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「中学に入ったら、今までのように気に掛けてあげられないかもしれない」


卒業式の帰り道、そう零した征十郎くんはいつも通りまっすぐ前を向いて歩いていたけれど、どこか悲しそうな雰囲気を滲ませていた。彼の言葉はきっとそのままの意味で、今日までの生活で征十郎くんは間違いなくいつもわたしを気に掛けてくれていたし、何度も助けてくれた、それが来年からはできなくなるということだろう。悲しそうに、むしろ歯痒ささえはらませながら零す征十郎くんを見て、何かがわっとお腹からせり上がってくるのを感じた。

充分だよ征十郎くん。征十郎くんが思ってる通り、わたしは今までいつも征十郎くんが助けてくれるって頼り切ってしまってたけれど、そんなのただのわがままであって、出来なくなるからといって君が気に病むことじゃないのだ。こんな奴なんかに心を砕く必要はない。
それに、この先も征十郎くんと一緒にいられるというだけでわたし、中学生活が楽しみで仕方ないんだよ。だからそんな顔しないで。


「うん、大丈夫だよ。ありがとう征十郎くん」


結局そんなことしか言えない。この感情はどうしたら伝わるんだろうか。手に持ってる卒業祝いの花束を差し出せば少しは伝わるのかな。わたしが言いたいのはお祝いのおめでとうじゃなくて、ありがとうという気持ちと気にしないでいいよという言葉だから、全然駄目かもしれない。征十郎くんは昔から花がよく似合う人だったから、きっとこの桃色の花束もとっても似合うだろう。感謝の気持ちを込めて渡してもいいけれど、わたしの目に征十郎くんがより綺麗に映るだけで彼には何も与えられないから結局自分が得するだけだと思った。彼のそれは貰ったあとすぐに手提げの紙袋にしまったらしい。

式中に歌って頭に残っていた歌がまた流れ出す。曲名とは違う日に卒業したわたしは何も持っていなくて、未来の想像もまるで出来ないけれど、不安は少しも感じていなかった。自分のことは自分で何とかできる。大丈夫、もうわたしは中学生になるのだ。
小学校を卒業したその日、征十郎くんに迷惑はかけないと心の中で決心し、やはり表情の晴れない彼を支えたいと思ったのだった。





だから灰崎くんのことで征十郎くんに釘を刺されたときだって、彼が何かしてくるというのなら自分で解決してみせようと思った。ただ、何をしてくるのか彼の発言をふまえてもまったく想像がつかなかったので、征十郎くんの言う通り力にモノを言わせてきたらどうしようと震えていた。
そして翌日の放課後、昨日と同じようにわたしの前に現れた灰崎くんを目にした瞬間思わず両手の拳を構えファイティングポーズを取ったけれど、しかし彼の第一声は突拍子もないものだった。


、一緒に帰ろーぜ」
「………へ?」


思わず目を丸くしてしまった。あまりに予想外すぎて頭が回らず、代わりに首を限界まで傾げた。一緒に帰る?どうして突然そんなことを言うんだろうか。にやにやと笑みを浮かべる灰崎くんの意図が掴めない。


「え、と…何言って、」
「早く帰ろーぜ。めんどくさい奴に見つかる前に」
「え、待って、…は、灰崎くん、部活あるよね」
「サボんに決まってんだろ」
「駄目だよそれは…」


昨日と同じ会話を繰り広げると灰崎くんは途端に顔をうんざりさせ、はあ、と面倒くさそうに溜め息をついた。「やっぱ何もタイプじゃねーわ」「え?」よく聞こえなかったので聞き返したけれど同じことは言ってくれなかったようだ。顔を上げた灰崎くんを見上げると目が合い、その隙にまた手首を掴まれた。力にモノを言わせるタイプ。征十郎くんの言葉が脳裏によぎって身体が強張った。


「俺のことすきなんだけど」


「、!」今度は言われた意味を瞬時に理解し、突然の告白に顔が一気に赤くなった。「えっ、え」そんなことを言われたのは生まれて初めてでどう対応していいのかわからない。どうしよう。挙動不審に陥っていると「…ぶっは!!」灰崎くんの真剣な表情が一気に破顔した。


「おまえこういうの言われ慣れてねーな?冗談に決まってんだろ!」
「…え、あっ」
「ぶはははは!騙されてやんの!おまえみたいな面倒な奴のお守しなくちゃなんねえ赤司も大変だなァ?俺ならぜってえ御免だわ」
「!」


その台詞は、からかわれたということよりも攻撃的だった。刃物が突き刺さったように身体が動かなくなる。……言われたくなかった。あんまりに図星だったので、言われたくなかったのだ。


「赤司のって聞いてたから奪ってやろうと思ったけど、やっぱいらねーわ。じゃーな」


去り際の灰崎くんの台詞はもう耳に入ってこない。不快な心拍音が全身に響いて、うずくまってしまいそうだった。

お守というのも噂の一つなのだろうか。でもそれは誤解じゃない。表現こそ違えど同じようなことを、わたしは征十郎くんにさせている。迷惑はかけまいとしたって結局は彼に心配させてる、救いようもない、征十郎くんの負担なのだ。
苦しい。深呼吸をしても動悸は治まらない。スカートをくしゃりと握りしめて耐える。目を逸らしていた事実を突き付けられ、それでもわたしが足を踏み出すのは征十郎くんへ向けてでしかなかった。誰に何を言われたって、自分がどんなに悪くたって、征十郎くんから離れたくない。

体育館横の出入り口に着いても本を読む気にはなれなかった。セメントでできた階段に座り膝に顔をうずめる。心臓が痛い。
体育館の中から響いてくる部活動の音が遠くに聞こえる。水面下にいるような感覚だ。今ならどこまででも潜ってしまえる気がした。





けれど、途端に、その声だけが鮮明に耳に届いた。征十郎くんの声だ。暖かい音が身体中に染み渡り、引き上げられるように顔を上げた。余程情けない顔をしていたらしく、想像通りそこにいた征十郎くんはわずかに目を見開きすぐさまわたしの隣に来てくれた。


「どうした、何かされたのか」
「……ううん」


優しい征十郎くんの迷惑になりたくなくて、首を振った。そうするとどうしてだか泣きそうになったから、堪えるために唇を噛んだ。今更そんな強がりなんて君はお見通しなんだろうけど、騙されてくれないかなあ。わたし、これ以上征十郎くんの負担になりたくないよ。思うほどに目が熱くなる。「何でもないよ」重ねてそう言うと、ぎゅっと、肩に置かれた手に力が込められた。


「俺に嘘はつくな」


ハッとする。征十郎くんが苦しそうに表情を歪めていたのだ。わたしは途端にうろたえる。違う、そんな顔してほしくて言ったんじゃない。力なくまた首を振り、ごめんなさい、と零した。馬鹿なわたしは可哀想な自分のために泣きそうになるのだ。なんて奴だ。

本当は負担になってでも離れたくない。でもいらないって言われたら終わりだから、そうならないようにしないとと思うのだ。誰でもなく、征十郎くんにいらないって言われたら、本当に終わりだから。
ふっと彼の手の力が抜け、労わるように背中を撫でた。表情もさっきよりうんと柔らかくなっていた。


「謝らなくていいんだ。俺に迷惑かけないようにって思ってるのはわかってるから」
「…ごめ、ん」
「言っただろう、そんなこと思わなくていいって。俺にとってそれは迷惑なんかじゃないよ」


もう泣いてしまいそうだった。征十郎くんは欲しい言葉を惜し気なく与えてくれる。心の黒い塊を簡単に溶かしてくれる。それにいつも救われてるから、わたしも何か返したいと思う。そばにいたいという、わたしのわがままを受け止めてくれる優しい君に。ずっと考えてるのだ。

わたし、征十郎くんのために何ができるのかなあ。


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