小走りで通路を駆けて行くとすぐに勝己くんの姿を見つけることができた。同時に、様子がおかしいことに気付く。壁際に立つ彼はまるでスタジアムの外へ続く出口を覗き込んでいるようなのだ。張り込み中の刑事さながらの潜み具合に、名前を呼ぶことが躊躇われる。歩幅も狭くなり、足音一つに気を遣うように歩く。近づいていくうちに勝己くんもわたしに気が付いたらしく、三メートルくらいの距離になる頃にはこちらに振り向いていた。


「何してんだよ」
「えっ…何か、隠れてたのかなって思って」
「隠れてねーわ」


即答され、勘違いだったのかと肩をすくめる。抜き足差し足なんかしちゃって恥ずかしい。
勝己くんは憮然とした表情で、機嫌もあまり良くなさそうだった。障害物競走三位と騎馬戦二位という、勝己くんにとっては満足のいかない結果だったのが原因だろう。障害物競走はともかく、騎馬戦での活躍っぷりは他の出場選手の追随を許さず見事だったから、順位は二の次でもいいと思うけれど。
でも勝己くんはトップを目指してるから。体育祭のトップ、この学年のトップ、ひいてはヒーローのトップを見据えているのだ。立派な男の子だと思う。わたし勝己くんの姿勢を目の当たりにするたび、自分がいかに甘えた考えなのか思い知らされるよ。本当に、そばにいられるのは奇跡だ。
行くぞと踵を返した勝己くんはさっきまで覗き込んでいた出口を横切り、一本奥の出口へ歩いていった。通り過ぎた出口は確かに正規のそれではないけれど、わざわざ避けるほど使いたくなかったのだろうか。不思議に思うも絶対にそこを通りたいわけでもないので何も言わず勝己くんのあとを追うことにした。
通り過ぎる間際、その出口を見遣ると、二人の男の子がこちらに背を向け、バラバラに校舎へ歩いて行くのが見えた。
……今の、出久くんじゃなかったか。ちらっと見ただけだからちゃんと確認できなかったけど。先ほど壁の陰に立っていた勝己くんを思い出すと良い予感はしなかった。不安を振り払うように、努めて明るい声で勝己くんへ賛辞を送る。


「勝己くん、本戦出場おめでとう!」
「おお」
「騎馬戦見てたよ!騎馬から跳んで、すごかった!」
「あんくらいやれて当然だろ」
「そんなことない!やっぱり勝己くんは個性の使い方が派手で…」


そこでハッとする。そう、わたし勝己くんに報告したいことがあったんだ。出口の通路を抜け外に出ると五月の日差しがすべてを緩やかに照らしていた。出口から等間隔に並べられた鉄柵に沿うように雄英の校舎へ向かう。出久くんらしき人影はもう見えない。周りに誰もいない今のうちに言ってしまおう。


「わたし、障害物競走で個性使えたんだよ!」
「あ?」
「ゲートのところで足凍っちゃって、最初使えなかったんだけど、頑張ったら使えるようになった!」


それで近くのガラスみたいなやつを拾って砕いたんだと説明すると、勝己くんにも状況が伝わったらしく思い出すように目線を上げた。


「半分ヤローの氷か」
「え?」
「何でも」


勝己くんは一度正面を向いて、また振り返った。


「よかったな」
「! うん…!」


大きく頷く。やった、勝己くんに褒めてもらえた。ストレス下での個性の発動がどれほど困難か、幼なじみの彼はよく知っている。それを克服したとなると、少しは勝己くんの思うしっかりした子に近づけたんじゃないかと思う。


「んじゃあ暴発ももうねえのか」
「えっ…ど、どうだろう…?」
「わかんねえんか」


両手をジャージのポケットに入れて歩く勝己くん。呆れ顔なのが見なくてもわかる。確かに暴発が治ってないんじゃ個性の制御ができたとは言えない。成長できたと浮かれてたけど、勝己くんの言う通りまだまだだ。肩をすくめ、何か返そうとした瞬間、真横に置かれていた柵が倒れてきた。


「!」


こちら側に傾いたそれは勝己くんの手で止められたことで事なきを得た。しかし続くように前方と後方の柵がバタバタと倒れていくではないか。次々と柵の上部が地面とぶつかる鈍い音が響く。わたしは、突然の怪奇現象に驚いたまま固まって動けなかった。


「……あ」


すべての動きが停止した頃には、結局六枚の柵が倒れていた。内側外側関係なく倒れたそれらはまるで誰かのいたずらで荒らされたようで、ようやくすべてを察したわたしは慌てて後ろの柵へ駆け寄った。


「制御はまだだな」
「ご、ごめんなさい…」


勝己くんはそう言って押さえていた柵を元に戻した。柵は二本足といえど地面との接触部分はハードルみたいに柵の面と垂直に伸びていて前後に倒れにくい構造になっている。だから倒れるとしたら強風とか、故意に力を加えないとならない。それもこんな一斉に。疑いようもなく、わたしの個性の暴走だった。
顔が熱くなる。慌ててしゃがみ、内側に倒れた柵へ手を伸ばす。なんてことを。早く直さないとお昼の時間がなくなっちゃう。勝己くんにも迷惑が……


「足怪我したんか」


ビクッと肩が跳ね、それから顔を上げる。勝己くんの表情は心なしか驚いているようだった。反射的に自分の足元を見下ろすと、しゃがんだことでジャージが上がり足首が見えていた。勝己くんが言ってるのは障害物競走で氷を砕くために勢い余ってついてしまった傷のことだろう。すぐに騎馬戦が始まったし、とっくのとうに血は止まってたのでそのままにしていた。


「うん、障害物競走のとき…」


隠してるつもりはなかったけれど見つかってしまうとなんだか恥ずかしかった。実は手のひらもところどころ切り傷があるのだけど、言ったらますます呆れられてしまうかもしれない。隠すように手のひら全体で鉄柵を掴んで起こす。


「また泣いたろ」
「うん…」


バツが悪くて彼の顔が見れなかった。二週間前、勝己くんに言われた通りだった。わかってたから勝己くんはやめるように言ってくれた。そう勝己くんはいつだって正しい。正しくて、わたしのことを考えてくれる。

でも勝己くんは今、わたしに何も期待してないのだ。


「でも、個性使えたから、意味はあったよ…」


強がりみたいだ。俯いたまま、手に持った鉄柵から温度が奪われていくのを感じる。日差しは柔らかいのに冷たく差すようで、わたしのすべてを暴いているようだった。
こんな浅ましい気持ち勝己くんにはお見通しなんじゃないかと思う。勝己くんにわたしを見てほしい。捨て置かないでほしい。やればできんじゃねーかって、また褒めてほしい。
ああ、なのにまた暴発してしまったんじゃまるで説得力ない。勝己くんの反応を見ないように、背を向けて通ってきた道を戻るように後ろの柵を起こしていく。三枚起こして、残りは前方の柵だけになったところでようやく、立ち止まったままだった勝己くんに目を向けられた。先に行ってしまっててもおかしくなかったのに、勝己くんはずっとそこにいてくれた。しかももしかしたらわたしを見ていたのかもしれない、すぐに目が合った。
待たせちゃってごめん、口にする前に、勝己くんの声が届いた。


「なあ、早く制御できるようになれや。じゃねえとおまえばっか損すんだろ」


勝己くんの厳しい言葉に一瞬心臓が浮いて、それから安心する。冷たいんじゃない。勝己くんはわたしが損してると思ってくれてる。目に見える発動がわからないから、単なる偶然なのか、はたまた暴発か故意かもわからなくて冤罪に対して強く否定できない。
でもこの先、暴発がまるっきりなくなったことがわかったら、すごいことだと思う。こんな風に勝己くんを待たせて迷惑をかけることもなくなるのだ。決心するように大きく頷く。


「うん、頑張るよ…!」
「おお」
「頑張って、しっかりした子になるよ!」
「…あ?」


思わず力んでしまった。恥ずかしくて苦笑いで誤魔化す。勝己くんの横を通り、前方で倒れている柵を起こす。あと二つ。


「前から思ってたけどよ」


顔を向ける。勝己くんは目元に太陽の影をつくりながら、まっすぐわたしを射抜いていた。


「なんでそんなしっかりした奴にこだわってんだ?」


今日は、答えにくい質問ばかりされる日だ。


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