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教材を運ぶのに運動部員が駆り出されるのはよくあることだった。今回はバスケ部に白羽の矢が立ち、めんどくさく思いながらも大人しく資料室へ向かう。同じクラスのバスケ部員は先に行ってるんだろうか。昼休みが終わるまでに運んでおけばいいと言われたので特に時間は示し合わせなかったから、まだあいつらは体育館でのん気にバスケをしてるのかもしれない。誰もいなかったら俺が全部運ぶ…のはさすがに一回じゃ無理だ。めんどくさいしやっぱり他の奴らを待ってよう、と到着した部屋の前で立ち止まった。

目の前の資料室を見て思い出すのは一人の女の子だった。確かあのときの俺はただそこを通りすがっただけで、中学のときのここから出てきた彼女を見かけたから当然のように声を掛けたのだ。バスケ部に入部した頃から最早習慣で、例えばチームメイトに会えば挨拶をするのと同じようなものだった。ただ、当時はもう引退してたし、現役時代毎日のように顔を合わせていたのに比べれば彼女に会う機会はめっきり減ってたのだけど。


、お久しぶりっス」
「あ、黄瀬くん。お久しぶり」


彼女、は俺たちの代のバスケ部主将だった赤司征十郎の幼なじみだ。マネージャーでもない彼女と毎日のように顔を合わせてたのはそのせいである。資料室から出てきたは分厚い本を抱えていて、シンプルなデザインの表紙は当時の時期と合わせて考えれば彼女の受験に関係する物だろうことは一目でわかった。いわゆる推薦組の俺には縁がなかったので、過去問題集が資料室に置いてあることはこのとき初めて知った。「それ、過去問っスよね。どこ受けるんスか?」そして彼女がどこを狙ってるかなんて一度も考えたことがなかった俺は、ここで初めて気になって聞いてみたのだった。


「ん?洛山」


「……へ、」その高校はつい最近、もっと言えば昨日耳にした名前だった。そして遠い、関東地方とかいうレベルじゃないくらいに遠いその校名が彼女の口から出たことに素で驚いた。


「え、、洛山て、京都っスよね?」
「うん。それに先生に聞いたら偏差値も結構高いらしい。頑張らないと」


俺の頭にははてなマークしかなかった。修学旅行の代名詞であるくらいには気軽に行けない場所をがわざわざ志望する意味がわからない。何かそこでしか出来ないことがあるのか…?
………と、俺はここである一つの可能性に思い至った。と同時に、もしそうだとしたら、と彼女に懐疑的な目を向けてしまう。


「…どうして洛山に行きたいんスか?」
「征十郎くんが行くって言ってたから」


オーマイゴッド。俺の予想はドンピシャだった。わずかのためらいもなく言ってしまえるに俺は何度目かの距離を感じた。至って朗らかに笑う彼女は間違いなく本気なのだろう。この真っ直ぐさは、の存在を認識したときから変わっていなかった。
赤司っちは洛山に推薦入学が決定した。俺がそれを聞いたのはつい昨日のことだった。ちなみに、と聞いてみると彼女も彼から昨日聞いたとのこと。赤司っちに洛山に来いと言われたんだろうけど、それにしたって昨日の今日で県をいくつも跨いだ場所に志望校を決めるなんて普通じゃ考えられない。その決断力と行動力は彼女を助ける長所になると思うけど、条件があまりに限定されすぎてるから発揮出来るのは限られた場面でだけだろう。はほとんどのことに対してあまりに消極的な女の子だった。


「それじゃあ」
「あ、うん。またね」


手を振り階段を上がって行く後ろ姿を眺めながら、やっぱり彼女を認めてしまいそうだなあと苦笑いを浮かべた。認めること自体は悪くはないけれど、いかんせんこんなことで認めるのはむしろ彼女に失礼だと思うので未だに彼女の呼び方は意図して変えてないのだ。


(赤司っちへの従順さを、)


バスケ部に入った頃から明らかだったそれには、彼にしごかれるたび恨めしく思ったものだ。赤司っちを天狗にしてるのは何でも言うことを聞くのせいだと。彼女は彼に対して生粋のイエスマンだった(は女の子だから、イエスウーマンと言うべきなのかもしれない)。しかし主従関係というわけじゃなさそうだと思うようになったのはすぐで、それから二人の不思議な関係を探ってみたり自分なりに考えてみりしたけれど可能性はいくつにも枝分かれして、卒業まで行っても結局答えはまとまらなかった。


「…元気にしてるかなあ、二人とも」


彼らの様子を見れなくなった今となっては出来ることは何もなく、遠い京都の地へ思いを馳せながらぼんやり天井を見上げるだけだった。


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