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「灰崎、遅刻だぞ」
「へーへー。ちょっとおしゃべりしてたもんでねえ」


毎回のように部活に遅れてくる灰崎を今日も例に漏れず咎める。悪びれた様子も見せず適当な返事をして準備運動を始めたそいつに溜め息をつき、ミニゲームの様子へと視線を戻した。自分の番はこの次となっている。灰崎はおそらくさらにその次から入らされるだろう。回転は速いがアップの時間は十分にとれる。限られた時間で効率良く練習するためには普通のことだった。


「あ、そうだ。なあ赤司」
「なんだ」


柔軟をしながら声を掛けてきたそいつに少なからず違和感を覚える。灰崎が話し掛けてくるとは珍しい。横目でその姿を捉えると、奴はあぐらを掻いた体勢でにやりと笑みを浮かべていた。


「おまえの幼なじみの名前、なに?」


思わず目を見開いた。なぜおまえの口からの話が出てくるんだ。「おまえ、彼女に何をした」まさか、話をしていたというのは、とという意味だったのか。にやにや笑うその表情に悪い予感が走る。


「何もしてねえよ。まだ」
「灰崎、」
「教えてくんねえなら他の奴に聞くからいいけど?」


そう言うと灰崎は柔軟もそこそこに立ち上がり、だるそうに両手を頭の後ろで組みながら離れて行った。柄にもなく動揺している心臓を落ち着かせようと胸に手を当てる。鼓動がいつもより速い。思わず顔をしかめた。
灰崎は入部当初から悪い噂の絶えない奴だった。揉め事を起こすのはしょっちゅうで、暴力沙汰もなかったとは言えない。その灰崎が、に目を付けた。と奴が関わるようなことは何もないはず。クラスも委員会も被っていない。じゃあなぜ。ミニゲームの観戦も余所にしばらく思考を巡らせていると突然ブザーが鳴り我に返る。ゲーム終了の合図だ。一軍の選手同士、コート内と外で素早く入れ替わりが行われる。……集中を欠いてはろくな結果は出せない。一度灰崎の件は置いて、今はミニゲームに集中しよう。そう結論付け、足を踏み出した。
コートに入る間際、体育館脇の出入り口に目をやる。はちゃんとそこにいるのだろうか。





前半のメニューが終わり、全体が一度休憩の時間となった。スポーツタオルで汗をぬぐいながら、一軍のメンバーが散り散りになっていく中体育館を出て行った灰崎を確認したのち、脇の出入り口へ向かった。
外を覗くとセメントでできた階段にはいつものように座って本を読んでいるがいて、人知れず安堵した。



「あ、征十郎くん。お疲れさま」
「ありがとう」


隣に腰かけ彼女の様子を窺う。怪我は見当たらない。特に変わった様子も見受けられなく、とりあえず安心した。
しかし今日の放課後、灰崎がと関わりを持ち尚且つ興味を抱いたのは間違いないだろう。そして、それは自分の中で放っておけることではなかった。一度落とした視線を上げ彼女を見ると、向こうはずっと俺を見ていたらしく目が合った。


「灰崎に何を言われた?」


唐突だったがはすぐに合点がいったようで、ああ、と背筋を伸ばしたあとパタンと本を閉じ前を向いた。その横顔をじっと見つめる。


「ええとね……征十郎くんに飼い慣らされてる、とか」
「……」
「あと、サボろうとしてたから駄目だよって言ったら人のもんは欲しくなるって、あと、わたしのことだと思うんだけど、タイプじゃないって言われた。……へへ、意味わからないね灰崎くん」
「…そうか」


が浴びせられた灰崎の言葉に一瞬硬直する。しかし何事もなかったかのように、どこか無理をして笑っているように見えるを安心させようと手を伸ばし髪に触れた。


「怖くなかったか?」
「…ちょっと」


そう言って肩をすくめる。相手はあの灰崎だ、友好的なコミュニケーションを図りにきたとしても、非力な彼女が身構えてしまうのも無理はない。


「今度何かあったらすぐ俺に言うんだよ。彼は力にモノを言わせるタイプだから」
「うん、わかった。……ごめんね征十郎くん」
「ん?」
「卒業式の日に言われたとき、征十郎くんに迷惑かけないようにしようと思ったのに、結局駄目だったね」


悲しそうに笑う彼女に、卒業式後の帰り道を思い出した。あれをはそう受け止めたのだ。今になって、言うんじゃなかったと後悔した。


「そんなこと思わないでいいんだよ。俺もそんなつもりで言ったんじゃないから」
「うん…ありがとう征十郎くん」


最後にの笑った顔を見て、体育館に戻った。休憩時間はあと数分残っていた。
先ほど彼女から聞いた灰崎の言葉を反芻すると腹の底から苛立ちが湧き上がってくる。噂が出回っていることは知っていた。そういうことを言われるのは想定内で、むしろ彼女に目が向かなくて好都合とさえ思っていた。だが。

人のものは欲しくなる。間違いない、は俺のせいで灰崎に目を付けられた。その事実を突き付けられ、無意識に唇を噛み締める。また俺のせいで彼女が危険に晒されるかもしれない。苛立ちは自分に対するものだった。

させるか。いくら欲しがろうと、どんな手を使おうとも、は絶対にやらない。首に掛けたタオルを力強く握った。


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