18


すうっと浮き上がるように目が覚めた。木目の天井が視界いっぱいに映る。さっきよりも気分はすっきりしたみたいで、起き上がってみても頭痛や身体のだるさは随分なくなっていた。どのくらい寝たんだろう。無意識に渇いた唇を舐める。冬はまだまだ遠いのに乾燥しているこれは身体の調子が悪い証拠なんだろうなあ。リップクリームは確か、ポーチの中に入れてあった気がする。辺りを見回しスクールバッグがイスの上に置いてあるのを見つけ、それを取ろうとゆっくり身体を動かした。
征十郎くんは、さすがに帰ってしまっただろう。壁掛け時計は彼がお見舞いに来てくれたときから一時間経った時刻を指していた。明日の練習試合も朝早いだろうし、征十郎くんがここに長居する理由もない。たくさん話せなくてもせめて見送りたかったなあ、と息を吐く。するとわずかに空腹感を覚え、視界に入るお腹を撫でた。無意識のうちにベッドに腰掛けた状態で動きが止まっていたのだ。そうだ、リップクリーム。目的を思い出しパッと顔を上げたのと、部屋の外からノックが聞こえたのはほとんど同時だった。「はい」返事を返すとすぐにドアノブが下がりドアが開く。お盆を両手で持ちながら器用に開けたのは、なんと帰ってしまったと思っていた征十郎くんだった。征十郎くんは驚くわたしと目が合うと、小さく笑った。


「顔色、よくなったね」
「…帰らないでくれたんだあ…」
「何も言わずに帰ったりしないよ。一時間くらいしか眠ってないけど大丈夫かい?食べれそう?」
「うん、お腹すいた」
「ならよかった。僕も一緒にご馳走になるよ」
「うん!」


お盆を勉強机の上に置き、小鍋から雑炊をよそってくれる征十郎くんに甘えて手を膝に揃えて待つ。はい、と手渡されたそれをお礼を言って受け取った。そして彼がイスに座ろうとしたのを視線で察知し、「あ、ごめん、カバン」先ほど取ろうと思っていたそれが置いてあることに気付き声を掛けた。今日ふらふらで帰って適当に置いたままだったのだ。邪魔になってしまってる。そもそもリップクリームの目的がまだ達成されてないことも思い出した。


「ああ、床に置かせてもらうよ」
「待って、……あ、ううん、やっぱりいいや」
「?」
「リップクリーム塗りたかったんだけど、でも今からご飯だし、いらないね」


伸ばしかけた手を下げそう答える。と、征十郎くんの動きが一瞬止まった。あれ、と違和感を覚えた次の瞬間にはしかし普段通りの彼で、にこりと笑ってそうだねと返しスクールバッグを床に置いたので追及はしなかった。どこか不自然だった気がしたけれど、きっと気のせいだろう。視線を落とした雑炊からはほかほかと湯気が立ち昇っていて、具に鶏肉と卵が入っていてとてもおいしそうだった。

イスに座った征十郎くんはこちらに向きを変え、二人で向かい合ってご飯を食べた。夏休みが明けてからまた一緒に帰れる日が続いていたけれど、元々お互いの家は高校からそんなに遠くないので共有する時間は多いとは言えなかった。だからこうして征十郎くんがわざわざ家に来てくれるのがとても嬉しいのだ。風邪も悪くないなあ、なんて思うのは駄目だろうか。
全部食べ終わりゆっくりしていると、征十郎くんは壁掛け時計を一瞥してから「そろそろ帰るよ」と腰を上げた。見るとすっかり遅い時間になっていたのだ。


「うん、今日はありがとう」
「どういたしまして」
「明日試合頑張ってね!」
「ああ。は早く寝るんだよ」
「うん!」


お見送りに玄関まで行こうと立ち上がると止められてしまったけれど、エナメルバッグを肩に掛け部屋を出て行く征十郎くんは最後に振り返り手を振った。それを見て、心臓がじんわりと暖かくなるのを感じる。ドアが閉まり、微かな足音が遠ざかっていくのをぼんやり聞いていた。……まだ弱ってるからだろうか。目が潤んでしまうなあ。
寂しいからじゃない。嬉しかったからだ。しみじみ思うよ。病気にかかるたび征十郎くんが来てくれるなんて、わたしはぜいたく者だなあ。


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