※「急速上昇」と同じ設定ですが、読まなくても支障はないと思います。



「とっ、時枝くんきいてきいてっ…!!」

 登校早々、興奮した様子でおれの机に飛びついてきたに驚いた。

 は同じボーダー所属のクラスメイトだ。同じクラスになったのは今年が初めてで、ボーダーという共通点もありファーストコンタクトは早い方だった。

 という少女は、とにかく人見知りが激しい。
 始業式早々、一人で教室に入ってきた彼女の様子は今でも鮮明に思い出される。自分以外が全て敵だと思い込んでいるかのような緊張した猫背に、この世の終わりを感じ取ったような顔面蒼白。正直、親とはぐれた子どもより酷かったと思う。今思えば、友だちと同じクラスになれず孤立した絶望感からあんな様子になっていたのだと合点がつく。
 俺の席に来ていた奥寺がに声をかけると、ものすごい勢いで奥寺に飛びついてきた。いや、泣きついてきたという表現の方が正しいかもしれない。奥寺自身、同じアタッカーという共通点から声をかけただけであって、ここまでパーソナルスペースを共有するほどの仲ではなかったらしい。だからすごく驚いていたしあの様子は若干引いていた。

 結果的にこの出来事がきっかけで、始業式よりも関係性はよくなり、自然とおれもと関わることが増えていったのだ。

「おはよう。どうしたの?」
「あのねあのねっ…! あっ! おはよう!」

 朝に弱く、びびりなは朝からこんなにテンションが高いことはまず無い。目をらんらんと輝かせて、気持ちの昂りのおかげか顔色がいつもの朝より健康的だ。
 早く話したくてたまらない様子にもかかわらず、ちゃんとおれの声をしっかり拾って挨拶を返す。この子はびびりで人見知りだが、挨拶はしっかりする女の子なのだ。

「そういえば昨日のランク戦間に合った?」
「そうそれ! それなんだけど! ……う、宇井ちゃん! と、仲良くなれた…!」

 ふと、日直の仕事である日誌を必死に埋めるの後ろ姿を思い出した。
 昨日の今日で、のテンションを昂らせるものは昨日のランク戦しか思い当たらない。そう思ってクイズみたいな解答をしてみたが、半分正解・半分不正解だったようだ。
 宇井ちゃん。
 柿崎隊のオペレーターだということはすぐにわかったが、まさかから彼女の名前が出てくるとは思っていなくて驚いた。今日は朝から驚いてばかりだ。

「そう。よかったね」
「昨日ね、結局先生にあれから仕事押し付けられてランク戦もギリギリだったの! 席がなくてどうしよう〜〜ってなってたら……う、宇井ちゃんが話しかけてくれて、それで!」

 「へへへ」と嬉しそうに目を三日月にして笑うはまるで恋する乙女のようだ。久方ぶりに誰かを愛称で呼んだのか、慣れないなりに宇井を愛称で紡ぐその様子は初々しく、嬉しそうだ。

『せめて同級生の名前は覚えといた方がいいと思うよ』

 ふと、いつの日かに言った言葉を思い出した。
 おれや奥寺とは普通に話してくれるようになったが、他の同級生とはどうも打ち解けるのには時間がかかっていた。それはがいつもおれたちの元へ来ることも原因の1つだった。「友だち100人もいらない」という極論を言ってのけたはそれ故に特定の人物としか行動したがらない。彼女の言い分もわからなくはないが、おれも奥寺もいつも一緒にいられる訳ではない。

「ランク戦の後にね、宇井ちゃんと連絡先交換したの! わ、私こういうの久しぶりすぎて、な、なんかもう…!」
「うん」

 まだC級のだが、人から技を盗むことには意外と貪欲でランク戦も欠かさず観戦しに行っておりそろそろB級昇格も近い。の性格が障壁となってまだ昇格に至っていないが。
 B級になれば隊を組んでチーム戦は避けられないし防衛任務だってある。防衛任務では他の隊員と合同で任務をすることもあるしそれこそコミュニケーション力が求められる。別ににコミュニケーション力がないと言っている訳ではないが、如何せん初対面の相手に物怖じして上手く言葉を発せられないのだ。

「次は自分から話しかけられるといいね」
「う゛っ……がんばる」
「でもよかったね。これで一歩前進したんじゃない?」
「そ、そうかなあ? へへっ」

 厳しい言い方は避けて背中を押したつもりだが、も心当たりはあったようで気まずさから逃げるように目を逸らされた。と思えば次にはまた顔をニヤつかせた。
 こうして彼女の人間関係が広がっていくことはいいことだ。喜ばしいことなのに、喉に魚の骨がひっかかったようにもどかしい。

「そ、それでね。今日ね、宇井ちゃんと一緒にボーダーに行くことになったの。な、なにを話せばいいのかな…!?」
「うん」
「宇井ちゃんって、何がすきなのかな?」
「うん」
「宇井ちゃんオペレーターだし、何か戦術のアドバイスもらえたりするといいんだけど…」
「うん」
「…と、時枝くん、話きいてる…?」
「うん」
「ええ…」
「そういえば、アーサーととみおの写真増えたけど見る?」
「え!! 見たい見たい!!」

 素直に喜べない事実が気になって、の話がすんなり頭に入ってこない。問いに対する返事に納得がいかないようで、疑いのまなざしを向けてくる。それに対して弁解する気にもなれず、これ以上の話を聞きたくなくて無理やり話題を飼い猫に替えた。詫びることもしなければ話題を替えるにはあまりにも無理があったと自分でも感じるというのに、目の前の女の子は先ほどの不満は一体どこへやら。既に頭は猫に切り替えられているようだ。

(……、ああ)

 喉に魚の骨がひっかかった理由がわかった。多分、これで合っている。の話を聞きたくないんじゃなくて、から「宇井ちゃん」の話を聞きたくなかったのだ。

「はあ〜〜〜!! 相変わらず可愛いなあ…アーサーととみおのお腹に顔埋めたい」
、猫好きなのに猫アレルギーなの辛いね」
「それを言わないで時枝くん…」

 きっとこれから、彼女は「宇井ちゃん」以外の誰かの話をしてくるに違いない。その度にこんな気持ちを抱いては身が持ちそうにないなと、他人事のように考えた。
 まさか、老婆心から放った言葉がここにきて自分に牙を剥くとは。



ふいの目覚め(200607)
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