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呪い殺しそうな目っていうのを初めて見たかもしれない。概ね穏やかな物腰のそいつは強豪と名指されるうちのバスケ部の頂点に君臨してこそいるもののその態度は常に変わらず、いつも余裕を崩さないイメージがあった。のれんに腕押し、っていうのとはまた違うけど、何て言うか…。


とにかく、赤司のこんな怖い目は初めて見たのだ。


時刻は放課後開始から一時間が経過した午後五時二十分。定例の委員会が終わり廊下を歩いていると、通りかかった教室から話し声が聞こえてきた。もちろんそんなのは学校にいれば珍しくもないことで普段ならちっとも気にならない。んだけど、耳に入った声がうちの主将だったとなれば、俺の好奇心が一斉に騒ぎ出すのも無理はないだろう。
足音を消し黒板側の入り口に忍び寄る。しゃがみ込んで、開けっ放しのドアからそっと覗き込んだ。


「ここも消していいか?」
「うん、大丈夫」


どうやら彼率いる生徒会の定例が終わったあとのようだ。その教室にいるのは赤司と女子生徒だけで、黒板に書かれた議題やら何やらを書記(と思われる)の女子がノートに書き写してる、んだろう。たぶん。ここからじゃ黒板に向いてる赤司しか見えないので女子が誰なのかはわからない。
そこでふと気付く。生徒会は生徒会だけの部屋があるはずだ。四階の一番端っこにあるその部屋に赤司が入っていくのを何度か見かけたことがあるし、友だちが生徒会に所属してたときには面白半分で乗り込んだこともある。あの部屋はそこそこの広さがあったしホワイトボードもある。定例でも何でも、話し合いの場としては申し分ないはずだ。なのにどうして、わざわざ一年の教室なんかで会議をしてるんだ?


(…あ、そうだ保健…じゃなくて、美化だっけ?)


生徒会はときどき他の委員会と合同で定例を行うって話を聞いたことがある。こないだは保健、レオ姉のとことやったって言ってた。今回もそんな感じなんだろう。とにかく、知らない奴ならダメかな。本当はいきなり声かけて驚かせようと思ったんだけど。好奇心はすでに萎え、がっかりした俺はもう隠れる意味もないかと立ち上がろうとした。

と、後ろの方で小さな足音が聞こえた。

しゃがんだ状態で振り返る。離れたところにいたのは、赤司の幼なじみのだった。
廊下の端でしゃがみこむどう見ても不審者な俺に目を丸くしていた彼女を、とっさに手招きして呼び寄せる。そうそう、赤司の声が聞こえた瞬間、一緒にいるのはなんじゃと思ったんだよなー。でもよく考えたら学校でこの二人が一緒にいるとこってあんまり見たことないかも。部活中は赤司のこと待ってるが体育館脇の出入り口にいるからそういうイメージついてたけど、実際四六時中べったりってわけでもなさそうだ。それがお互いにとってどうなのかは、よくわかんないけど。
困惑した様子で、しかし律儀に忍び足でこちらに歩み寄り、後ろで同じようにしゃがみ込んだ彼女によしと頷く。……まだ知り合って半年近くしか経ってないけど、俺的に赤司ももすきな奴らだから、二人が仲良くしてるのを見るのも結構すきだなと思ってる。赤司がここに来たのはスカウトされたからだけど、は赤司を追いかけて受験したみたいなことはレオ姉から聞いたことがある。すげーよなあ。素直に感心するし、のそういうとこも嫌いじゃなかった。
とにかくが来たことでまた好奇心はぶり返す。俺だけじゃ微妙だったけどと一緒におどかしたら、赤司びっくりすんじゃね?内心ニヤニヤしながら再び教室へ顔を向ける。

しかし俺はこの判断を、すぐに後悔することになる。


「征十郎くん」


ギョッとした。普通の声量で赤司の名前が呼ばれた。が呼んだ?こんなとこから?

でもそれは恐ろしいことに、俺の勘違いだった。反射的に振り返ると、目を見開いたは、誰も見えないだろう教室の入り口を凝視していた。そう、赤司を名前で呼んだのは教室にいる女子生徒だったのだ。一瞬にして空気が凍りついたのが俺でもわかった。


「…って呼んでいい?あの…何だっけ、さん?が呼んでるの聞いて、いいなって思ってたの」


随分堂々とした女の子らしい。本当に書記か?いっそ会長の座狙いの副会長なんじゃねーの。とか場違いなことを考えた俺はそれなりに動揺してたんだろう。どうするべきかわからず、数分前の好奇心に満ちた自分を呪いたくなった。そんなのもあとの祭りだ。ここから見える赤司は黒板に向けていた顔を書記の方へ向ける。彼にしてはわかりやすく、笑顔が貼り付けられていた。


「彼女以外に呼ばれるのは落ち着かないからよしてくれないか」
「慣れてけばいいじゃん。べつにあの子の特権じゃないし。ただの幼なじみなんでしょ?」
「……」


あ、もう全部書き終わったよ。そう言った書記の声に黒板に向き直る赤司。けど、ここからだとそいつの横顔が見える。後ろ姿はなんでもないように板書を消してるように見えるけれど、それはもう視界にも入れたくないと言ってるようだった。普段喜怒哀楽をなかなか表に出さない赤司だから、伏せられた赤い目も激しく何かを訴えることはなく、淡々と、嫌悪の感情を消化してるようだった。うわあ、めっちゃ怖え。その様は本当に呪い殺しそうで、書記の女の子に同情するべきかと一瞬思うくらいだった。
でも残念ながら赤司のことを思うととてもじゃないけどそんな気にはなれなくて、俺はとにかくこの場から静かに退散するべく頭を使うことに決めた。もともと俺はここにいるべきじゃなかったし、何よりに聞かせたくない話だ。
そうだ、。ハッとして後ろを向く。


「…誰だ?」


の顔を見て、教室から赤司の低い声が聞こえて、俺はとっさに彼女を抱えて逃げるという技に出た。突然の行動には声も出なかったらしく、おとなしく抱えられた彼女と共に、隣のクラスの前にある男子トイレに駆け込んだのだった。女の子といえど人一人の重さはそれなりにあるので、男子トイレに入ってすぐに降ろした。トイレっていってもその手前の手洗い場だ。けれどはびっくりしたようで慌てて顔を俯かせた。


「ごめん、大丈夫?」


廊下に人の気配はない。赤司は追いかけてこなかったみたいだ。外にいたのが俺とだったって気付いてないのか、気付いてたら放っとくとは思えないんだけど。どうであれ、今のを会わせたくなかったのでラッキーだ。

振り向いた先、の、明らかにショックを受けた顔。それだけで俺の罪悪感はマックスで、あの場から離れることしか考えられなかった。かわいそうだ。聞かなくてもわかるよ、は赤司が他の奴に名前で呼ばれたことにショックを受けた。そんで、ただの幼なじみだって言われて、赤司は否定しなかった。


「大丈夫です…」


泣きそうなくらい眉をハの字に下げて、むりやり笑顔を作るの頭をなでてやる。その表情は痛々しいと思わせる。よく知らない俺でもわかるよ、は赤司の「特別な」幼なじみでありたいんだ。


「…、赤司は多分、」
「大丈夫です、ちゃんとわかってるんです。なのにごめんなさい…」


がスカートをぎゅっと握りしめてこらえる。これ以上しゃべらせたら泣いちゃいそうな気がして、それは俺も嫌だったからうんうんと頷いて何も言わなかった。は多分、俺だけじゃなくて赤司にも謝ってるんだろうなあ。悪いことしたと思ってるよ。だから俺も「ごめんね」。はやっぱり首を振ったけれど。

俺があの場にいなかったらがおまえのあんな言葉聞くこともなかったのかもしれないけど、耳に届かなくても否定してやんなかったんだろ。おまえだけを悪者にするつもりはないけどさ、さすがに今回は腹立つよ。


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