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、洛山行くらしいっスね」


第三学年の教室が並ぶ廊下にて待ち伏せが成功したのは帰りのホームルームが終わってから約十分後だった。同じ目的で体育館に向かうことがなくなってから彼がこの時間どんな行動を取っているのか知らなかったけれど、今日みたいにすぐ家に帰ろうとしないのはいつものことなのだろうか。教室の前で待ち構えていたので出てきた瞬間彼は俺を見て少し驚いたようだったが、初っ端から話が逸れては堪らないので開口一番に本題を切り出してやった。効果はあっただろうか。
向こうはなるほどと言うかのように「ああ、」と呟いた。肯定の意味ではない。「やはりな」そして俺が問い掛けて来たということに対してでもなかった。彼は彼女がその決断を下す予想がついていたとでも言うかのようだった。


「赤司っちが言ったんスか?洛山に来いって」
「まさか、何も言ってないさ。が自分で決めたことだ」


そう言い壁に寄り掛かった彼と同じように向かいの窓に寄り掛かっていた俺は素直に驚いた。彼が嘘をついてるようには見えない。元々この人は嘘をつくキャラでもないので、今言ったことを疑う余地はなかった。
俺はてっきり、赤司っちがに洛山に行くよう指示したと思っていたのだ。予想外の事実に思考が一時ストップした俺に対し、口だけにこりと笑う彼はどこか楽しげだった。


「それにしても、いつ聞いたんだい?が洛山に行くと」
「今日の昼っスよ。資料室で見かけたから」
「なるほど。思ったより早かったな」
「(何が?)あ、てか赤司っちはまだ聞いてなかったんスね?」
「ああ。今日は一度も会っていないしな」


へえ、とこれまた素直に驚いた。二人にもそういう日があるのかと。もしかして、引退して彼女と疎遠になったのは俺たちだけじゃないのか?赤司っちも同じように、と会う機会が減っているのか。……いやそんなはずはない。二人を繋いでるのは何もバスケだけじゃないはずだ。むしろ二人の関係にとってだけなら、バスケ自体はそこまで重要なものじゃないだろう。はマネージャーでもなく、赤司征十郎のただの幼なじみなのだから。
まあ今日二人が一度も顔を合わせなかったことは置いておこう。赤司っちも気にしてる様子はないからそんなに珍しいことじゃないのかもしれない。


「というか涼太、それを聞くために待っていたのか?」
「そっスよ。俺てっきり赤司っちがに洛山強制したのかと思ったんスから」
「へえ。…だったらどうしていたんだい?」
「え?」


「僕がに強制していたら、涼太はどうするつもりだったんだい?」赤司っちの挑発的な笑みに、あれ?と思った。俺はどうしてわざわざ彼を待ってたのだろう、と。赤司っちがに強制させた。その真偽を確かめるためだけに待っていたのか。

俺は彼を責める気で来たのだろうか?一体どこまで彼女を独占する気だ、と。……まさか。


「…多分、そんなことにすら従っちゃううわ〜って思ってたっスね」
「なんだようわ〜って」
「今も思ってるっスよ。強制されてないのにそうしちゃうって、どんな刷り込みしたらそうなるんスか」
「刷り込みかあ…」


彼は可笑しそうにクスクスと笑った。うん、これだ。俺は、の従順さを再確認したかったのだ。彼の命令に素直に従ってそれに不満を一ミリも抱かない、そんな彼女であると信じたかった。結局俺の考えは違ったけれど結果オーライだろう。むしろ聞いてよかったとさえ思う。何も言われてないのに京都までついて行くとか、も大概赤司っちにこだわってるよなあ。一方的な主従関係じゃないからこの二人は不思議だ。一体何が二人をそうさせるのか、部外者の俺からは見えないのだ。
迷いのないあんなに純粋でいたを見送っておいて、彼を責めようなんて気はこれっぽっちも湧いてこない。それこそエゴだと一蹴されてしまうだろう。俺でもそうする。刷り込みなんて言ったけど、は自分の意思で赤司っちについて行こうとしてるのだ。それはきっと刷り込まれる以前に彼女の気持ちだ。誰も、自分の意思跳ね除けて何かをするって、簡単にできることじゃない。


「あ、じゃあ逆に、が洛山じゃないとこにしてたらどうしたっスか?」
「そうだな…その可能性はないと思っていたから考えたことなかったな」
「うわ〜」
「はは、僕に対してもうわ〜か」


茶化すように言ってみたけれどが洛山を捨てる想像は俺もできなかった。二人に毒されてるという表現がぴったりで少し恐ろしくて、残りの感情は愉快だった。「…まあ何だっていいんだ」楽しそうな笑顔から一変、落ち着いた声音の彼を見る。


「涼太、前にも言ったと思うが」


彼は一度目を伏せ、片足を引いて壁から離れた。最低限の物しか入っていないだろうスクールバッグを肩に掛け直す、その無駄のない動きを俺は黙って目で追っていた。優美な所作はどこかで習ったものだろうか。そんな風に考えながら再び目が合ったときには、赤と橙の双眸が真っ直ぐ俺を見据えていた。


は僕のだ」


…ああ、と思った。確かにその台詞は聞いたことがある。言わずとも、と思うが言われると更に身に沁みる。それは彼の、目一杯の独占欲の表れだ。


「赤司っちって、のことすきなんスか?」


大きな目を二度瞬かせ、途端眉尻を下げた柔らかい笑顔。ああそうだその表情だ、俺がよく見ていた彼の笑顔。の話をする赤司っちはいつもそういう顔をするのだ。


「それを答えるにはまだ早いと思わないかい?」


「さて、久しぶりに一緒に帰ろうか、涼太」早いのだろうか。むしろすっかり遅い気がしないでもないが、彼はまだ模索中なのだろう。早く明らかになる日が来るといい。思いながら、俺は足を一歩踏み出した。


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