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言わなくても近くに来てくれる。


週半ばの昼下がり、昼食を摂り終え教室を出る。目的のクラスの引き戸に手を掛け室内を覗くと目当ての人間はすぐ目についた。席位置も知らなかったが存外目立つ集団に属しているようだ。比較的後ろの入り口に近い机を囲う男子五人の輪を捉え、教室へ踏み入れる。バスケ部はあの中にいないか。気付いた生徒が何人かリアクションを取っていたが俺に対して何かしら行動する者はいなかったためすべて流した。昼休みが終わるまであと二十分はある。用を終えるには事足りるが、余計なことをしている時間はない。


「高倉」


呼ばれて初めて俺の存在に気付いたらしく、首を捻ってこちらに向いたその男は目が合うと驚いたように身を引いた。


「赤司?なに?」
「少し話がある。来てくれないか」
「は?」


「高倉何したんだよ」「生徒会長から呼び出しとかやばいやつじゃん」「早く行け早く行け」駄弁っていたクラスメイトが面白半分で騒ぎ立てるが当の本人は心当たりがないかのように「何もしてねーよ!」と笑いながら返す。俺としてはここに長居したくないのだが。動こうとしない高倉に畳み掛ける。


「頼みごとがあるだけだ。あまり時間は取らせない」
「頼みごと…?まあいいけど」
「はいはいいってらー」


見るからに俺を苦手視している男に追い払われた高倉はようやく重い腰を上げ、俺に続くように教室を出た。室内にがいたのはもちろん気付いていたが努めて見ないようにした。気にさせただろうが、無闇に関わりに来ないのはわかっていた。普段から俺がしていることだ。「どこ行くんだよ?」「生徒会室だ」「げ」あからさまに嫌な顔をしただろう高倉に僅かに振り返り、誰もいないことを告げる。もちろん、ならいい、とは返ってこなかったが。

鍵を差し込み開錠する。伝えた通り用がなければここに立ち寄る人間はおらず、生徒会長である俺が普段管理している鍵は誰も取りに来ていない。入口脇のスイッチを押し照明を点ける。教室の半分ほどの面積であるここには壁沿いに本棚とホワイトボード、中央に長机とパイプ椅子が置かれている。隅にパソコン用の席も用意されているがもちろん今は電源が落ちている。ファイリングされた資料が手前の机に置きっ放しにしてあったが、表題を一瞥して問題ないことを確認しそのままにしておいた。
高倉が入室したのち引き戸を閉める。鍵を閉めるまでもないか。まさか逃げるとは思っていない。物珍しそうにあちこち目を向ける彼に向き直り「話だが」と早速本題に入ろうとした俺に、おお、と間抜けた返事と共に首を向ける。…この男は俺に呼び出された理由に本当に心当たりがないのか?馬鹿の類ではない印象があったが俺の認識違いか。まさか本当に頼みごとだと思ってここまで来たのか。


「俺が言いたいことはわかっているか?」
「は?……あ、もしかしてさんのこと?」


さすがにそこまでではなかったか。「ああ」一つ返事をすると、男の表情がみるみるうちに変化した。眉を上げ、口角が吊り上がる。にんまりとの形容が正しいかのような笑顔は、しかし俺には下卑た笑みにしか受け取れなかった。努めて平静を保ち彼と対峙する。


「昨日一緒に帰ったやつ?俺も心配だったからさ、ほら結構盛大に階段から落ちてたし」
「落ちたところを見たのか?」
「そりゃああんだけ派手な音立ててたら見ちゃうって」


いけしゃあしゃあと述べる高倉の台詞に目を伏せ息をつく。ここまでくるともはや追及する必要性すら感じられないが、こいつには二度と変なことを考えないよう釘を刺しておく必要がある。腕組みをし、見据える。


「見ていながらに「どうしたの?」と声をかけたのか」
「……あ?」
「それにおまえが駆けつけたタイミングも随分遅かったな。落ちたのを目撃した上で手助けしようとしたのであればもっと早く駆けつけている。随分言動に矛盾があるが気付いてないのか」
「は?おい…何が言いてえんだよ」
「言ってほしいのか?」


顎を上げ見下げる。わかりやすく凍りついたそいつに内心呆れる。なんだ、思ったより小さいな。こんな人間がに目をつけたという事実に怒りが湧いてくる。まさかぶつける気にはならないが。


「おまえが何と言おうとどうでもいい。目撃者の証言もあるからな」
「は?!あんとき誰も見てなかっただろ!」
「何の目撃証言とも言っていないが」


ハッタリだが見事に反応したそいつはもはや俺の目を見ることもできないらしく床へ視線を落とした。逃げるタイプではないと読んでいたが、早めに用件を伝えた方がよさそうだ。まさか犯人探しが目的ではない。そんなことはすでに済んでいる。


「この件でおまえを断罪するつもりはない」
「…なら何だよ」
「二度とに近づくな」


用件は頼みごとではない。命令だ。


「……は?」
「おまえがにちょっかいを出した理由は想像がつく。直接俺にでなく彼女に手を出すあたりくだらないが。だが、見過ごすわけにはいかない」


高倉の表情が次第に歪んでいくのを真正面から見据える。感情を揺さぶられることはなく、彼がいくら悔しさに塗れ惨めに映ろうとも、どうでもよかった。「おまえの…」


「おまえのそういうとこがムカつくんだよ!何でもできるからって涼しい顔しやがって!部活でもちやほや特別扱いされて俺らのこと見下してただろ!」
「僻みだけでなく被害妄想までこじらせたのか。入って数日程度で随分と自意識過剰なことだ」


もはや覚えていないが、本入部後すぐ退部届を俺に渡してきた部員のうちの一人だったはず。顔と名前は知っていたがそれ以上の印象は特にない。新入部員にしてはそこそこできる方だったか。部を去った以上選手としての価値を残してはいなかったため退部した他の部員と共にすぐに忘れた。と同じクラスだったから部室で少し話題にした程度だ。


「クッソ…!ふざけんなよ!何でもてめえの思い通りになると思ったら大間違いだからな!……さんだっててめえなんかどうでもいいと思ってんだよ!」
「それをおまえに言われたところでどうとも思わないが」
「強がったって無駄だぜ?昨日俺が怪我の心配して一緒に帰ろって誘ったらすぐ頷いてくれたよ。知ってんだよ、おまえさんを部活終わるの待たせてまでして帰り送ってんだろ?昨日も約束してたんだろ?俺にあっさり取られてどんな気分だった?」


どうやら勢いを盛り返したらしい。ことごとく癇に障る物言いはこの男の本分なのだろうか。を階段から突き落としたことに対する罪の意識など微塵もなさそうで余計に腹が立つ。


「まあさんと一緒に帰っても全然楽しくなかったけどな。でもおまえががっかりしてると思ったら面白くて何度も笑っちゃいそうになったぜ!ははは!」
「……」
「あ、それともせいせいしちゃった?ぶっちゃけお守すんの面倒って思ってたりすんの?」
「……」
「んなわけねーか?さん、おまえに従順らしいじゃん。崇拝してんだって?だからあの子の信用奪ってやったらおまえもちょっとは堪えるかもって軽いノリでやったけど、案外おまえの方が重いの?マジで?全然親しくないくせに?」


ああまたこれだ。何度も聞いた愚かな人間の理論。俺とのことを知らない奴が適当なことをべらべら連ねる。勝手に言う分には一向に構わなかった。噂も好きにすればいい。ただ彼女に危害を加えなければ。


「おまえが彼女について知った口を利くな。俺のことも…目の敵にするのは勝手だが、あまり見くびるなよ」


何の関係があるというのか。俺への鬱憤のはけ口になぜが充てがわれる。どういう思考回路があればその考えに行き着く。俺とに何の関係が。


ああ、いや。

関係は、俺が求めているのか。


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