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洛山高校は毎年四月のこの時期、スポーツテストに一日を充てるらしい。そして快晴である今日は絶好のスポーツテスト日和で、学校に着くなりすぐに体操着に着替え、ホームルームでは中学でも見た覚えのある測定記入カードが配られ担任からの説明を受けた。身体測定や視力検査も同時に行うらしくクラスごとに回る順番も指定されたけれど、ほとんどの人が部活での役割があるため実際は自由行動なのだそうだ。一応わたしのクラスは歯科検診からで、部活に入ってなかったり部活の担当が午後からだったりする子と一緒に回ることになった。体重はご飯食べる前に計りたいよね、なんて話をしながら保健室へ向かう。まだ校内の構造をよく把握出来ていないわたしは、前を歩く女の子たちの綿密な行動計画をぼんやり聞き流していた。

歯科検診が終わり、次に身体測定をしに体育館へ向かった。身長と体重と座高の三つの列がそれぞれ結構な長さを作っていて、みんながばらばらに並ぶ中わたしはなんとなく座高の列に並んだ。単に一番列が短いと思ったからなのだけど、友人からは座高一番に測っても面白くなくない?と言われた。
それから多少時間は掛かったものの無事全部測ることができ、記入カードに初めて名前以外の字が書き込まれた。記憶によると身長は一ミリ伸びたようだ。座高は覚えてないので考えないことにする。体重からは目を瞑る。このカードは三年間使うから、きっと来年のこの時期にまた見たら楽しいのだろう。同じ変化を楽しむのなら、やっぱり座高を一番に測ったって他のと同じくらい面白いと思うけど。それを友人にわざわざ言うことはしなかった。
体育館は他にも反復横跳びや上体起こしの種目があったけれど、今の時間は三年生が順路的にそれらしく近寄り難い雰囲気を醸していたので、先に視力検査と屋外の種目をやってしまうことにした。


「なんだか三年生至る所にいない?」
「ね。運動部がスポテの手伝いしてるけどそれ一、二年だけだしね」
「怖いなー三年。色も黒だし」


学年ごとに違うジャージは一目で学年を見分けるだけじゃなく視覚効果を助長させる。ただでも最高学年のオーラで男女共に怖いと思わせるのに、何色にも染まらない黒をプラスすることでより一層近寄り難く感じるのだ。すれ違った化粧の濃い三年生のお姉さんはちまっこいわたし達を横目で見るだけしかしなかったのに怒られたように感じた。聞かれたかなと不安を口にしつつも集団の強みかくすくす笑う友人の最後尾でわたしは、スポーツテストなのにお化粧をしてどうするんだろうと思っていた。

外の種目を終え、一度昼食を摂りに教室へ戻りある程度ゆっくりしたあと午後にまた体育館へ戻ってきた。残りはここの二種目だけだ。人口密度はさっきと大して変わってなかったけど、三年生はほとんど姿を消し、代わりに青色が全体に広がっていた。一年生の学年カラーだ。どこか居心地良く感じられるのはさっきも言ったとおり視覚効果である。デザインが同じだとこの青色はどこか抜けて見えるのだ。散々言ったけど一番締まって見える黒色は誰に聞いても安定の人気だ。ジャージの色は卒業まで同じなので、わたしたちはこの青色と三年間付き合わないといけない。

上体起こしを終え、反復横跳びへ向かう。スポーツテスト、案外早く終わるなあ。このあとはもう自由時間だから着替えちゃって寝てようかなあ、そんなことを考えながら最後の種目の受付へ行き、学年とクラスと名前を言いチェックしてもらう。受付はマネージャーさんがやって、二十秒を測るタイマー係は部員さんらしい。実は反復横跳びはバスケ部の担当なので午前に立ち寄ったときから探してるのだけど、うまい具合に担当時間とすれ違ってしまったらしい。姿は一度も見てなかった。そもそも彼は一年生でこそあれ立派な主将だから、もしかしたら担当に入ってすらいないのかもしれない。残念だと少し落胆しつつ二回の反復横跳びをこなした。
とにもかくにもこれで終わりだ。埋めれるだけ埋めた用紙を一人満足気に眺めていると、突然それが目の前から消え、代わりに青色が映った。ハッと顔を上げる。


「もう終わったのかい?」
「征十郎くん!」


紙の向こう側にいたのはずっと探していた征十郎くんだった。ジャージの前を開け、下は長ジャージを何回か捲ったスタイルで、それは中学でもよく見た姿だった。まだハーフパンツになるには早い春の彼はこの格好を好んでるらしい。


「終わったよ。もうあとの時間暇なんだー」
「へえ。…はやっぱり走るの苦手だな」
「えへへ…来年十秒切れないかも」
「来年よりまずシャトルランが目前の課題じゃないか?」
「あっ忘れてた」


そうだった。来週の体育で早速やるって言われてたんだった。スポーツ全般に弱いわたしは走るのが特に苦手で、確か去年は一昨年より一点上がって喜んだけど、受験を経て持久力は落ちてるだろう。不安だなあ。自分の足元まで視線を下げていたら、記入カードを一通り見たらしい征十郎くんはわたしに返しながら「無理はしないようにね」と言ってくれた。


「うん、ありがとう征十郎くん」
「いいや」


聞くと征十郎くんは今から最後まで反復横跳びの担当に入ってるんだそうだ。主将として片付けなどの指示も任されてるらしく、さすが監督さんが全幅の信頼を寄せてるだけあるなあ、と思った。白金先生は今日出張なんだそうだ。ふわりとジャージを翻し部員の人たちの元へ行く征十郎くんを目で追う。
一緒にいたいけど、邪魔するのは駄目だから戻ろう、と踵を返した。そういえばすっかり忘れてたけど友達どこ行ったんだろう。外で待ってるのかな。


「あの、キャプテン」
「なんだ」
「すみません!…あの、歯科検診あるの忘れてて…」
「ああ、そうか。君は最後までの担当だったな?」
「はい…すみません…」
「なら仕方ない。……


入り口まであと数メートルというところで呼ばれてくるりと振り返る。入り口に友達の影が見えた気がするけどそんなのそっちのけだった。「少し来てくれないか」大声ではないのにすうっと透る征十郎くんの声に二つ返事で頷いて、一歩踏み出してからハッと思い出し友人達に先戻っててと言いすぐに彼の元へ駆け寄った。


「悪いが、ここの受付を頼まれてくれないか」
「うん、いいよ」
「えっ…でも、」
「ここのことは気にするな。なるべく早く戻ってきてくれればいい」
「は、はい!」


青色ジャージのマネージャーさんは征十郎くんに謝って、わたしにもお礼を言ってくれた。いい人そうだ。歯科検診を忘れてたそうだけど、あれだけは記入カードに欄がなく別の紙に書かれるから失念してしまうのも無理はないと思う。一年生だしそんなに責められることじゃない。きっと征十郎くんもそう思ったからお咎めなしだったんだろう。


「歯科検診には結構人がいたから時間かかるかもしれないな」
「そうなんだ」
「ここに来る前に保健室の前を通ってきたからね」


へえ、と相槌を打つと二年生の女の人たちが来たので慌ててパイプ椅子に座り名前のチェックをした。向こうが自発的に名乗ってくれるのでこちらは学年ごとにプリントされた名簿からその名前を探してチェックを付ければいいのだ。いつも要領が悪いわたしだけど、今まで全部の種目で見てきたし、これくらいなら教わらなくても出来る。三人分の名前をチェックし終わり、彼女たちは反復横跳びのビニールテープが貼られた場所へ向かった。


「本当は部員にやらせてもよかったんだけどね」


わたしがちゃんと出来るか見てくれてたのか、後ろにいた征十郎くんはそう言いながらパイプ椅子の背もたれに手を掛けた。彼の気配は優しい。まだ征十郎くんがここにいるということと彼の言ったことを合わせて考えると、バスケ部員の人員には余裕があるようだ。
でもそんなことはどうだっていい。振り返り、彼を見上げる。


「わたし征十郎くんの為に何かしたいっていつも思ってるから、いいんだよ」


この言葉は征十郎くんと共有してきた十五年間で何度も口にしているだろう。初めて言ったときから少しも変わらず、むしろその思いはどんどん強まってるのに、わたしは同じ台詞でしか伝えられないでいた。


「…うん。ありがとう」


けれども征十郎くんが、全部わかってると言うかのように目を細めて笑ってくれるから、嬉しくてわたしも笑顔になるのだ。


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