、べつにいいよと肩をすくめて笑った。


「でもあんたが身体壊すのは全然よくねーからな?」
「気をつける……」
「おう。そうしてくれ」


 俺らそういうのわかんないから、気は遣えるけど、あんたがちゃんと自覚するのが一番だと思う。伏せ目で、口元には笑みを浮かべたまま言う獅子王くんに、うん、ともう一度頷く。神さまは体調不良なんかとは無縁の存在だ。たぶんだけど、少なくとも顕現してから、疲労と外傷以外に彼らが調子を崩すところを見たことがない。神さまじゃない、人間の脆さというのはこういうところに現れる。
 獅子王くんは普段の溌剌を潜め、努めて静かにしているのがうかがえる。病人のわたしに気を遣っている。そのうえ報告を聞けば、彼は今日ずっと本丸に待機していたことになる。お昼にもここに来たようなことを言っていたから、わたしの看病係だったのかもしれない。彼も一日を棒に振ってしまったのだろうか、手合わせくらいは誰かとできただろうか。今は内番服の格好だから、真実はわからない。


「ごめん、暇にさせちゃって……」
「ん?ああ、それもいーって」


 わたしが快調だったら、いろんな部隊を出陣させて彼も退屈せずに済んだだろう。すべての原因が自分にあることを身に沁みて感じる。謝った訳をすぐに察せるくらい、獅子王くんは自分が戦場で使われることを望んでいる。それをわたしも、よく知っていた。「たまの退屈もそこまで嫌じゃなかったぜ。でも俺は刀だから、やっぱり使ってほしい」膝を立てて、頬杖をつく。憤ってない。


「主の面倒見んのも悪くないけどなー」


 にかっと笑う彼に、つられるように笑みがこぼれる。彼らしい笑顔だった。「わたしも、獅子王くんに面倒見られるの、とてもいい」言ってから、上から目線みたいに聞こえたかもと肝を冷やす。おそるおそる獅子王くんの様子をうかがうと、彼はきょとんと目を丸くしたあと、弧に細めて笑った。


「だろ?何でも、この獅子王さまに任せろってんだ」


 そう胸を叩く彼が心の底から嬉しそうで、頼もしかったものだから、わたしも嬉しくて、大きく頷いた。金色の髪の毛で片方が隠れる、きらきらした、君の瞳みたいな宝石を知っている気がした。

 前田くんたちが片付けが済んだと言って戻ってき、しばらくして三人は部屋を出て行った。障子を閉める間際、獅子王くんの「またあとで来るからな」の台詞が、どうにもむずがゆくていけない。