やってしまった。

日直の仕事が長引いてしまい、駆け込み乗車の如く会場にすべり込めたはいいものの、ほぼ座席が埋まりつつある状況だった。
いつもより人が多いのは、今日の実況がオペレーターは三上さん、正隊員は我らがボーダーの顔である嵐山さん、かつてA級1位部隊を率いた実力をもつ戦略眼に長けた東さんという豪華ラインナップだからだ。各々のファンが集約されたこの空間は最早椅子取りゲームと化していた。かく言う私もそのうちの一人である。

くそ!!あの時NOと言う勇気が私にあれば…!!
日誌を提出した後に、次回の授業で使うプリントのホッチキス止めを断れなかった数十分前の自分と職権乱用した担任をぶん殴りたい。

「あ、ああ〜〜〜…ど、どうしよう…」

独り言を言っていないと、心が押し潰されそうだった。幸い周りが騒がしいおかげで誰も私が独り言を言ってるなんて気づいていない。どこか…どこか空いているところはないのか。
迷子のようにふらふらと階段を降りながら周りを見回すが、今日に限っては普段空きがちな前席も埋まってしまっている。絶望の淵に追いやられかけている私の心境とは対照的に、椅子取りゲームの勝者たちはこれから始まるランク戦に気持ちを昂らせているのか賑やかだ。

人見知り故に、いつもは誰かにひっついてランク戦を観戦するか人がまばらな時間帯から席を確保するのが常だった。
だからこの状況はあまりにもきつい。空席を見つけた所で、「ここ空いてますか?」と聞かなければいけないのだ。私のように遅れてきた人が座れるように連れの人がその人の席を確保している場合があるからだ。たった一文を言葉にすることさえ嫌で、ランク戦の時は時間前行動をいつも以上に心掛けているというのに。
限られた数しか座席がないのだから譲り合いの精神あってこそだろうが、ボーダー隊員全員にそれが浸透しているとも思えない。もう席指定を導入してほしい。

『ランク戦開始、5分前です』と、三上さんが全体にアナウンスをする。ああああまずいまずいまずい!!でも今日のランク戦を諦めるという選択肢はないから、この状況を打破するしかない。

「ここ空いてるけど、座る?」
「………えっ!?」

周りのガヤと時間に迫られてすっかり視野が狭くなってしまい、自分が声を掛けられていることにすぐ気がつけなかった。
声を掛けてくれたのは……、やばい。名前がわからない。柿崎隊のオペレーターで同級生ということはわかるのに。

「ほらほら、もう始まっちゃうよ」
「あっ…え、えっと、しっ、失礼します!!」
「はいどうぞー」

自力で席を確保するか救いの女神の手をとるか、天秤は一瞬間が空いてから後者に傾いた。一人椅子取りゲームの如く私は彼女の隣に勢いよく身体を滑り込ませた。
救いの女神なのに、名前がわからない。なんて罰当たりなんだ私は。「せめて同級生の名前は覚えといた方がいいと思うよ」といつぞや私に忠告してくれた時枝くんの言葉が今になって鮮明に思い出される。あの時は適当に返事をして右から左に流しただけだったのに、点と点で無理やり繋げられた気分だ。

「B組のさん、だよね?」
「そっ!! そうです!!」
「こうして顔合わせるのは初めてだね。宇井です、よろしく」

宇井さん、か。絶対忘れない…!!
宇井さんのゆるい自己紹介のおかげで、身体の緊張が徐々に解されていく。自分から名前を聞くというミッションは、女神のアシストで難なくクリアしてしまった。このこと、時枝くんには口が裂けても言ったらダメだな。「自分から話しかけないと意味ないよ」と正論パンチ喰らう気しかしない。

「こ、こちらこそよろしく!! えっと、宇井、さん…?」
「同い年なんだからそんなかしこまらなくていいよ、別に」
「えっと、じゃあ、……宇井、ちゃん?」
「うん、じゃあちゃんねー」

まだランク戦開始してないのに一気に距離が縮まったの凄くないか?怒涛の展開過ぎて内心冷や汗をかきまくっている。
普段の私なら絶対『宇井さん』で留まっていたけど、そうならずに済んだのは宇井ちゃんの人柄のおかげだ。宇井ちゃんは人懐こい笑みで私の真似をするように愛称で返してくれた。

「あのあのっ、声、掛けてくれてありがとう…! 席が無くて困ってたから」
「どーいたしまして。今日はメンツがメンツだから激混みだしね」
「一生座れずに立ち見も覚悟してた……」
「それは絵ヅラ的に面白すぎ」

選択しようとしていた絶望の未来を口にしたら宇井ちゃんのツボにヒットしたのか可笑しそうに笑い始めた。

「それ、多分三上先輩に座るように注意されて公開処刑になるって」
「!!」
「あはは! ちゃん面白いって言われない? お腹イタイわ〜」
「え、だ、大丈夫…!?」
「うんうん。ちゃんは天然なんだね」
「え…、えぇっ…?」

面白いとか天然とか今まで言われたことないワードが出てきて、どうして宇井ちゃんがそんなことを言ったのかが気になった。「どういう意味?」と口を開こうとしたが、それはランク戦開始のアナウンスにより叶わなかった。

ランク戦が終わったら、頑張って聞いてみようと思う。せっかく宇井ちゃんと良い感じになれたからこの出会いを今回限りで終わらせたくないなと思った。
久しぶりに交友関係が広がったことが嬉しさを自分の中に収めきれず後日私は時枝くんに話してしまった。案の定正論パンチを喰らってHPを削られるのであった。


(200410)title by:くつひも
※宇井ちゃんの三上先輩呼びは非公式です