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他の人にはわからない彼のいいところが私たちには見えているのだと、嬉しくなる。

強豪校である洛山高校のバスケ部を入部当初から率いる赤司征十郎は、主将として必要なありとあらゆる能力を既に兼ね揃えていた。さすがは三連覇を成し遂げた中学の主将というべきか、彼の人を従えるカリスマ性は他の追随を許さず圧倒的だった。人を惹きつける魅力が彼にはあるから、だから周りの人間は何の不満も抱かないし、彼に付いて行こうとさえ思う。それは幼なじみも例外ではない、と彼らは思うらしい。


「征ちゃんのそれって、犬を飼ってるみたいなもの?」


征ちゃんたちが高校に入学してまだ何ヶ月も経っていないけれど、既に彼に関する噂は校内のあちらこちらで耳にするようになっていた。ほとんどが真偽も定かでないものばかりなのにあっさり蔓延してしまうのが噂の不思議なところで、ちなみに今の台詞の「それ」はちゃんについてなのだけど、聡い彼なら会話の流れから理解してくれているだろう。着替え途中の征ちゃんはシャツのボタンを留め終わったあとでこちらに向いた。その表情はどこか愉快そうに見えて、私は少し不思議に思った。


「中学のときも同じような噂を聞いたな」
「あら、噂って知ってるのね」
「もちろん。取り巻く環境は前とさほど変わっていないからね。流れる噂にも変化はほとんどない」


取り巻く環境。高校も中学も彼の肩に乗せられる責任と期待は変わらない。むしろ更に多くの人が目にするようになった今の方がその重圧は重くなっているんじゃないかしら。…とは言っても彼はその苦しいはずの環境を重圧だとは思ってない節があるけれど。とにもかくにも、赤司征十郎という男を見る周りの目は昔と変わっていないのだそうだ。


「残念ながら、を犬か何かだと思ったことは一度もないよ」


落ち着いた会話の中、着替えや帰りの支度を着々と進めて行く彼を目で追う。練習試合が終わったあと監督と話していた彼と違い私たちはダウン後すぐに部室に戻ったので、すべきことはもうすべて終わっていた。


「そうよね、わかってたんだけど聞いてみたくて」
「へえ、わかってたのか」


今まで彼が取り乱した姿を見た記憶がない。いつも冷静で何でもわかっている、みたいな反応が多い彼は今だって私の返答に対して驚いたようでどこか予想通りだと言っていた。本当に驚かせてみたいから、きっと意識の外であろうトリックを暴露してあげようと思う。これならきっと、本人だからこそ知らないだろう。


「わかるわよ。征ちゃんの目を見ていれば」


スッと自分の目を指差す。相手の動きの未来が見えるという赤と橙は彼に力を与えるだけでなく、それを真摯に見つめる者にも情報を与える。目は口ほどに物を言うとはよく言ったものね。征ちゃんが表に出さない感情は双眸が語ってしまう。隙のない彼でもそれは他の人と同じだ。そしてきっと意識の外のことだろう。だから私でもわかったのだ。


「…ああ、やはりな」


けれどその事実も彼は知っていたようだった。あら、残念。座っていた椅子の背もたれに寄り掛かる。「自覚あったの?」パタンと閉じたロッカーに手を添えたまま、少しだけ振り向いた彼の橙は珍しく自嘲気味だった。


「ああ。涼太にも多分このせいでばれたからね」


(あなたが彼女を見る目はね、どうしたって他には向けられることのない眼差しなのよ。)言わなくてもわかっていたのは以前にもこんなことがあったかららしい。記憶の中の黄瀬涼太を思い出してみる。彼もきっと私たちみたいに征ちゃんに近い存在だったからこそ気付けたのだろう。「隠してるの?」ポロッと零れてしまった台詞に気付いたのは征ちゃんがムッと口を噤んでからだった。慌てて手を振り否定する。


「違うの征ちゃん、隠せてないんじゃないのよ、私だって、きっと黄瀬ちゃんだって、征ちゃんをよく見ていたからわかったんだもの。そういう意味じゃなくて…どうして隠してるの、って意味で言ったの」
「……わかってるよ玲央。…ただ最近、本当に隠せてないんじゃないかと思い始めていたから」
「え?」
「隠さないといけない理由はちゃんとあるんだ。玲央たちにならいいが」


「でも噂はそのままにしておいてくれて構わない」征ちゃんはロッカーに背を預け、何も読み取らせない表情でそう言った。それを見て私は目を伏せる。ごめんなさい、と心の中で呟いた。ごめんなさい、わざわざ聞かなくたって、まだ一緒にいて何ヶ月も経ってなくたって、その理由はわかるわ。ただ、彼女を守るために。彼女を一方的に従えてると思われていた方が都合がいいのはそのため。それだけだけれど、征ちゃんにとってはとても大事なことなんでしょう。彼女への想いは、本人にさえも隠してしまったら進展は望めないのに、守るために苦しいだけのそれをあえて受け入れる彼にはやっぱり重圧がのし掛かっているように見える。


「…征ちゃん、たまには私たちを頼っていいのよ?」
「大丈夫だよ、玲央」


けれど、まっすぐ、一ミリもぶれない彼は私たちに寄り掛かろうとはしない。立派な私たちの大将は一人でも気丈に立っていられるのだ。それが歯痒くて、私たちはどうすれば彼に頼ってもらえるのか未だにわからないでいる。何か力になりたいのにそれが簡単じゃない。


「あまり無様な姿を晒すわけにはいかないからね。改めて指摘をしてくれて感謝するよ」
「……いいのよ、全然。気にしないで」


きっと征ちゃんはちゃんを、女の子としてすきなんだろうけれど、それを私が引っ張り出したって意味がないから。彼女ほどじゃなくても、私たちだってあなたの力になりたいって思っていることには気付いているのかしら。


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