それが心操くんによるものだと気付くのに時間がかかった。


レクリエーションがすべて終了し、競技場がセメントスによって作り変えられたのち、みんなが待ちに待った本戦が始まった。試合に出ない人は上の観戦席に戻って見守る形になるのだけれど、心操くんはトーナメントの最初の山にいるのでレクのあとそのまま控え室に向かった。一階の通路で別れる間際、頑張ってねと試合前最後の激励を送ると、彼はおお、と短く手を挙げて踵を返したのだった。

一体何が起きたのだろう。観戦席から見下ろす先、出久くんの動きがピタリと止まったのだ。彼はプレゼントマイクによる試合開始の合図のあとすぐ、心操くんに向かって駆け出したはずだった。時間を止められたかのように固まってしまった出久くんに対するどよめきと、何かが起きたことによる試合としての期待が場内で入り混じる。わたしは動揺を隠すことができず、出久くんから目を離し、正面に立つ彼を見た。対峙する出久くんを真剣な眼差しで見据える心操くん。何かをしたようには見えない。


『全っっっ然目立ってなかったけど彼ひょっとしてやべえ奴なのか!!』


プレゼントマイクの実況にハッとする。もしかしてこれ、心操くんの個性?相手の動きを止められるとかなんだろうか。何にしても、傍からじゃ個性の発動がわからないんだ。わたしと同じなんだ…。


「やっぱすげーなあの個性」
「心操くんの個性って…」
「あ、やっぱまだ聞いてなかったんだ。洗脳だよ、せんのー」
「洗脳…?」


隣に座る女の子が教えてくれる。心操くんの個性は相手が心操くんの問いかけに応じることで洗脳にかけることができ、相手を自由に動かすことができるんだそうだ。相手は洗脳にかかってる最中の記憶がほぼ抜けてしまうらしく、何が起きたかわからないんだとか。洗脳を解除するには心操くんの意思か外部からの衝撃が必要。だから、一対一の状況で一度洗脳にかかってしまえば解くのはほぼ不可能だ。
心操くんの個性がそんな強力なものだとは露ほども考えてなかったので驚いた。説明を聞いて改めて心操くんを見下ろす。出久くんが彼に背を向け、場外へ歩いていくところだった。ルールではフィールドを四角く囲う白線の外に出た時点で負けになる。だから、出久くんの自殺行為な足取りを目の当たりにしなければ半信半疑だったかもしれない。


「すごい個性だね……心操くん、絶対勝てる」
「なー」


何はともあれ、心操くんの勝ちは決まっただろう。わたしにとっては出久くんも他人事じゃないけれど、彼が個性を発揮する間もなく負けてしまうのは致し方ないと思わせた。それくらい、心操くんの個性はこの条件下では圧倒的だった。
さっきまで一緒にレクを観戦したり借り物競走で走ったりした彼が、一気に遠い存在に感じる。決して自分と同レベルだなんて思ってなかったけれど、知った今、心操くんが身近にいてくれたことは彼の優しさの表れなんだと身にしみた。


「ははっ」


「えっ?」突然女の子が笑い出した。何があったのかと首を向ける。口を手で覆ってふふふと緩く笑う彼女は、それからわたしを指差した。


「今の反応心操に教えたげよー」
「…?」
「あいつに個性知られるの気にしてたからさ」
「そ、そうなの?」
「うん。おとなしいから地味に引かれそうって言ってた。あと思ったこと顔に出るからわかりやすいって」
「……」


そうなんだ、と目を逸らす。心操くんがわたしに知られることを気にしていた、今日の彼を思い出すとそれはすんなり納得できた。各々個性を使用して勝ち抜くことが前提の体育祭で、心操くんとの会話で個性について触れたのが借り物競走のあとが初めてだった。それ以前にもわたしが彼のパフォーマンスを見ていたか気にしている節もあった。あれは、応援とか注目の話じゃなかったんだ。

わたしが勝己くんにしか興味を持たず他をおろそかにしているせいで、周りの人が不要な気を揉んでいる。心操くん、高校に入って勝己くん以外で初めてしゃべってくれた。友達になってくれた。一緒にトレーニングして、借り物競走で快く力を貸してくれた。そんな優しい人が。


「ごめんなさい…」
「あたしに謝んなくていーって。ていうか全然引いてなくて驚いたくらいだし」


女の子の声に被るように大きな衝撃音が響く。見下ろすと、出久くんの周囲に土煙が立ち昇っていた。音の出所は出久くん?腕を押さえているけど、一体何をしたんだろう。

…あれ、洗脳解けたの?

周りが戦況の把握に戸惑う中、身体の自由を取り戻したらしい出久くんが踵を返し心操くんに突進する。心操くんがしきりに言葉をかけるも出久くんは応じることなく、二人の取っ組み合いが始まった。白線にジリジリと近づいていく。二人の、相手を場外に押し出そうとする必死の攻防に息がつまる。

決着はあっという間だった。体勢を崩した出久くんの顔面を心操くんが押す。その腕と胸ぐらを出久くんが掴み、一思いに投げ飛ばしたのだ。投げ出された心操くんの足が白線の上に叩きつけられる。わっと、観客が沸き立った。


「心操くん場外!緑谷くん二回戦進出!」


審判のミッドナイトの判定。……心操くんが負けた。はあっと息を吐き出す。さっきまで息を止めてたらしい、心臓はまだバクバクとうるさかった。


「おい、行こうぜ!」


後ろに座っていたクラスメイトの男の子が女の子に声をかける。何かと思ったら、席を立って観戦席の最前列まで降りるらしかった。心操くんはちょうど真下の入場口から出てきたから、戻るのもそこなのだろう。
試合後の二人が向かい合ってあいさつをしている。場内が拍手に包まれる中、わたしは浮き足立つ気持ちのまま、みんなについていくように階段を駆け下りた。


「かっこよかったぞ心操!」


入場口へ戻る心操くんへクラスメイトの賞賛が降り注ぐ。「正直ビビったよ!」「俺ら普通科の星だな!」その言葉たちを心操くんがどう感じたかは彼しか預かり知らぬところだとしても、こちらを見上げる彼の表情を見れば感情が伝わってきてしまう。胸がじんじんと痛む。押し込めるように息を吸う。


「心操くん!すごかったよ!」


できる限り大きな声で伝えると、一瞬目が合った。合った途端、じわっと涙が浮かんだ。自分でも驚いて、慌てて鼻を押さえる。
「この個性、対敵に関しちゃかなり有用だぜ。ほしいな…!」後方の観客が心操くんを評価する声が聞こえる。負けてしまったからって何もしなかったことにはならない。心操くんの、未来のヒーローとしての価値が見出されていく。


「今回は駄目だったとしても…絶対諦めない。ヒーロー科入って資格取得して…絶対おまえらより立派にヒーローやってやる」


それは出久くんに向けて言った言葉だった。自分が涙目なせいでよく見えなかったけれど、心操くんの声が震えてるように聞こえた。まるで泣いてるみたい。

心操くんのヒーローへの強い想いに当てられたのだろう。わたしは涙が一粒こぼれたのを、誰にも気付かれないように誤魔化した。


46 / top / >>