7


バスケ部に入って初めての夏を迎えようとしていた、そんなある日のことだった。
たまにある隣のクラスとの合同体育の時間。今日は四チームに分かれてドッジボール大会が開かれていた。出席番号でクラスを二つに分け、小さなトーナメントに沿って試合が行われる。今は俺のクラスの奇数チームと隣のクラスの偶数チームが戦っているわけで、体育館全体を使って繰り広げられるそれは人数とコート面積のアンバランスな比のおかげでゆっくりとした試合展開を見せていた。これが終わったら次は俺たち偶数チームの出番なのである。迎え討つは隣の奇数チーム。野球部や陸上部が固まってるから強敵だ。
とか言って、そんな楽しみにしてるわけじゃないんだけど。きっとそれはステージの上で一緒に観戦してる二人も同じことだろう。試合から目を離し、隣に並んで座る二人に顔を向けた。


「男女混合ってやりにくくないっスか?」
「確かにな。力加減が難しいから少々やりづらい」
「男子に当てるスピードで投げて女子に当たるとめっちゃ非難されるっスもんね」
「まじめんどくさー。俺ずっと外野にいていい?」
「いいっスけど、最後は内野入んなきゃいけないんスよ?」
「え〜じゃあ赤ちん俺のこと最初に当てて」
「いいよ。本気で投げてやろう」
「げえ」


同じクラスの紫原っちも隣のクラスの赤司っちも、見せる姿勢こそ違えどやる気自体は大して変わらないんじゃないかと思う。優勝したチームにはご褒美が貰えるらしいけどどうせチロルチョコだろう(去年もそうだった)し、さっきの会話の通り男子の俺たちはなかなかに本気を出せそうもないのだ。この競技において重宝されるのは体育会系の女子だし、そもそも他クラスとの交流が目的の一つであるこれに熱くなれる気はまるでしない。赤司っちには「気を抜いて怪我だけはするな」と言われているが、要はその程度なのだ。
だらしなくステージに寝そべった紫原っちは置いといて、まっすぐに試合を観戦してる彼を横目で見る。さっきも言った通り季節はもう夏に入ってるので、上は白い体操服にジャージを羽織ったスタイルで俺と同じだけど下は今日からハーフパンツに変えたようだ。自分はそのスタイルが似合わないと自覚してるので長ジャージを三年間貫き通すつもりだが、きっと七月ぐらいには暑くて仕方なくなるのだろう。体育でもバスパンがOKなら一番いいのに、と思いながら裾を捲り直した。
それからもう一度彼を盗み見ても依然としてだだっ広いコートで繰り広げられる試合をまっすぐ見ているだけだったが、その横顔はいつになく、どこか楽しそうだった。

このドッジボール大会を本気で優勝しようとしているのなら、決勝に備えて今試合しているチームの情報を集めているとも考えられる。が、ただの授業の中のドッジにそんなことをして編み出される必勝法はほぼ無いと言ってもいい。つまり何が言いたいのかというと、赤司っちは試合を見ている、という訳じゃなさそうなのだ。じゃあ一体何を見てそんなに楽しそうなのか。彼の視線を追うため自分もコートに目を向けた。


(……あ!)


そこで俺はピンときた。そういうことか。彼の横顔と視線の先から読み取れた、事実と言ってしまえるほどの確信に辿り着いた。これはつまり、そういうことだよな。……おお。ずっと探していた物を見つけた感覚。「…ふふっ」思わず笑ってしまい、不思議そうに目を向けられてしまった。


「黄瀬?」
「あ、いや、…赤司っちって弱点とかないと思ってたんスけど、」
「…?」
「俺、見つけたっス」


僅かに目を見開いた彼に少しだけ優越感を感じ、そのままある一点を右手で指差した。「あれでしょ」だだっ広いコートを最小限に行き来する一人の人物。俺は常々、おおよそ完璧である赤司征十郎に弱点はないのか?とずっと思っていたのだ。その答えがきっと、あれ。俺と同じクラスの、、彼女だ。この男にあんな表情をさせられるのはおそらくあの子しかいない。


「黄瀬」


お? するとすぐに人差し指は右から伸びてきた手によって隠された。言うまでもなく赤司っちのそれである。反射的に目を向けると彼は、珍しくも困ったように笑っていたのだ。


「そういうことはあまり言わないでくれ」


「……、」俺はその言葉と表情で、言いたいことを瞬時に理解した。最強を掲げた帝光バスケ部を背負うには、赤司征十郎という男は周りに簡単に隙を見せてはいけないのだ、と。弱味に付け入られてはいけない。幼なじみのが彼の唯一の弱点だということも、知られてはいけないのだろう。俺の見てきた限り完璧と言っても過言じゃないほど完璧である彼だからこそ、それを徹底しなければならないのだろう。ましてや彼女はただのひ弱な女の子なのだ。


「…わかったっス!」
「まあ黄瀬たちだったらいいけどね」


そう笑う赤司っちは彼女を守るつもりなのだろうか。まだ俺は二人と深く関わってるとは言えないけれど、学校に流れてる噂はどれもこれも的確じゃないということはもうわかってる。周りは赤司っちがをどう思ってるのか知らない(俺もちゃんとわかってるわけじゃないけど)。捻じ曲がった噂なんて、彼のことだから既に知ってるだろう。それを否定せずにのさばらせておくのは、誤解したままの方が都合がいいから、知られてしまったら彼にとって不都合が生じるかもしれないから。不都合とは何か、容易に想像できる。

幼なじみとして長年一緒にいたからなのか、大事にしてるよなあ。大事だからこそ弱味になってしまった彼女を隠すのは何もバスケ部を背負う自分のためだけじゃないだろう。間違いなく彼はを守ろうとしている。

バンッと音がしてそちらを見ると、どうやらが隣のクラスの女子に当てられたようだった。結構最後の方まで粘ってたみたいで、うちのクラスの内野はあと三人しか残っていなかった。


当たっちゃったっスね」
「そうだな」


邪魔にならないように外野へ抜ける彼女を追う、柔らかく笑う赤司っちの目がその証拠だ。普段はそんなことないけど、ときどき彼はこういう、なんていうか、慈愛?に満ちた眼差しを彼女に向けるのだ。それが結局俺にとってはヒントになってしまったのだが、赤司っちは気付いているのだろうか。

だいたい守るにしても、もっと他に方法はあると思うのだ。そもそもあんな噂が流れないくらい彼女を遠ざけてしまえばいいのに、紛らわしいことをするのがいけないんじゃ。赤司っちだって人気あるんだから、周りの女子が放っておかないだろうに。


「終わったな」
「…あ、ほんとだ」


いつの間に試合は終わったらしい。勝ったのは赤司っちのクラスだった。「紫原、起きろ」身体を捻り、後ろで寝ている大きな図体を叩く。
そういえばさっき赤司っちは、俺たちだったらいいと言っていた。じゃあ、俺たち「以外」とは誰のことを指しているのだろう。紫原っちのあとに続いてステージから降りる彼の背中に呼びかける。「赤司っち」ゆっくりと振り返る。「なんだ?」


「弱点、誰に知られたくないんスか?」
「……さあね、たくさんいるよ」


そう答えたあと、丁度駆け寄ってきたと何か話し始めた彼の表情を見て、やっぱり違うなあ、と思う。どうして一時でも噂を信じていたのだろう。彼を知れば知るほど、そんなんじゃないとわかってしまう。もっと関わっていくうちに赤司っちが何を考えてをそばに置いているのかわかるかもしれない。だって、どうして赤司っちの言うことを何でも聞くのかわかるかもしれない。


「じゃあ、頑張ってね征十郎くん」
「ああ」


でも本当に大丈夫だろうか。いざこうしてじっくり観察してみると、赤司っちのに対する態度は他と全然違く見えるのだ。いつかこれが隠し切れなくなったら、赤司っちの知られたくないという人にまで知られてしまうだろう。もしそうなったら、あんたのせいで彼女に被害が及ぶんじゃないか。


top