校外学習の班は、とりあえず死ぬ思いで女の子に声をかけて入ってもらった。その子も四人目の男の子ものんびりした子だったからか、わたしたちのグループに混ざっても特に居心地を悪くしたりせず、それなりにチームワークよく行動できたと思う。楽しかった。勝己くんのカリスマ的リーダーシップも遺憾なく発揮され、わたしは名ばかりの副リーダーとして勝己くんの後ろをついていった。学校の外でも、いつも通りの光景だった。



「ねえちゃん」


 声をかけられ我に返る。今は体育の授業中で、サッカーの試合を観戦していた。クラスを三チームに分け、勝ち残り方式で試合をしている。第一試合はAチームとBチームなので、Cチームのわたしはフィールドに見立てた白い枠線の外で体育座りをしていた。
「な、なに?」声をかけたのは校外学習で同じ班だった女の子だ。彼女は社交的でもあったから、あれ以来、少しだけだけどお話するようになった。隣で体育座りをするこげ茶色の髪の子はほんわかと笑顔を浮かべながら、こてんと首を傾げる。


ちゃんて、爆豪くんのことすきなの?」


 どきっとする。それに答える前に、わたしは何かにつられるように試合中のそこへ目を向けた。勝己くんが目の前を横切る。「よこせ!」ゴール前でボールを受け取り、間髪入れずにシュート。キーパーの反射神経では追いつかず、ボールは鋭い放物線を描き華麗にネットを揺らした。ホイッスルが響く。


「カツキすげー!」
「ハットトリックじゃん!」


 Aチームの面々から賞賛を受け、男の子と片手でハイタッチしていく勝己くん。すごい!さすが勝己くん!わたしも思わず激励の拍手を送る。かっこいいなあ、さっきも相手チームをすいすいかわして一人で決めていたし、勝己くん百人力だよ。次わたしたち勝己くんのチームとやるんだよね、わーわたし何にもできなさそう。
 にこにこしながら手を叩いていると、視線に気付いた。……。おそるおそる、隣に顔を向ける。そうだ、質問されてたんだった。


「やっぱりすきなんだー」
「う、うん」


 隠すことでもないから頷く。するとじわじわと身体が熱くなってくるものだから不思議だ。九月のまだ暑い気候のせいもあるのかも。拍手を切り上げ、今度は両手でぱたぱたと扇ぐ。ああコイバナなんてとっても久しぶりにしたよ。


「そっかー結構人気あるよねー」
「え?」
「去年爆豪くんすきって言ってた子いたよ」


 今度は背筋がスッと冷える。一気に顔も青くなったんじゃないか。
 怖くて、どんな子?とは聞けなかった。勝己くんが誰かに取られてしまう危機感は、五月からあった。「しっかりしてるに越したことねえだろ」あれをきっかけに、どうにかしっかりした子になろうと改造計画を掲げたけれど、成長している実感はあんまり感じられていない。勝己くんたち以外の友達はほんの少しできたものの、これだけで勝己くんから見てしっかりした子になったとはちっとも思えなかった。それに相変わらず何かあれば勝己くんに頼る日々だし、休み時間も登下校も一緒にいるのは勝己くんだ。これで一体何が変わったというのか。甚だ疑問だ。

 立てた膝に腕を置き、ジャージのそでを握りしめる。九月にもなれば勝己くんはクラスで確固たる地位を築けている。反対にわたしは、ふわふわと宙ぶらりんな透明人間みたいだった。





 体育が終わるとお昼休みだ。着替えてから食堂に行くから、水曜はいつもより自由時間が短くなってしまう。かといって元気な男の子たちみたいに、散々サッカーで走り回ったあと更に教室までダッシュする元気はないので、わたしはとぼとぼと一人で昇降口へ歩いていた。
 校庭から戻る途中、男友達二人の怪しげな行動を目撃した。彼らは昇降口へ直進するところを右に逸れ、体育館脇の日陰へと姿をくらませたのだ。何しに行くんだろう、と純粋に疑問に思いつつ直進する足。三歩進んだところで、彼らへ方向転換した。何をしているのか気になったというより、勝己くんがいるんじゃないかと思ったのだ。号令のあとも勝己くんは快勝したAチームのクラスメイトに持て囃されていたので、その輪に入れなかった部外者のわたしはおとなしく一人で戻ることにした。確かあの二人もAチームだった。気付かなかっただけで、勝己くんも一緒にいたのかもしれない。
 追いかけて体育館の陰になっている場所へ向かうも、人影はどう見ても二人しかおらず、勝己くんの姿はなかった。なんだ、と思う前に濃灰色の髪の男の子がわたしに気付く。「あ」丸く開けた口のそばでは、何かがちらちらと光っていた。そして独特の灰の匂い。思わず口を覆う。


「な、何してるの…?」


 ほんとは聞かなくてもわかっていた。二人の口元で光るそれが何なのかくらい。けれど信じ難くて、口から出てきたのはそんなマヌケな質問だった。黒髪の男の子はちょっとまずったと言わんばかりに苦笑いしたあと、白くて細い円筒を指で挟んだあと、反対の手に持っていた四角い箱を差し出した。


も吸う?」


 ――タバコだ。白い箱を包むフィルムの光沢がわずかにキラリと反射している。わたしはよっぽど後悔した。彼らがこんなことをしているなんて思ってもみなかったし、一人のときに気付きたくなかった。どうしよう、中学生がやっていいことじゃない。先生にバレたらどうするつもりなんだ。座り込んでいた子がわざわざ立ち上がって、わたしの前に立ちはだかる。その表情に、悪意はない。善意もなかったけれど。身体の横で拳を握りしめる。


「わたし、吸わ――」

「コラてめェら!!」
「げっ」


 背後からの怒声にバッと振り向く。勝己くんだ。体操服とジャージ姿のまま、くわっと目を吊り上げている。その剣幕は半端じゃなく、ズンズンと歩み寄る彼の威圧感に三人とも思わず後ずさりしてしまったほどだ。


「二年ンなってからコソコソしてっと思ったら…」
「やべー…」
「か、カツキも吸う?」
「ざけんな!!」


 おそるおそる差し出されたケースをすごい勢いで払い落とす。相当怒ってる。アスファルトの地面に散らばった未使用のタバコに目を落として、それから彼らを見遣る。どうしようと慌てるわたしなんて視界に入っていないらしく、勝己くんはタバコを急いで踏み潰した男の子の胸ぐらを掴んだ。


「てめェらがつるんでる俺まで飛び火すんだろふざけんなよ…?!」
「わ、ワリーって」


 そうだ、確かに勝己くんまで喫煙したと思われたら堪ったもんじゃない。それにしてもものすごい剣幕に、喧嘩が始まるんじゃないかとおろおろしてしまう。ど、どうしよう、ほんとにどうしよう。こんなときも助けを求める人は一人しかおらず、わたしは渦中の人物である勝己くんに手を伸ばしかけていた。
 と、彼は男の子の胸ぐらを突き飛ばす勢いで離すと、今度はわたしの首裏に手を回し、ジャージと体操服の襟ごと引っ張った。ぐえっと思わず呻き声が漏れる。勢いに任せて勝己くんの後ろによろけた。


まで巻き込んでんじゃねェよクソが」


「かつきくん……!」庇ってくれた。助けてくれたのだ。嬉しくてじわっと涙がにじむ。へいへいと仕方のなさそうに返事をする彼らに勝己くんは「ここ全部片付けとけよ!!」と言い残し、日陰から出て行く。わたしの腕を引いて。
 わたしがタバコを吸うわけがない。だってそれは勝己くんの意思に反することだ。勝己くんは高校進学のため、内申に悪影響なことは絶対にしない。どこに行くのかはまだ聞けていないけれど、君のことだからきっとすごく難しいところに行くんだろうなあ。


「勝己くん、わたし吸う気なんて、ちっともなかったよ!」
「たりめーだろ」


 まだ少し怒っている様子の勝己くんを斜め後ろから見る。わたし、しっかりした子になって勝己くんの視界に入りたいけれど、こうして守られることにこの上ない安堵を覚えてしまうよ。掴まれている腕が昇降口で離されても、こうやって一生引っ張っていてくれたらどんなに安心だろう。


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